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産休・育休から復帰して思う、女性の「心のブレーキ」問題


女性活躍へのいまの想い

私はいま、コーチングサービス「mento」を運営する株式会社mentoで取締役COOをしています。
2年ほどの不妊治療を経て、今年4月に第一子を出産し、約3ヶ月間の育休を取得、7月に仕事復帰したばかりの母でもあります。

「女性活躍」というキーワードは、喉元に刺さった小骨のように私のキャリアとアイデンティティに引っ掛かり続けてきました。数字で見れば明らかな性別格差があるのに、「性別の問題ではない」「この問題は解決されつつある」と愛想笑いをする自分は、反感を買うのが怖くてこのテーマから逃げていたんだと思います。

しかし妊娠出産という経験を経て、このテーマについて感じることが圧倒的に増えたましたし、娘が生きていく社会を良くしたいという想いも一層強くなったので、これを機にnoteにしてみようと思います。

何を女性の「活躍」とするかには、もちろんいろんな解釈があるべきだと思います。しかし、いまの自分の関心は「重要な意思決定の場に影響力を持つ女性をいかに増やせるか」ということにあります。あらゆる側面で女性が活躍しやすい社会を作るために不可欠なことだと感じるからです。

時代は確実変わっており、国内外問わずこのテーマが重視されるようになりました。当事者たちが戸惑いを感じるほどに追い風です

労働力の問題もあり、誰もが女性の活躍を願うようになったいまこの社会において、最終的にハードルになるのは「葛藤(心のブレーキ)」の扱い方であるという自分の考えと経験をまとめ、志を同じくする誰かと、何かのきっかけになれば嬉しいと思っています。

男性育休取得率は過去最高の3割超

今年7月厚生労働省が毎年実施している「雇用均等基本調査」で、2023年度の男性の育児休業の取得率が30.1%だったと発表されました。これはかつてないほどの大幅上昇であり、取得期間も伸びているとのことです。

株式会社ワークライフバランス プレスリリースより抜粋

事実、私の夫も私より長く育休を取得してくれており、彼の協力なくしては今の自分はないと思っているので、本当に恵まれた環境、恵まれた時代に生きられていると感じます。

2023年にノーベル経済学賞を受賞したクラウディア・ゴールディン著『 なぜ男女の賃金に格差があるのか 女性の生き方の経済学 』(鹿田昌美訳/慶応義塾大学出版会/2023年3月刊)では、米国での100年にのぼる男女賃金格差の変遷を辿っています。

1878~1897年頃に生まれた女性たちは「家庭かキャリアか」の選択を迫られ、大卒女性のうち半数は子どもを持たず、そして子どもを持った残りの半数のうち、一度でも仕事をした人はほとんどいなかったそうです。

その後も「仕事のあとに家庭」、「家庭のあとに仕事」、「キャリアのあとに家庭」と、女性たちは仕事を前倒しにしたり、先送りにしたりしながら、女性たちは必死に両立を試みてきました。

各世代が、前の世代の成功と失敗から学び続けていまがあります。

女性活躍が「奨励」される時代、それでも。

女性のキャリア選択において、「本人が希望する選択」「可能だった選択」「奨励された選択」「実際に下した選択」は独立に存在します。

かつては、女性が「可能だった選択」が極端に少なかった時代がありました。

アメリカではマリッジバー(marriage bar:既婚女性の雇用を制限する法律と会社の方針)が1940年代まで横行しており、それは、時間と共に乳幼児や小さな子どもを持つ女性を除外する規制へと姿を変えました。数え切れないほどの仕事が、性別、結婚歴、そして人種によって制限されていたのです。

日本においても1985年男女雇用機会均等法までは、性別を理由に募集や採用、配置や昇進、教育訓練や福利厚生、退職や解雇を区別することがまかり通っていました。

その後続くのは、「奨励された選択」に縛られる時代です。公式ではないにせよ、コミュニティや家族の社会的規範は、幼い子どもを持つ母親は働くべきではないという強いメッセージを出していました。「女性は家庭に」というステレオタイプはとても強く、20年ほど前まではM字カーブやマミートラックが大きな社会課題でした。しかし、こういった状況も大きく改善されつつあるといいます。

女性が結婚や子育てをしながら働くことへの理解や制度改革は進み続けています。いよいよ女性たちが「キャリアも家庭も」を選択することが、"可能"になり、"奨励"もされる時代が訪れつつあります

