テロが起こりにくい日本
昨日(11/29)、イギリスでまたテロ事件が起きましたね。
ロンドンの中心部にあるロンドン橋で、男が刃物で無差別に人を襲い、5人の死傷者(死者2名)が出ました。実はこのロンドン橋では2017年にも無差別殺人事件が起き、その時は8人が犠牲になっています。
昨日の事件では、犯人は駆け付けた警察によってその場で射殺され、警察は「テロと断定」したそうです。
この「テロと断定」・・・っていったいどういうことなんでしょう?
「これはテロ」と「これはテロじゃない」の区別はどこにあるんでしょうか。どこかにルールでもあるんでしょうか。日本でも無差別大量殺人はたくさん起きてます。最近だと相模原の障碍者施設の事件や京アニの放火事件が記憶に新しいですが、これらは「テロ」として扱われていません。(一部メディアがテロという表現を使っているケースはありますが)。
一方で、海外ではこの事件のように公式に「テロ」認定される事件が頻繁に起きています。どちらも何の罪もない多くの方が犠牲になっている事実に違いはないはずなのに、この差は一体何なんでしょう?
というモヤモヤをちょっと調べてみました。
そもそもテロって何なの?
そもそも「テロ(テロリズム)」って何なんでしょう。Wikipediaによれば、テロの語源は以下のように書いてありました。
「テロリズム」の語源はフランス語のterrorismeで、1793年から1794年のフランス革命の際の恐怖政治(フランス語: La Terreur)に由来し、更にフランス語のterreurはラテン語のterreōから派生した語で「恐怖」を意味する。「テロリズム」という用語が使われるようになったのはフランス革命において行われた九月虐殺がきっかけであった。この虐殺事件では革命派が反革命派1万6千人を殺害する恐怖政治を行い、その中で政治的な用語として登場した。
なるほど、フランス語だったんですね(英語だと思ってました😨)
さて、語源が分かったとして、次はテロリズムの「定義」について調べてみよう。。。と思ったのですが、ちょっと困ったことがありました。
なんと「テロとはこういうものである」という一般的な定義がないんです。
私は
「え?テロって政治的主張を掲げて無差別に暴力を働くことじゃないの?」とざっくりふんわりと捉えてたのですが、実はそうでもないようです。
Wikipediaにもこのように記載があります。
「テロリズム」の語の正確な定義には多数の困難が伴っており、100を超える多数の定義が存在している
いや100って!笑 いったいどういうことなんでしょう?
なぜテロの定義は難しいのか?
なぜテロの定義は難しいのでしょうか。
仮に、どこかの偉い人がこのような主張をしたとします。
「今後、政治的な主張を掲げて他者に暴力を働く行為のことをテロと定義します!」
例えば、国連とかそのあたりをイメージいただければ。
私たち日本人のように、民族対立や宗教対立とは無縁の歴史を歩んできた人からすると
「うん、そうだね!そういうのがテロだもんね!良くないよね!賛成!」
なんて言ってしまいそうです。
しかし、この宣言を中東のパレスチナでイスラエル軍と戦い続けている人達が聞いたら、きっとこう言うのではないでしょうか。
「ふざけるな!!俺たちはただ自分たちの祖国を外国の支配から解放するために、自由を取り戻すために戦っているだけだ!断じてテロリストではない!」と。
あるいは、中国共産党の支配が強まる政策に抗議する香港の学生達を「テロリスト」と呼べるでしょうか?反対に当局側としてデモの鎮圧に向かう香港警察の方々を「テロリスト」と呼べるでしょうか?それもなんだか違いますよね。「抗議」と「鎮圧」と「暴力」の境目なんて、あってないようなものなんですから。
つまりテロとは相対的な行為なわけです。
「ある者にとっての自由の戦士は、ある者にとってはテロリストである」(one man’s terrorist is another man’s freedom fighter)
という有名な言葉もあります。(誰の言葉か知りませんが)
これって「正義とはなにか?」という問いと同じで、答えは人の数だけあるものなので、普遍的な基準を設けて定義すること自体そもそも無理があるというものです。だから「これはテロです」って一概に決めるのは難しいんですね。
でも「テロ」って断定してたじゃん?
でも、冒頭で紹介したロンドン橋の無差別殺人はテロと「断定」されちゃってましたよね。あれ?テロの定義って難しいんじゃなかったっけ・・・?
