見出し画像

自己紹介

見出しの画像はfuwafuwamamekoさん撮影のものをお借り致しました。青空素敵!
今回は自己紹介を書いてみたいと思います。

概略

関西出身、関東在住、20代後半の女性です。
婚約者と愛犬と一緒に暮らしています。
転職エージェントでしたが、2021年9月頃に適応障害になり休職中です。
※婚約者、と書くのが手間に感じる時で記事中で「夫」と書いたりすることもありますが、厳密に言えば結婚前です。籍を入れていないだけで、交際期間のほとんどを「家族」として過ごしてきたので「夫」がしっくりきます^ ^

好きなこと・習慣にしていること
・読書(自己啓発系・歴史関連・メンタルヘルス関連が最近は多いかな)
・KPOP(箱推ししているグループが男女共に複数ある状態です)
・何かしら語学の勉強をすること(英語・中国語・韓国語)
・YouTube(ジャニのちゃんねる大好き。語学関連・韓国の音楽番組・ニッチなところへの旅行動画など、割と幅広く見ています)
・Notion(主治医に提出する体調記録やレシピ集、日記、学習計画・URL保存など多岐にわたって使用しているのでいつかまた記事を書きたいな)
・ブレストツールの使用(MiroユーザーでしたがGitMindに乗り換えるかも)
・Google Calendarでの行動記録
・入浴(快適な睡眠を得るために毎日マストで行うようになりました)

得意なこと
・ピアノ(社会人になってからあまり弾けていませんが...)
・情報収集(外国語だとまだまだですが、日本語は小さい頃の読書量が効いて、比較的短時間で大量の情報を仕入れることができる方だと自負しています)
・人の真似して量をこなすこと(営業職をしていた時に活きたスキル)
・自己暗示をかけまくること(間接的に適応障害の発症要因になってしまったのでこの特技は手放さないとな...と思っています)
・コミュニケーション(特に第1印象がいいみたいです。でもこれも発症要因なのでもう少し正直な人になろうと思います)

生い立ち

両親は元教師で、教育熱心な家庭に育ちました。思い出すと印象的なことが多いです。
・学校からの宿題は母親のチェックを通してから提出するのが家庭内ルールだったり
・世界地図、原子表、地球の歴史が壁に貼ってあったり
・家に日本の歴史マンガや図鑑、地図帳がおいてあったり
・毎週「週刊子どもニュース」を見るのがマストだったり
・朝日新聞発行の「しゃかぽん」「かがくる」を購読していたり
・土日に父親が1学年先の算数や漢字を教えてくれたり
・母親がよく科学雑誌を買ってきたり
・小2からECCジュニア(子ども向けの英語レッスン)に通わせてくれたり
・ガールスカウトに通わせてくれたり
・小4から中学受験向けの塾に通わせてくれたり
箇条書きで書きながら「父母共に文系なのに理系科目も教えることができるって凄いな」「時間も費用もめっちゃ投資されているな」と感じます。

一方で、教育熱心であるが故の謎ルールも多い家でした(笑)
・習い事のピアノに影響が出るので(?)大衆音楽を聴くのは控える(例えば当時はやっていたORANGE RANGEさんの曲はクラッシックと対極に位置するので(?)控えなさいと言われていました。反動でピアノ辞めてからめっちゃ聴きましたw)
・ピアノは1日2時間半の練習がマスト
・中学受験が終わるまでは親の許可したTV番組以外は禁止(上記の週刊子どもニュース、エンタの神様、香取慎吾さん主演の西遊記はOKでした。恋愛系のドラマやトークバラエティはダメだった気が...なので花男とかイケパラは世代なのですがリアルタイムでは見ていません)
・中学受験が終わるまではゲーム禁止(たまごっち持ってませんでした。DSは当時流行った「脳トレ」のみOKでした)
・ミニスカート禁止(痴漢防止の観点からいうと合理的なのかもしれませんが、周りの女の子はスカート短かったので...羨ましかったです)
・(高校から持っていた)携帯でのインターネットの使用は禁止
・携帯の自室持ち込み禁止