それでもまだ、男女の格差の問題は思うように埋まっておらず、女性の活躍は限定的です。男性的な企業カルチャーの中で、どこか自信がなかったり、心理的な葛藤を抱えている女性はたくさんいます。管理職になる女性も増えてはいますが、ガラスの天井は確かに存在し、役職が上がるほどに女性比率は下がっていきます。スタートアップにおいても、社員は女性比率が高いことをうたっていても、いざ幹部の顔写真を見てみれば男性だらけの企業が多いです。

「女性は、出産・育児をはじめた途端に、社会的弱者になる」という昔聞いた話が、いまも心に刺さっています。 私自身も子供を産んでみて、本当に社会はこのままの方向で変わり続けるのか半信半疑でいるというのが正直なところです。いくら多様性や男女平等を謳っていても、本音では「ビジネスの場でそんなぬるいこと言ってられない」と思っている人が大半で、場面によっては、ちょっとの風向きで突然切り捨てられるんじゃないか、と疑う気持ちは0になりません。

次の5年に、大きな希望と不安を抱いています。

男女共同参画白書令和3年版  I-2-12図階級別役職者に占める女性の割合の推移丨内閣府 男女共同参画局

「奨励されても、なりたくない」が次の課題

差別的な制度は撤廃され、固定観念が見直され、さあどうぞ活躍してくださいと言わんばかりの舞台が整いつつあります。それでも、「管理職になりたい」と一歩踏みだす女性は一部です。

特に日本の大手企業で働く女性の多くは、「自分はリーダーに向いていない」「今のままで十分である」と口を揃えて言います。

もちろん管理職になることだけが成功ではないし、本当に望まないのであればそれを尊重するべきだと私も思います。そもそも管理職になりたい人自体が減っているという話もあります。

しかし中には、自分が抱える困難を総合的に考えた結果、「(この状況が変わらないのであれば)管理職にはなりたくない」という条件付きの意志であるケースが少なからずあるように思えてならないのです。こうした意見の裏側にあるのは、絶対的な意欲不足ではなく“漠然とした心のブレーキ”であるように思います。

多くの女性は、結婚や出産をして実際に問題が起こり始めるずっと前から「家庭と育児の両立」について悩み始めています。仕事に全力でアクセルを踏もうとするたびに「子どもを持つようになったら、この働き方はできないのではないか」「家事育児がある中でこれ以上責任を負ったら、チームに迷惑をかけないか」という先の見えない不安が毎回ブレーキとなって足を止めます。「頑張りたい」というアクセルと同じくらい「自信がない」「ほどほどにしておこう」というブレーキが働く構造があるのです。心のブレーキは女性から貪欲さを奪い、長い時間をかけて大きな格差を生み出します。

選択肢は大幅に増えて自由な時代になったはずなのに、女性の意識と心はまだまだ自由ではありません。この潜在的な「葛藤」をいかに扱えるかが、女性活躍における次のテーマであると考えます。

女性活躍を阻むのは「葛藤」である

働く女性における心のブレーキとは、複数の理想を追うことによる「葛藤」だと考えます。

女性管理職の中には、「女性」「リーダー」「妻・母」という3つのあるべき理想を生きている人たちがいます。これら3つは世の中の固定観念によって全く独立で定義され、トリプルバインド(矛盾した複数の命令を受け取りながらも、その矛盾を指摘できないままどちらにも応答しなければならない状態)として私たちを縛ります。

「女性」×「リーダー」で苦悩していた自分にも、最近、「母」という重要なラベルが追加されました。

トリプルバインドの中で、誰かに定義されたシナリオを100点満点で演じるのは針の穴を通すより難しいことです。

管理職として優秀で、育児も家事も順調にこなし、仕事もバリバリ。身嗜みも美しく常に笑顔、というキラキラなロールモデルが語られる度、全てを完璧に頑張れと言われているようで辛くなる、という声を聞きます。しかし、うまくやれている人がいるからと言って、自分たちも全く同じにやらなければならないわけではありません。

「自分はもっと○○であるべき」だと決めつけ、完璧さを求める心こそが呪いであり、これがゲームの難易度をとんでもなく上げていることに私たちは意外と気付けません。

私自身も、少なからず葛藤を経験してきました。

「調和を重んじる自分は、頼りないリーダーと思われているのではないか」
「このタイミングで3ヶ月も休むなんて経営者失格ではないのか」
「こんなに小さいのに保育園に預けて娘が可哀想じゃないか」
「夫に育休をとってもらうことは妻として申し訳ないことではないか」
「出社で母乳育児ができなくなったら娘に申し訳ない」

