見出し画像

原発爆発を知らない子供たち

近所の小学生2人(5年生の男の子と3年生の女の子)がやってきて、玄関前でネコと遊んでいる。

画像1

み~(茶虎・9歳)がいつからこの家に来たのか、と訊かれたので、「この家に来たというより、前に住んでいた村で捨てられてたのを拾ったんだよ。拾ったときは手のひらに乗るくらい小さかったんだよ」と言ったら驚いていた。

前に住んでいたのは福島県の川内村という、面積が千代田区の17倍ある山村。そこに住民は3000人もいなかった。3つあった小学校は統合されて1つになり、高校(隣の富岡町の高校の分校)も廃校になって消えた。

原発が爆発して全村避難となり、多分、その避難のために捨てられたのであろう子猫2匹を拾ったのは2011年の6月のことだ。あまりに小さくて、育たないまま死ぬかもしれないと思ったが、今では巨大化して、み~は8.5kgくらいある。

画像2

その話を小学生たちにした。ふたりは「原発が爆発して……」と言っても「何それ? ゲンパツ? 爆発? 爆弾が? なんか怖い」とか言っていて、1F(いちえふ)の爆発のことをまったく知らなかった。だから当然「避難する」という説明も通じない。放射能が……といっても何のことだか分からない。
私たちが空襲や原爆投下や万歳攻撃や特攻隊のことを、生身の体験ではなく、歴史上のこととして認識するのと同じで、この子たちはついこの前の原発爆発のことを伝聞としても聞かされていない、知らないのだ。改めて時の流れ、世相の変化というものを痛感させられた。
私たちの世代が原発爆発を語ることは、自分たちの親の世代が戦争体験を語るのと同じようなものになってしまっているのか……。

原発が爆発したとき、2人は「生まれていなかった and まだ2歳」だから、記憶にないのは当然なのだが、小学校でも教えないのかなあ。

画像3


私が彼らの歳の頃、東京オリンピックがあった。9歳だったけど、円谷がヒートリーに抜かされたシーンなどは覚えている。
選手村の入口に行って、背の高いジャマイカの選手にサインをもらったことも覚えている。そのサインはなくしてしまったけれど、サインと一緒に「200m」と書いてあったから、陸上200mの選手だったのだろう。決勝までは残れなかったようだ。
この子たちはそういう経験もできない代わりに、あるときから学校でマスクをつけさせられて、人と話をするのにも注意を促されるようになったという記憶は残るのだなあと思うと、ちょっと可哀想になる。

この子たちが今の私の年齢まで生きるのは、私たちの世代よりずっと困難だろう。どんな状況になっても生き延びる力と知恵を与えられたらいいと思うのだが、すでに身体がボロボロになっている高齢者の私には荷が重すぎる。

こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。