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こんまりはポストモダンの象徴らしい

先日、とある美術館のイベントでパブリックスピーカー山口周さんの講演を聞く機会がありました。

山口周さんは、ベストセラービジネス書『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか』の著者で、変化の激しい現代の生き方を「アート」という切り口から展開されています。

講演テーマは「なぜいまアートが必要なのか?」みたいな内容だったと思います(うろ覚えだけど多分そんな感じ)。

山口さんの本は以前読んだことがあり、講演で話される内容はなんとなく想像できていました。しかし、その中で「うーん確かに!」と思わず唸ってしまったのが

『…したがって、こんまりさんは”ポストモダンの象徴”といえるのです』

というお話でした。

※「こんまり」さんとは、片づけコンサルタントとして活躍されている近藤麻理恵さんのことです。(こんまりさんの著書は読んだことないです)

ということで今回は、その講演で聞いた

なぜいまアートが必要なのか?」という話からスタートして「こんまりはポストモダンの象徴である」という結論に至るまでの、山口周さんのお話を私の個人的解釈を交えて紹介します。

※山口周さんの著書を読んだことがある方には既に見知った内容だと思うので、前半は飛ばしてください

なぜいまアートが必要とされているのか?

という話をする前に、まず「アートが必要とされる前」、つまり「これまで必要とされてきたもの」がいったい何だったのかを考えてみます。

これまで必要とされてきたもの

世の中に必要とされる」ということは、端的に言えばソレに「価値があると世の中が認めている」ということに他なりません。

このような「普遍的な価値」を、SEDA(シーダ)モデルという枠組みを使って考えます。

SEDAモデルとは Science, Engineering, Design, Artの四つの頭文字をとったもので、一橋大学の延岡教授が提唱する「企業が創出すべき統合的価値を考えるための枠組み」です。(画像は以下のサイトから引用しています)

これまで(20世紀初頭くらいまで)、世界の発展はもっぱらSEDAモデルでいうところの『左側』、つまりScience(サイエンス)Engineering(エンジニアリング)が主導してきました。

Science(サイエンス)とは科学です。物理学とか化学とか生物学とか天文学がそうですが、要は「この世界がどうなっているのかを解き明かそうとする取り組み」のことです。

例えばニュートンの万有引力発見やアインシュタインの相対性理論発見などが有名ですが、「科学」により私たちの世界は飛躍的に進歩しました。

一方Engineering(エンジニアリング)とは「工学、産業技術」のことです。
要は

より速く、より強く、より便利に、より簡単に、より安く…

をトコトン追求する取り組みのことです。

18世紀イギリスの産業革命に始まり、蒸気機関、電気、自動車、コンピュータ、インターネットへと、先人のたゆまぬEngineering追求のおかげで、私たちの暮らしはとても便利で豊かになりました。

先ほど述べたようにScienceEngineeringもSEDAモデルの『左側』です。『左側』のアプローチは、形式知に基づいた機能的価値を追求するアプローチです。左脳的アプローチと言ってもいいかもしれません。

我々日本も、ScienceEngineeringによって先進国に成り上がった国です。日本の主要産業は自動車ですし、要するにモノづくりの国です。日本のノーベル賞も自然科学系に偏ってますよね(もちろん受賞できること自体は大変素晴らしい事ですが)。

さて『左側』のアプローチがこれまで世界を前へ前へと進めてきたのはわかりましたが、『右側』のアプローチはどうだったのでしょうか?

右下のDesign(デザイン)は「デザイン思考」という言葉がすっかり普及したように、21世紀に入ってからは少し注目を集めるようになりました。これまでEngineeringの独壇場だったビジネスの世界にDesignが部分的に入り込む状況が生まれたわけです。Designを取り入れることでEngineeringは一皮むけたモノづくりができるようになりました。ダイソンやバルミューダが作る革新的な製品はDesignを取り入れたEngineeringの賜物と言えます。

一方、右上のArt(アート)は21世紀になっても相変わらず浮いたままでした。ArtScienceEngineeringのように世界を前に進めるわけでもなく、かといってDesignのようにビジネスに取り入れられるわけでもなく、ずっとArtArtのままでした。

Artはまぁ・・・Artだから笑

と誰が言ったわけでもないですが、「世界を前に進める原動力」としては実質的に戦力外通告されていました。事実、ゴッホやピカソなど偉大な芸術家たちが残した作品は美術的価値や歴史的価値としては評価されていますが、「相対性理論の発見」や「インターネットの発明」と肩を並べて「世界を変えた」とか「社会を進化させた」といった認識はされていないと思います。

このように、20世紀初頭くらいまでは、ScienceEngineeringこそが世界を前に進める原動力であり、人類をさらなる高みへ進化させるのは『左側』のアプローチだと信じられてきたわけです。

それが今になって、なぜArtが脚光を浴びることになったのでしょうか?
(あと、Artとこんまりが一体何の関係があるのでしょうか?笑)