リーダーとして100%期待に応えると、母親として不完全に感じる。
女性として100%期待に応えると、リーダーとして不完全に感じる。

女性管理職にまつわる葛藤は全て、古今東西どこかから借りてきた「あるべき」のぶつかり合いです。

「あるべき」は、私たちを理想へと駆り立てる原動力になる一方で、私たちの人生を縛るものでもあります。本来マネジメントや家事育児はもっとシンプルで気楽なものかもしれないのに、「あるべき」によって無数のハードルが装飾されていくのです。これらを書き換えない限りは、自分や他者からの膨大なリクエストに応え続けることになります。

毎晩のように上司や部下と飲む、喫煙所で仲良くなる、毎日手料理をする、シッターに頼らずに子どもをお世話をする、いつも笑って愛想良く。

本当はそんなことできなくても良いのかもしれないのです。

完璧じゃなくても、ステレオタイプじゃなくても、自分が本当に必要だと思った最低限を楽しみながら体現するだけでいいのかもしれない。そう思います。

なぜ「葛藤」に着目すべきなのか

男性の価値観を中心に作られてきたこの労働社会は、多くの女性にとって居心地が悪くて当然にも関わらず、多くの葛藤は「ないもの」として扱うのがビジネスマナーとでもされているように感じてしまいます。

「もっとポジティブに捉えられないか」「気にしすぎである」「本当にそれは向き合うべき課題なのか」「そんなこと気にしていたらキリがない」「できている人もいるじゃないか」とそんな言葉を聞く度に、葛藤を感じる自分が弱くて悪いのだと、心の摩擦をしまい込んできました。

走れなくはないけど、走りにくい。疲れる。みんなが整備されたトラックを走っているのに、自分だけが坂道を走っているような、そんな感覚になって、女性たちはいつしか、誰にも相談することなく自分と自分のキャリアをそっと諦めてしまうのです。

一方で、「本人にしかわからない感情や葛藤がある」という主張だけでは何も生まれないとも思います。「女性は気難しいなあ」という感想とともに、腫れ物扱いされて終わりなのではないでしょうか。女性部下や女性上司の扱い方に関する記事やハウツー本が多く世の中に出回っていることからも、コミュニケーションのプロトコルの違いに苦戦する人は双方多いのだと思います。

しかし、「女性の管理職就任は3回打診しよう」「女性には『なぜあなたなのか』の動機づけが重要」といったコミュニケーションノウハウもまた、枝葉の話ではないでしょうか。「なぜ打診を受け取れないのか」「なぜ自信が持てないのか」という相手の価値観への理解なしに表面上の言葉だけをパターン化しても、「めんどくさいやつだ」「気を遣う」という相手への印象は変わらず、一緒に働いていても双方コミュニケーションコストは高いままです。「いちいち感情に配慮して話すことはできない」と3日と持たず匙を投げることになるでしょう。

相手の「葛藤」を恐れずに理解しようとすること、自分の「葛藤」を理解し、伝達すること。一見ビジネスの場にそぐわないように感じるこのプロセスを相互に踏むことこそが、中期的に見れば逆に生産的だというのが私の意見です。

簡単なことではないですが、少なくとも双方コミュニケーションハウツーに頭を悩ませている時間よりは有意義です。根源的な正解は本人しか持っていません。数時間におよぶ表層的な会話よりも、たった30分の本音が関係性を大きく変えるものだと私は考えます。

私はなぜ、自分の活躍を愛せないのか

私も大人になってようやく客観視できたことですが、私自身もまた、分厚くて歪んだ価値観のフィルターを通して世界を見ています。

私が抜けられないシナリオは、「なにごとも自分じゃない方がうまくいく。自分が活躍しても喜んでくれる人なんていないんだから、他の人に華を持たせた方がいい。」という結論にすぐ結びつけてしまうことのように思います。

これは5年前に書いた入社エントリですが、私の社会人生活は「私じゃない方が良い」という葛藤で溢れており、これはmentoで働くようになってからもことあるごとに顔を出して私の邪魔をしてきました。

「もっと頑張れたんじゃないか」「また失敗した」「なんで私はいつもこうなんだろう」「あの人に迷惑をかけたんじゃないか」「あの人ならもっとうまくやれる」「私じゃなくて本当はあの人がやったほうが良い」「あの人はきっといま私に怒っている」

自分を責める声がとめどなく自分の中に流れ続けて自分を苦しめ、気づけば仕事の生産性を下げたり、人の粗探しをさせたり、やりたいと思っていたことを途中でやめさせたりするのです。そんな私をさらに私が責めます。

「メンタルが弱い」「人の言動を気にしすぎる」「完璧主義もほどほどに」そう行ってしまえば簡単なのかもしれません。やめられるものならすぐにでもやめたいです。でもこれが私の心の天然パーマであり、自分の意志とは関係なく無意識にそうなってしまうのです。

