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初めてのドストエフスキーに悪戦苦闘した話|「カラマーゾフの兄弟」

今年の5月頃、3度目の緊急事態宣言が発令された。
僕の職場は飲食店で1ヶ月程の休業が決まった。
その期間中働こうと思えば派遣の仕事で働けたのだが、その時はどうにも働く気力が湧かなかった。

仕事をサボる代わりに免罪符のつもりで、今まで読んだことがないような文豪の小説を数冊買った。大江健三郎、開高健、そしてドストエフスキーだった。

「カラマーゾフの兄弟」を読み始めたのは休業も明け、それまでサボっていた分を取り返すために忙しく働いていた7月のことだった。

そして全編読み終わったのがつい最近だった。
4ヶ月かかった。
合間に軽めの小説や新書も挟んでたので、専念していればもう少し短期で済んだのかもしれない。それでも3ヶ月はかかったに違いないが。

カラマーゾフの兄弟は複数の出版社から出ていて、僕が選んだのは新潮文庫だった。
上、中、下巻の3部構成になっていてゴールが見えやすいのではないかと考えたからだ。
しかし案の定、先の見えない長い闘いになった。

現代語訳のはずなのに知らない漢字、熟語が次々と現れ、スマホを手放せなかった。スマホには辞書アプリと人物相関図をホーム画面に入れておいた。
そこまでやって4ヶ月である。

上巻は慣れていないだけに苦しかった。上巻だけで2ヶ月かかった。
特に終盤、有名(である事を後に知った)な「大審問官」の章は苦行に近かった。
全編においてモノローグが多く、それも挫折する人が後をたたない理由だろう。

僕が一番解釈に苦しんだのが、登場人物たちのセリフの中に"かっこ"が出てくるとこだった。
「はっ?」と思った。
現代小説を読んでて、普通セリフの途中に括弧が挟まれることはない。
これは心の内で言っていることなのか、実際に口に出して言ったのかがわからない。

そしてセンテンス一つ一つがとにかく長く、読んでる途中で話の趣旨を忘れてしまう。
「ああ、やっぱり自分には早かった」とうっすら後悔したが、時間がかかろうが初めの方の話を忘れようが構わず最後まで読んだ。


読み終わったときの達成感は半端ではなかった。
内容は確かに面白かった。というか凄まじかった。
宗教と善悪の話が一貫したテーマとしてあり、登場人物たちが対立した価値観の中で常に苦悶している、そういう話だと解釈した。

おそらく知識も教養もない僕のような人間にこの物語を正確に理解するのは難しい。
でもここで出てくる価値観の対立とか善悪の間で葛藤する姿は、現代の人間にも置き換えられる。

そして自分の個人的な体験にも繋がっていた。


僕は幼少の時から中学時代まである宗教団体に家族で通っていたのである。
今や消したいくらいの過去なのだが、要するに今までの半生を通して信仰心の篤い人間とニヒリスト的な人間の両方を体験したのである。

この物語にも信心深い人間と無神論者の両方が登場する。
そしてどちらかと言えば信心深い方を好意的に描いているように見えるが、無神論者を否定してるわけでもない。
両者の言い分に説得力があり、その都度心を動かされた。
宗教文化がバックボーンにある国の人なら、十分受け入れる間口があるのではないかと思う。
それでこれだけ長く読み継がれているのだろうから。

そして最後にはちゃんと伏線回収までしている。純文学としてもエンターテイメントとしても読めるのである。
下巻の途中からは他の本を読む気になれず、この本だけに集中した。

もう少し自分が頭が良くて感受性が豊かであればもっと楽しめたに違いない、と悔しい気持ちも残った。
一つの作品をこれだけ長期間かけて読むと、それぞれの話が途切れ途切れで、一本の線で繋がってない感じがする。
肉の部分に集中しすぎて骨を見失ってしまった感がある。

でも悔しいということは、またもう一度読んでみたい気持ちが残っているということだろう。

5年先か10年先かわからないがもう一度読んで、最初に読んだ時とは全く違う感想が出てくることを楽しみに待ちたい。

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