総合すると、特に小学生時代においてはかなり教育環境的には恵まれました。今私が社会に対して興味を持てていたり、関わりたい、役に立ちたいという思いを持ち続けられているのは、小さい頃の読書機会の多さや触れる情報の多さのおかげだったなと感謝しています。一方上記に書いた謎ルール(笑)がおそらく上記だけではなく、他の家に比べてもかなり厳しかったので、「教育目的とか関係ない純粋なエンタメに触れたい」「自分で物事を選択し判断したい(自立したい)」という気持ちもしっかり形成されていったように思います。今はこの謎ルール(笑)も笑い話として話のネタにすることができているのですが、正直なところ当時は「他の家の子に生まれたかった」と真剣に思っている自分がいました^^;

中学時代の不登校

他の人のこども時代と比較して特徴的な出来事があったとすれば、中学3年生の時に不登校になったこと、そして高校は通信制だったことです。
小学校5年生頃から、友達との関係をうまく構築することに失敗することが増え、他の子に比べても多い頻度で仲間外れになることがありました(運よくグループの中にいれた時は加害者側に回ったこともあり、相手の子達に対して今も申し訳なく思っています)当時の自分が周りの女の子たちにどう見えていたのかはっきりとはわかりませんが「嫌なやつ」「ねちっこいやつ」「芋臭くて一緒にいるのが恥ずかしいやつ」「仲良くしても特にメリットはなく、楽しくないやつ」だったのかな...と推測しています。
「学校の人間関係=世の中の全て」ではないということは、大人になった今となっては「そりゃそうだろ」と自明なことですが、当時の自分にとってはそうではありませんでした。小5くらいから頻度高めで湧いてくる自殺願望と戦っていましたが、中3のクラス替えのタイミングでグループに入り損ねたのを気に、エスカレートしてしまいました。それまでは父母ともに私をなんとか学校に行かせようとし、時には学校まで私を車で送っていましたが、自殺未遂を機に「死ぬ位なら学校に行かなくていい」と家にいることを受け入れてくれて、不登校が始まりました。不登校時代については別途noteを書いてみたいと思います。

通信制高校への進学と大学受験

不登校になったのを機に、内申が取れなくなったのと、体調を不登校前よりもさらに崩してしまったので、「週5通学ではない」私立の通信制高校に進学しました。不登校にならずに中学に通い続け、内申もそこそこ取れていれば、お金のかからない公立に進学できていたのかな...と後ろめたい気持ちでいっぱいだったのを覚えています。

通信制高校に通いながら、中3の途中からお世話になっていたフリースクールにも並行してお世話になりました。フリースクールでは、英語と数学の遅れを取り戻し、歳上のお兄さんお姉さんとたくさん遊んだり会話したりして、徐々に自信を取り戻して行くことができたように思います。

無事高校に進学できた後もそのあとの進路について心配していました。親に金銭的な迷惑をこれ以上かけたくない、でも学ぶのは結構好き、の折衷案で高2までは関西圏の国公立大学受験を念頭に勉強していましたが、数学を1日中勉強しても成績が上がらず、高2の終わりごろのある日「親に気を遣って国公立目指して浪人するよりかは現役で私立に行ってほしい(=数学を受験科目から外してみたら?)」両親から提案を受けました。今思えば「浪人も悪いことじゃないじゃん」と思うのですが、実は私立の併願先として気になっていた大学の学部が関西圏にあり、「じゃあそこを第1志望にするわ^ ^」と親の提案に乗っかり、高3は英語・国語・世界史の勉強に全振りしました。
通信制高校に通いながらの大学受験は結構ハードです。この経験についてはぜひまた別のnoteで何を心掛けたかを記載してみたいと思います。

大学時代

無事第1志望の大学に合格し、卒業までの4年間、様々なことを経験しました。
・はじめての1人暮らし(1年だけ)
・サークル(最初は英語、その後ピアノ)
・ゼミ活動(国際政治学でした。1年の時も3年の時もリーダー的な立場に立候補してしまい(汗)たくさんの人に迷惑をかけたなー...と反省)
・北京への短期留学(中国は結構気に入って、上海・重慶・吉林省にも行ったことがあります)
・韓国や中国の大学に出向いて現地の学生と英語でディスカッション
・台湾・シンガポールへの旅行
・バイト