筆者入社エントリ「リクルート、メルカリを経てコーチングのスタートアップへいくまでに感じてきたことのすべて」より

このときは「心の天然パーマ」と表現していますが、これはTA心理学でいうところの「人生シナリオ」なのだと後に知りました。誰もが、幼少期のころに形成された考え方やパターンが、大人になっても無意識に繰り返されるのです。「自分が○○すると、○○な結果がおきるはずだ」と。それは子ども時代に両親(養育者)の影響をうけて発達し、その後の人生体験によって強化、固定化されるものとされています。自分も振り返れば思い当たる節は大いにあり、ジェンダーの問題も大きく影響を受けています。

私は地方で生まれました。昔の我が家には、「男の子は学歴が必要。女の子は愛嬌と手に職があれば十分」という価値観が割とナチュラルにあったように思います。私には5歳上に兄がいますが、裕福な家ではなかったので2人分の十分な学費や下宿代は用意できず、私が進路を決める頃には、私に使える学資はほとんど残っていませんでした。

それもあってか、私は勉強がかなり得意な方でしたが、両親から「女の子がわざわざ勉強を頑張って競争社会で戦うことはない」「男と張り合って働く女性は苦労する」「女の子が地元を出てしまうのは寂しい」という言葉がけをされることが多く、肩身の狭い思いをしながら受験勉強をしていました。

自分が努力をしたり成果を出したりすることが、社会に歓迎されないことのように感じるようになったのは、この頃からだと思います。
(ちなみに両親とは当時もいまもとても仲が良く、100%の善意で言ってくれていたことはとてもよく理解しています。両親は大好きです。)

誰に言われたわけでもなく、私は小学校から高校まで自分の成績を周りにずっと隠していました。成績が良いことが周りに伝わっても、疎まれるだけで何一つ良いことがないように感じていたのです。

そんな環境でも頑張って勉強をして、上京をして、学費と生活費を自分で稼ぎながら必死に大学に通っていた自分を心から誉めてあげたいですが、大学に入ってからも「東大女子はモテない」だの「可愛げがない」だの「結婚に苦労する」だの言われ、女が優秀であることは望まれないことなんだという自分のフィルターはどんどん分厚くなっていきました

東京大学元教授の上野千鶴子先生はこの現象を「アスピレーション(達成欲求)のクーリングダウン(冷却)」と紹介しています。

東大の女子学生比率が2割を超えない理由は、応募者が増えないからです。これを「女性の自己選択の結果だ」と言う人もいるようですが、先ほど述べたように、女子には「男子を脅かさない存在であるべき」というプレッシャーが働きます。親も「女の子は無理して東大を受けなくてよい」とか「東大に行ったらお嫁に行けない」などと誘導したりする。その結果「アスピレーション(達成欲求)のクーリングダウン(冷却)」が起きます。自己選択そのものが、性差別の結果なのです。

https://toyokeizai.net/articles/-/283309?page=2

社会人になってからも、「若い女性は愛嬌を武器にした方が上手くいく」「女の子ってだけで手伝ってくれる人がいるからいいよね」といった言葉をかけられたことは一度や二度ではなく、私個人の優秀さは軽視されるものなのだという思い込みは強くなりました。

この話は、管理職としての私の「葛藤」とそのまま結びついています。心理的に負荷がかかる度に、「自分はリーダーにふさわしくないのではないか」「私がリーダーシップを発揮することを周囲は疎ましく思うのではないか」という声がすぐに聞こえてきます。

「この社会は本来別の誰かが活躍するために用意されたステージで、自分はそこで間借りをして頑張らせていただいているだけのアウェイな存在であり、主役である"誰か"を脅かしてはいけない」という意味不明な固定観念を持っている自分に、コーチングセッションの中で気付いたのは最近のことでした。

自分の成果や活躍を認められず、失敗はすべて自分が至らないせいだと自己否定し、不安になりやすい自分。自分の痛みにも人の痛みに敏感で、影響を受けやすい自分。何かにつけて誰かを喜ばせようとしてしまう自分。

ビジネス書やドラマに出てくる猛々しいリーダー像からはほど遠い自分を認めることはとても難しいですし、営業や調達の場でも男性の比率は高く、自分は十分に役割を果たせているのだろうか、会社にとって不利な印象を与えていないだろうかという後ろめたさを抱えていました。

