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東大京大ですらまともに勉強する大学生はもはやいない。授業中はゲームか睡眠。講義は教員のお芝居。勉強の価値が完全に失われた令和の大学教育。


東大・京大生は授業中は寝てるかゲーム

現役東大生・京大生と聞いて何を思い描くのだろうか。朝早い1限からしっかりと講義に出席し、教授の板書を真面目に写し、分厚い教科書を手に予習復習に励み、課題も期日までに取り組む。

そんな模範的大学生を想像している方が多いのではないでしょうか。しかし実態は真逆なのです。ほとんどの東大生・京大生は授業中は寝てるかゲームをしているか、ネットサーフィンをしているか、もしくはそもそも講義に出席していないのです。

早めに来た学生が教室の最後部から座ってパソコンとスマホを広げて陣地取り。順番に教室の後部から詰めて座っていき、遅刻した学生はやむ無く前方に座っていく。京都大学の日常風景です。午後の授業ならまだしも、午前中の授業であれば遅刻は当たり前です。3割〜5割くらいは授業開始前に教室に来れません。授業レジュメを教員が講義前に配布するわけですが、遅刻した学生であっても堂々と前にレジュメを取りにきます。遅刻なんて当たり前です。恥じらいなんてありません。教員も何も言いません。相互無関心の世界なのです。

席についてもきちんと講義を聞いている学生なんていません。最後部に座って観察してみればわかりますが、男子学生はスマホゲーム、動画視聴、ネットゲーム、ネット記事、旅行サイト、サークル関連の作業・・・。女子学生はインスタ、リール動画、通販サイト、彼氏とのLINE・・・。AirPodsを髪の毛で隠している女子学生もチラホラいます。講義をしっかりと聞き板書をとっている学生なんて1割もいればマシなくらいです。

もちろん講義後には課題が出されることが多いですが、これまた真面目に取り組む京大生なんていません。「うわやってね」「やばい忘れた」。こんな言葉は京都大学では当たり前です。もしくは前回の講義から1週間後に締め切りが設定されている課題であれば1週間後の講義の直前に急いで取り組む学生も多々。講義中に別の講義の課題をやっている学生。どれも日常光景です。

そんなに怠惰な東大生・京大生でもしっかりと単位を取っているのか思いきや、全くそんなことありません。京都大学の場合、各講義の単位取得率は大学が各学期ごとに公式に発表しています。落単率が3割〜4割を超えるような講義がほとんどです。8割以上の学生が単位を取得している講義なんて相当珍しいものです。ですから、「賢いから勉強しなくてもちゃんと単位を取れている」のではなく「怠惰だから単位を取れていない」というのが実情なのです。

講義は教員の自己満足お芝居

東大京大に入れれば優秀な教員から高度な教育が受けられるのかと思いきや実際そんなことは全くありません。

東大・京大の教員は教科書を嫌います。市販の教科書を貶め、自ら作成したレジュメしか使いません。大変優れたレジュメかと思いきやそんなことはありません。理系であれば実験結果の資料を貼り付けただけの意味不明なパワポ、文系であれば著書の長ったるい文章を抜粋しただけの抜粋集。もちろんその内容も教員が独自に主張している極端な内容であったり、いわゆる少数説ばかりです。また、体系立てて教えるとか、前提知識からわかりやすく教えるといった能力はなく、いきなり細かい論点から話出すとか、明らかに解説が必要な前提知識をも無視して講義し出す教員ばかりなのです。彼ら教員は何十年も研究に従事し、その内容は彼らにとっては常識かもしれませんが、学生にとってはおおかた理解不能な内容なのです。東大・京大生の多くはそんなに賢くありません。幼い頃からSAPIXと浜学園に入れられ、有名私立一貫校から学校の雰囲気に流されて東大・京大を受験しただけの至って普通の人間なのです。

そもそも日本においては大学教員とは無能がなる職業なのです。優秀な大学生は大手企業に就職するのです。繰り返します、大学教員とは無能がなる職業なのです。今も昔も同じです。コミュニケーション能力に長けて、他者との交際能力に優れている優秀な大学生は大手商社やメガバンク、大手メーカー、外資系企業に就職するのです。大学院まで残り研究に従事する学生はコミュニケーション能力や社会性に問題がある問題児しかいないのです。

彼らは勉強自体は得意かもしれません。しかし社会において求められる「優秀さ」というのは勉強ではないのです。社会は大きな自習室ではありません。社会というのは、個が有する能力はもちろん大事であると同時に他者との関わり合いが強く求められる大きな社会的実存的な空間なのです。そこにおいていくら勉強が得意であったとしても残念ながら「優秀」とは言えないのです。

このように、東大教授・京大教授と聞くと優秀な人間であると思い込んでしまいがちですが、実際のところは就職先が見つからず行き詰まった社会性に著しく問題のある大学院生が就いている職業なのですから、当然人を惹きつけるような魅力的な講義を展開することはできないのです。研究者としては優秀かもしれませんが、講義を主宰する「先生」としては大変悲惨なのです。

就活で勉強を語ることはタブーである

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