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意識現象学におけるアルコールについての一考察 篇


1. サービスはウィンブルドンの真ん中で

 夜が更けて、時刻は深夜に差しかかろうとする頃、男性客が一人、入り口からズイズイッとカウンターへと歩を進めてくる。

 この日は、平日の夜だというのに、店内は結構、混み合っていて、空いているカウンターも残り一席となっていた。ぼくが、その空いている一席を、右手でどうぞと促すと、男性客はそっと座って間もなくこう言った。

 「いま、ご飯を食べて来ました。お酒もたくさん飲んで来ました。あと一杯だけ、飲んで帰りたいと思います。何か適当なものをつくってください。」

 およそバーに来る顧客の注文形態としては、大きく分けると三つしかない。その一つ目は、おもむろにメニューを見て、訪れたバーの実力を推し量るが如く物色し、自分の好みの一品を注文する方法である。次が先述のように「店員とのコミュニケーション」による注文方法。最後が「お任せします」というものである。

 何の情報もなく、急に任せられても困っちゃうので、バーテンダーは顧客にヒアリングしてデータを集めることになる。とすると、コミュニケーションのベクトルの向きが変わるだけなので、やはり注文形態は大きくふたつに分類されると言ってもよさそうだ。

 ぼくはバーで修行したことがない。
 15年前のある冬の日、27歳のぼくは思い立ったように急に店舗を構えた。

 経験値も圧倒的に足りなければ、知識も少ない中で、埋めることができるものといったら、満足感、というよりも、お客様と店員とのギャップ、ミスマッチぐらいが関の山だ。

 そこは敢えて怖れずに、「お客様にお店を育てていただくのだ」というくらいの気持ちで、サービスすることにしていた。

 サービスとは詰まるところ、テニスのようなものである。あらゆるサービサーが、己だけのウィンブルドンで戦っている。皆が、まるでテニス・プレイヤーのように、エースを狙ってサービスをする。精度はそんなに高くない。サービスが外れる。フォルトだ。

 サービスにおいてフォルトしたら、どうすれば良いのか。謝罪する?ディスカウントする?否、テニス・プレイヤーは、そんなことはしない。

 フォルトしたら、どうするのか。
 再びサービスをするのである。

 ことテニスとバーのマネジメントが異なる点は、サービスする権利が永久に店側にあるということである。

2. 或る顧客との対話

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