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天気読み

当時ブログに書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。
※ユースケ4才のころのお話

=2005.08.06の記事=

「天気読み」

未来はどうすれば分かるだろうか?そんなことを考える2つの出来事がありました。ひとつは夕立にあって困ったこと。ひとつは同僚が退職すると知ったこと。未来は本当に分からないのでしょうか?

日曜の夕方、ユースケとコンビニに行きました。向こうの空が黒くなっていたけど、その時は気にも留めませんでした。コンビニを出ると、ポツポツ雨が降り始め、家までもう少しのところで本降りになり、とうとう雨宿りせざるをえなくなりました。始めははしゃいでたユースケも降り止まない雨に元気がなくなってきました。はしゃいで遊ぶから、髪の毛や服が濡れてしまい、長時間このままだと風邪を引いてしまいそうです。

雨がいつ止むのか、天気を読もうとする私。天気がどうなるかなんて分かるはずもないのに、一生懸命いろんなことを考えていました。雲の動き、風の向きや強さ、雨脚など、知識と経験と勘を総合的に働かせるしかありません。結局、しばらく雨は止まないと判断して、小雨になるのを待ち、ユースケを抱えたまま走って帰りました。その後、また激しく降り出したので、どうやら判断は正しかったようです。

退職する同僚は私より若いけれど、優秀な人材。管理職になり、重要な得意先を任されて、順調だったのに、ある日その得意先に問題が起こりました。その問題はこちらとは関係ないものだったけど、でもそれがきっかけで、取引がなくなり、課は解散。彼は一営業に戻ることになりました。本人の努力とは全く関係ないところで運命が変わるのを目の当たりにしました。彼は上に立ってこそ本領を発揮する人物だと思っていたので、早く元に戻ることを願っていたけど、退職することになり、とても残念です。ただ、彼もこのままここに留まることと、退職して新しい道を進むことと、どちらが良いのか必死で考えた末の結論なのでしょう。彼のこれからの人生がより良いものであることを願っています。

この2つの出来事、どこか似ていると感じました。

それは本人の意思とは関係のないところで、運命が決まっていたということです。私がどう思おうが、天気は決まってただろうし、彼がどんなに頑張っても、得意先自体の問題は起きていたことでしょう。

未来に起こる出来事は、起きるべくして起きている。そんなふうなことを考えてしまいました。そこに自分が居合わせてるかどうか、その違いが運命を分けるのでしょうか?

未来を見通せる力があるならば・・そんなことを考えてしまいました。未来とはいったい何でしょうか?

環境問題、高齢化社会。これは現実に起きる未来の問題。でもその原因は過去にあります。私たちの行ないの結果が、こういった問題を引き起こしているのです。

未来に起こる出来事の大半は、過去にその原因があるのではないでしょうか?突然何の理由もなく、何かが起こるわけではなく、そこには大小なりとも原因があるはずです。つまり、過去が未来をつくるのです。

それでは未来は変えられないのかといえば、そうではないと私は思います。

未来とは確定されていない時間であり、
現在とは時間が確定される瞬間で、
過去とは確定された時間の積み重ねのこと。
時間はそうやって流れていきます。

つまり、過去とは現在の積み重ねです。現在をどのように生きるのかがとても大切なことだと思います。

より良い過去をつくることが、より良い未来をつくります。過去は変えることができません。そのために近い未来は悲しい出来事が待ち構えてるのかもしれません。でも、現在を生きる私たちはどのように生きるのか、選択することができます。それがこれからの過去を良いものにしていき、これからの未来を良い方向に導いていくのだと信じます。

明るい空のように未来が広がってゆくように。心からそう願っています。

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