今回のロンドン橋の事件に関して言えば、実は容疑者の男は2012年にテロ関連の罪で有罪判決を受け、昨年仮釈放されて保護観察中の身だったそうです。つまり2012年の時点で「ほぼテロリスト」と認定されていたということになります。
そうなると2012年に受けた「ほぼテロリスト」認定の経緯が何だったのか、、、ですが、ここで忘れちゃいけないのが、2011年に起きた「9.11同時多発テロ」です。
この事件で、世界中のテロに対する認識が一変したといっても過言ではありません。この事件以降、欧米諸国vsイスラムという対立構図が作られ、イスラム教徒=テロリストという偏見が生まれました。この容疑者が2012年に有罪判決を受けたのは当時アルカイダというイスラム系過激派組織に関わっていたからでした。どう考えても9.11からの流れを受けたものです。
ということは、今回警察が「テロ断定」した根拠というのは、結局のところ「あの9.11テロを起こしたヤツらの仲間だから」ということになるんじゃないかという気がします。
その「テロ認定」自体がそもそも…
普遍的な「テロ」の定義ができない以上、自分たちの中で「これがテロというものだと思う(知らんけど)」という主観的な基準を持つということはあると思います。おそらく欧米諸国では「9.11の事件に連なる行為かどうか」が「テロかどうか」の基準に大いに影響を与えていると思います。
この「自分たちなりのテロ定義」を自分たちの主観の中で留めていればまだわかるのですが、今回のロンドン橋の事件のように、声高に「ハイ、テロ断定!」と発信するのは実に恣意的だと思います。
だって、これって暗に
「世界のみなさん、9.11の時のアレがまた起きましたよー!(=イスラムはやっぱ悪ですよ!)」
というメッセージを世界に発信して、イスラムが世界共通の敵のように仕向けているわけですから。
でも欧米諸国だって(というかほぼアメリカだけど)、さんざんアフガニスタンやイスラム諸国を空爆しており、罪の無い民間人がたくさん巻き込まれているわけです。
もしかしたらイスラム圏内では
「イスラムのみなさん、またヤツらによる空爆テロが起きましたよー!(=欧米はやっぱ悪ですよ!)」
と流してるのかもしれません。(いやきっと流してるでしょうね)
残念ながら、イスラム側の主張は私たちが目にする機会がなかなかありません。声の大きい方の主張が目につきやすいのは当然で、世論に何となく「よく知らんけど、イスラム=悪?」みたいな空気ができてしまいます。それって不公平で不健全な気がします。
その意味で、今も続いている香港のデモは双方の主張や行動がリアルタイムに発信・可視化されているところが大きく違いますね。
日本でテロが起きにくい理由
そういった目で世界の「テロ」を捉えてみると、日本でテロが起きにくい理由が見えてきます。色んな説明ができると思いますが、ここでは2つほど。
①欧米諸国基準での「テロ認定」を受けそうな事件が起きにくい
イスラム過激派組織の行動源泉の一つは「西洋文明の否定」にあると言われています。明治維新以降、西洋文明に首からどっぷり浸かってる日本もターゲットにされてもおかしくない気がしますが、同じアジア圏だからなのか、日本国内でイスラム過激派組織によるテロ事件はほとんど無いように思います。もちろん、警察や公安の方が未然に防いでる面も大きいのだと思いますが。
とは言え日本人が現地で殺害されている事実もあるので、決して彼らのターゲットから外れてるわけではないと思いますが、相手国で破壊活動をするなら日本よりも優先すべき国があるということなのかもしれません。
その意味で「日本では9.11からの系譜を疑う事件が起きにくい」と考えられます。
②客観的正当性がない
「ロンドン橋の事件」も「9.11の事件」も決して許されない行為ですが、少なくとも本人(とその仲間たち)にとっては、その破壊行動には「客観的正当性」がありました。よく漫画やドラマでテロリストが「大義のため」なんて言葉を使いますが、まさにそれです。その破壊行動を是認する何らかの「お墨付き」みたいなものを、自分以外の誰かから得ているという点が、世界で起きている「テロ」の大きな特徴であると考えます。
一方、日本で起きる無差別大量殺人事件の犯人からは「大義」などカケラも感じることができません。秋葉原の連続殺傷事件、相模原の障碍者施設事件、そして京アニの放火事件。どれも犯人の頭には完全に「自分のこと」しかなく、実に身勝手なものでした。まさに「自分がやりたいと思ったからやっただけ」という獣の発想です。
もし日本の無差別大量殺人事件の中で、犯人達が「客観的正当性」を抱いていたと思われるものを挙げるなら、「日本赤軍」事件や「オウム真理教」の事件でしょうか。(※決してその主張に賛同しているわけではありません)
テロとは相対的な行為であり「ある者にとっての自由の戦士は、ある者にとってはテロリストである」。この言葉に全く当てはまらない以上、これらの事件を「テロ」と表現するのは無理があると考えます。
さいごに
よく「日本人は無宗教で信仰心がない」とか言われますが、むしろ全くその逆です。世界で日本人ほど宗教心に篤く、信仰心がある民族は他にいません。そんな精神資源が世界で最も豊かなはずの日本人が、追い込まれた末に「テロ」とすら呼べない凶行に及ぶのは悲しい限りですね。
「いざ鎌倉」とか「尊王攘夷」とか「日の丸特攻」とか、その行為の妥当性はさておき、客観的正当性を糧に自分を奮い立たせるのは得意なはずなんですけどね。
おしまい。