左側アプローチの行き詰まり

『右側』アプローチが脚光を浴びることになった理由は実に簡単な話で、『左側』アプローチが行き詰まったからです。

これまで世界を前に進めてきたScienceEngineeringに基づくアプローチでは、21世紀以降の世界で起きている「複雑でややこしい問題」を解くのが極めて難しいということに世界中が気づいたからです。

20世紀までに起きていた問題というのは、例えば「大きくて邪魔くさい!」とか「遅くて不便!」とか「遠くて不自由!」とか、人間の外側の世界で起きる客観的なものが多く、正解も分かりやすいものばかりでした。
(誰が解いてもだいたい同じ答えになる)

一方、いま世界で起きている問題といえば「差別の問題」とか「アイデンティティーの問題」とか「善悪の問題」とか、人間の内側の世界に起因した複雑でややこしい問題ばかりです。例えば、テロとの戦い、格差の拡大、宗教対立、LGBTなどなど。数年前、ハーバード大のマイケルサンデル教授が「正義とはなにか」を問う授業が話題になったことがありましたが、まさにこういった複雑な問題には、ScienceEngineeringでは対応できなくなってきたわけです。

右側アプローチが提供する価値

ここで「左側アプローチ」と「右側のアプローチ」を提供価値の観点で改めて比較してみます。色んな切り口があると思いますが、一例として。
(山口周さんが講演で紹介した情報を再編集しています)

見てもらえれば分かるように、左側アプローチと右側アプローチでは真逆といっていいほど価値観が違います。では、DesignArtによる右側のアプローチなら、複雑でややこしい問題を解決できるのでしょうか?

残念ながら100%「YES」とは言えません。右側のアプローチをとったからといって、テロや差別といった問題を解消できる保証はどこにもありません。しかし、少なくとも左側のアプローチでこれらの問題が解消されるイメージが沸かないという点については共感できるのないでしょうか。

これが、右側アプローチ(特にArt)がいま必要とされている理由です。

従来の左側アプローチ優勢の世界では「無駄」だと切り捨てられていた個人の内面に立脚した「感性」や「情緒」「主観」が、21世紀以降の世界をさらに前に進めるために必要になると認識されてきた、ということです。

で、ようやくこんまりさんの話に入ります笑

こんまりの「モノを減らす」という提供価値

こんまりさんは「片づけコンサルタント」という肩書きで、日本だけでなく世界から評価を受けています(国内より海外からの評価が高いのでは)。こんまりさんの著書はなんと世界40か国で翻訳され、1,000万部も売れています。出版不況の今、こんなに世界中で読まれる日本人作家ってなかなかいないんじゃないでしょうか…?

こんまりさんが提供している価値は、一言でいえば「モノの減らし方」です。モノを捨てる/捨てないの判断を「ときめき」という極めて主観的な基準で判断するという、通称「こんまりメソッド」が、世界中から「価値がある!」と認められているわけです。実はこんまりさん、Netflixで番組を持っているんです。唯一無二じゃないですかね、Netflix制作の番組を持ってる日本人なんて笑

この「こんまりメソッド」の価値はとってもArt的だと思います。というのも、所有するモノが「役に立つ/立たない」や「金銭的価値がある/ない」ではなく、「ときめくかどうか」という極めて主観的で情緒的な判断基準を用いるからです。こんまりさんのコンサル依頼人の多くは、モノが片付くことそれ自体よりも、モノを減らす体験を通して自身のマインドセットや価値観が変容することに大きな価値を感じているようです。これはもはや「ソリューション(問題解決)」という領域に収まらない価値といえます。

なぜこんまりはポストモダンの象徴なのか

ここまで来て、ようやく投稿タイトルの回収ができます汗

上述の通り、こんまりメソッドの提供価値は「モノを減らす」ことにありますが、これは「人類の歴史が始まって以来初めて起きた、価値の逆転現象」です。

紀元前の古代ギリシャやローマの時代から20世紀に至るまで、「モノには価値がある」というのが人類共通の普遍的で絶対的な価値観だったわけです。食物であれ宝石であれ土地であれ、いかに「モノを増やすか」が幸福の尺度でした。モノは多ければ多いほど良しとされてきたわけです。しかし、21世紀の今になって「モノを減らす」ことで幸せになりたいと願う人たちが出てきたわけです。これはまさに「価値の逆転現象」だと言えます。

一般にモダン(モダニズム)といえば、中世の伝統的な価値観から脱却した近代的な価値観を指しますが、そのモダニズムさえも「モノに価値がある」という従来の価値観からは脱却できていなかったわけです。そこから一歩前に出て、「価値」の起点を「モノ」ではなく「個人の内面」に置くトレンドを発信したこんまりこそが「ポストモダンの象徴」である、という主張は「うーん確かに!」って思いませんか?

おしまい。

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