江戸時代の元号を覚えたい!
我々の感覚だと慶長も慶應も十把一絡げに「江戸時代」という感じになりがちだが、江戸時代は長い。慶長と慶應では250年以上離れているのだ。
しかも、天変地異や政治体制の変化で、10年違えば世相や食糧事情がガラッと変わっていることがあるはずだ。
江戸時代の元号をしっかり覚えておきたいものだなあ。でも、生まれつき記憶力が弱いのに、老化で脳みそはボロボロだから、無理だよなあ。
なんとか今からでも元号の切り替わりの西暦を語呂合わせで覚えることはできないものか……。
……ということで、挑戦してみる。
まずは1600年代。関ヶ原の戦いの1600年は「一路雄々しく関ヶ原」って、小学校のとき覚えたなぁ。
その後、家康という「おっさん」(1603)が江戸に徳川政権を樹立した……と。ここからが江戸時代ね。
慶長元(1596)年 「けいちょうふはく(軽佻浮薄)な殿様、いご、くろう(以後、苦労)する」
元和元(1615)年 「きげんなおして、ひろいこころ(広い心)で」
「げんなりするぜ。16でひこう(非行)」(小さいときは可愛かったのに、やっぱりグレたか)
寛永元(1624)年 「かんえいじ(寛永寺)なら いちろにし(一路西)へ」
正保元(1644)年 「しょうほう(商法)を学べ、ヒロシよ」
慶安元(1648)年 「慶安の変で由井正雪、いちむしゃ(一武者)として死す」
「けいあんずるな(刑案ずるな)、ヒロシやらかしたけど」
貞応元(1652)年 「じょうおう(女王)さまと言え、ヒロコには」(ドSなの)
明暦元(1655)年 「めいれいきかないヒロコご立派」(Sだもの。命令はする側だぜ)
万治元(1658)年 「まんじ休す(万事休す)。ヒロコやらかした。」(そんなヒロコ女王も失敗はする) 「マンジー(バンジー)ジャンプ? ヒロコやりたい」(ヒロコ女王さまはバンジーがお好き)
寛文元(1661)年 「かんぶん読むのはヒロムがいちばん」(勉強家の弘くんは漢文もスラスラ読める)
延宝元(1673)年 「えんぽう(遠方)よりいちろ(一路)なみ(波)越え船きたる」
天和元(1681)年 「じゅうろくはい(16杯)も蕎麦くってんな」
「テン・ナイン・エイト……カウントダウンイベントでひろばはいっぱい」
貞享元(1684)年 「じょうきょう(状況)次第で ひろうはし(拾う箸)」(それしかなければ、汚いとか言ってらんない)
元禄元(1688)年 「げんろくおきらく 色ババア」(遊郭のお局様?)
……1600年代だけで13個もあるのかよ。改元しすぎだろ。
小学生のときなら覚えられたかもしれないけど、今からだと無理だなあ、きっと。
ヒロシやヒロコは、やらかしたりご立派だったり……一体どういうやつなんだ? という難しさもある。
あと、天和が相当ヤバいな。
めげずに1700年代、いってみよ~う!!(いかりや長介)
宝永元(1704)年 「ほう、えいご(英語)得意なのね、い~な~おぬし」
正徳元(1711)年 「しょうとく太子はいないひと?」(架空の人物説も)
享保元(1716)年 「きょうほの選手、いないね、無だね」(苦しい競技だからねえ)
元文元(1736)年 「げんぶん一致だ、い~な、さぶろう(三郎)」
寛保元(1741)年 「かんぽの勧誘、ひとでなしいちばん」(ひどかったねえ)
延享元(1744)年 「えんきょう(月の家 圓鏡)人気でひまなしよ」
寛延元(1748)年 「かんちゃんえんちゃん、ひまなしや」
宝暦元(1751)年 「宝の暦にイナゴいっぴき」(どういうカレンダーやねん)
明和元(1764)年 「めいわく千万、ひなんむし(避難無視)」(Jアラート?)
安永元(1772)年 「アンちゃんエイカップ、じゅうしちのなつ(夏)」
天明元(1781)年 「テンもめいわく(迷惑)、ひなんばい」(火の不始末で森林火災。避難ばい~博多弁のテン?)
寛政元(1789)年 「かんせいど高いなっぱくれ」(最上級の菜っ葉しかいらん)
円鏡は後の橘家圓蔵だね。「かんちゃん、えんちゃん」は大阪弁の漫才コンビってことでいいかな。
ティーンアイドルのアンちゃんは貧乳で夏は水着に苦労する? いや、俺はそのほうが好きだ(ペコパ)。
1700年代も12個もある。もう一息だ。1800年代に突入!
享和元(1801)年 「きょうはいい天気、はれいちばん」
文化元(1804)年 「文化勲章逃して、いや~、おしい!」
文政元(1818)年 「みぶんせいどなんて、いやいや~」
天保元(1830)年 「天保の飢饉ではさん(破産)。貯金ゼロだわ」
弘化元(1844)年 「こうかい(後悔)したくない。いやよ、し(死)ぬのは」
嘉永元(1848)年 「かえい(カレー?)作らせたら、いっぱしやね」(ココイチでバイトしてたからね)
安政元(1854)年 「あんせいにして、こしを治す」
万延元(1860)年 「いちまんえんで、ハムを買う」
文久元(1861)年 「なにぶんきゅう(なにぶん、急)で、ハローワークへいった」(いきなりリストラされた?)
元治元(1864)年 「げんじてんでは、無視してよろしい」
慶応元(1865)年 「慶應卒のむこ(婿)がきた」
……いやぁ、いきぎれですね~。
幕末は安政が「安静にして腰を治す」で1854年と覚えたら、そこからはめまぐるしく変わるから、「あんまんぶん、げんけい」(餡饅を賄賂に差し出したら、その分、減刑された)の順番でわずか10年ちょっとの間に元号が5つも並ぶ、と覚えておけばいいかな。
そんなこんなで、1800年代も11個あるのか。
「寛」がつく元号が5つもあるのがややこしい。
寛永元(1624)年、寛文元(1661)年、寛保元(1741)年、寛延元(1748)年、寛政元(1789)年。
寛永と寛政では160年以上離れている。でも、「寛」がつけば1700年代以前だと分かるので、狛犬の台座にこの文字があるとテンションが上がるかな。
しかし、関ヶ原の戦い(1600年)で家康が勝利してから戊辰戦争(1868年)で徳川政権がつぶされるまで、実に268年ある。
戊辰戦争から現在(2021年)までは153年。
寛永と寛政を読み間違えると、それより長い時間を間違えることになる。
太平洋戦争で日本が敗戦(1945年)からはまだたったの76年。
我々が「戦後」と呼んでいる時代は江戸時代の3分の1以下しかないわけだ。
江戸時代って、気が遠くなるほど長かったのだなあ、と、改めて思う。
こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。