「学費の元をとろう!」というケチな精神バリバリで、楽単と正反対の「授業中の発言を見られる」「宿題多い」「出席取る」「エッセイある」「プレゼンある」「テストある」なキツ単な授業ばかり受けてる変な学生でした(学生の本分を頑張った、ということでもあるから、この辺を就活で聞いてくれればいいのに...てめちゃくちゃ思っていましたw)

卒業単位の半分を英語メインでとってもOKということもあり、留学には行っていないもののアメリカ式の授業を何度か経験することができたのも良かったです。きつすぎて落とした単位もあるけどね^^;

長期の留学に行かなかったことと、浅く広く勉強してしまったことを後悔しているけども、今思えば大学時代でようやく同世代とのコミュニケーションを取り始めて、いわゆる普通の大学生を送ろうとするだけでも精一杯だったのかもしれないな、と思ったりしています。

4ヶ月半の早期退職

結論から言うと就活には失敗しており、その結果が新卒で入った会社を4ヶ月半で早期退職してしまったことにつながります。この話は長くなりそうなので別noteに分けますが、その後、中途採用で入れていただいた会社(現職)で転職支援のお仕事に就くことになります。

現在〜休職と適応障害〜

こちらに関しては現在進行形でまだ過去にはなっていないので、整理が追いついていないのですが、
転職エージェントとして働いている最中に発症しました。
最初は体の火照り。37.2度の熱。時期的に「コロナか?」と思い、上司に「体が熱いです。コロナかもしれません。PCR検査を受けれるルートを探します」と電話した日のことは今でも忘れません。
しかし、次の日になって、体の火照りはそのままなのに体温計だと36度台後半を連発。東京都のコロナ窓口の人にも「熱が低くてコロナじゃなさそうだからPCR検査を案内できない」みたいなことを言われました。
同僚に相談すると「自律神経が乱れているのかもしれませんね」と。私自身も中3の時にも自律神経失調症と診断されたことがあり、なんとなく症状が似ていると感じました。その後心療内科を受診し、暫く会社を休むことを勧められて今に至ります。

半年は人との繋がりも絶って休息に専念(といっても最初から上手に休むことができたわけではない。)主治医が婦人科や内科もイケるスーパーハイスペックだったおかげで、適応障害を発症する前からあった「頻発する頭痛」「月経困難症」についても治療を行いました。鍼灸院にも通って、体調が安定し始めた頃にリワークを開始。現在も通所中です。

発症要因については今リワークで分析している最中なのでまだ確定できていませんが、メインなのかなと思っています。
・小さい頃に他者とうまくコミュニケーションが取れなかったことがコンプレックスだったことから、高校〜大学、社会人になってからもコミュ力に磨いて自分なりの武器に変えた。言ってしまえば若干無理をしてしまっていたがそのことに気が付かず体が体調不良という形でアラートを上げた。(体調を崩したとはっきり認識した時、「10年分の負債が今来たのか....」と思ったのを昨日のことのように思い出します)
・小さい頃からの自己肯定感の低さを放置してしまい、「あるがままの自分」を受け入れることができない。自分のことが大嫌いなのに、私のことを信用してくれているクライアントがいる。口や態度にはもちろん出さないけど「こんな私のことを信用して大丈夫?」とクライアントのことを心配してしまう。この状況(矛盾)に耐えきれず体がアラートを上げた。
休職と適応障害についても、またいつかnoteを書いてみたいと思います。

まとめ

ここまで自分の人生を振り返ってきて、これといったまとめ方がわからないと言うのが正直です。綺麗なまとめ方を現時点では用意することができない。読み返してみてもコンプレックスが溢れまくりだなあと思います。でも、「完璧主義をやめる」。これは今後の私が少しでも私らしく生きることができるようになるために必要なことだと思っているので、未完成ですが一旦公開しちゃいます。あとで気になった箇所があれば追記や編集すればいいしね。

今回のnoteで少しでも親近感を持ってもらえると嬉しいなと思います。以上となります!


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?