「男性社会で私の気持ちが理解されることなんてないんだ」と拗ね散らかす日もありましたが、月日を経て思うのは、そりゃそうだ、なのです。

私の世界は私のフィルターを通してできているのだから、誰かが阿吽の呼吸で心地いい言葉をかけてくれたりはしない。どれだけ不満を言っても、世界は私のために変わってはくれない。私がいまの価値観になったのは他の誰かの発言がきっかけかもしれないけど、それに恨み言を言っていてもなにも変わらない。

私の価値観のフィルターを変化させることができるのは、私だけです。結局は、私が私の「葛藤」をうまく扱い、説明可能になるしかないのです。

そしてこの話はきっと女性だけではなく、自分を弱者だと認識して葛藤を抱えるすべての人に当てはまるのではないでしょうか。

完璧じゃなくていい。勇気ある女になりたい。

制度が変わり可能な選択肢が増え、価値観が変わり奨励される選択肢が増えてなお、女性たちの多くは心の「葛藤」を抱え立ち止まっています。

本人にしか分からない葛藤は山ほどある。しかし、それを乗り越えた先には遥かに自由で豊かな人生があると私は信じています。その世界を夢見る前に、「いまで十分」と自分を諦めてしまうのは余りに寂しいことだと思うのです。

いまの私の関心は、「(企業内に限らず)重要な意思決定の場に影響力を持つ女性をいかに増やせるか」ということにあると言いましたが、この思考だけでは不十分であることも理解しています。

「真の男女平等を実現するためには、リーダーとなる女性がもっと増えなければならない」。働く女性にキャリア構築に対してもっと前のめりになるべきだと説いた、フェイスブック元COOシェリル・サンドバーグの著書『リーン・イン 女性、仕事、リーダーへの意欲』は、2013年に出版されると働く女性たちから圧倒的な支持を獲得しました。

同時に、大きな批判も受けることになります。

つまり、『リーン・イン』は社会変革を起こすような本ではありません。企業の出世階段をのぼっていく女性に「自助努力」を促すだけの本、「女よ、男性社会に自分を合わせろ」と命じるだけの本なのです。

本来なら、女性の権利は有給の育児休暇や強力な福祉で集団的に守られるべきです。しかし、サンドバーグの言うような企業フェミニズムは、集団的な政治行動ではなく、個人の努力によって女性の権利を向上させようとしています。

そのせいで、エリートの女性は男性的な価値観の競争社会に巻き込まれ、富を築く一方でワーク・ライフ・バランスを欠いた生活を強いられます。一方、家事労働などで搾取される側の女性の権利はいっこうに向上せず、女性間に分断と格差が生まれているのです。

クーリエ・ジャポン「『リーン・イン』は女をさらに不幸にした!」

かつては男性だけが参加していた出世レースに女性が加わり、「一握りの1%の勝者と99%のそれ以外の者を生み出すシステム」に男女双方が投げ込まれる社会が始まったというのです。「男性社会に合わせて頑張る女性がいるせいで、みんなが大変になったんだ」という批判の声も浴びるようになりました。

それから10年以上が経ち、それらの意見を踏まえて尚、やっぱり『リーン・イン(一歩踏み出そう)』だと私は思うのです。

大変でも、不自由でも、一歩踏み出す人がいなければ何も起こらない。重要な意思決定の場に多様な生き方をする女性がもっと増えれば、この社会のルールはもっと器が大きいものになると信じています。そしてそれは労働人口が減っていくこれからの日本に不可欠なものではないでしょうか。

一歩踏み出したら、大変なのかもしれない。すでに最前線で戦っている女性たちの背中を見ながら、「自分はあんな風にはなれない、なりたくない」と、私たちは心の分断を繰り返してきました。

私自身、活躍する先輩女性たちを見て、「こういうのは、優秀なだけではダメで、男性に負けないくらいはっきり発言できる性格で、職場のカルチャーもリベラルで、家族も応援してくれて、尚且つ人の何十倍も努力した人だけが、偶然辿り着ける境地であって、自分には無理なんだろうな」などと長々考えていました。

でも自分が頑張った先に次の世代を振り返ったら、「たんげさんだから出来たんですよね。」と言われてしまう未来を考えると、どうにもやりきれない気持ちになりました。

頑張ったって、ビジネスでの成功が手に入れられるのは全員じゃないかもしれない。だけど、手にいれる可能性すら持てないまま、社会を変える重要な意思決定に打席を持てないまま、「女性は愛嬌」と言われて収まっているよりはずっと良いと思うのです。

あえて「女性」と大きく括ってきましたが、私の言っていることに全く共感できない女性もいて当然だと思います。それはそれで素晴らしいことです。私が語りかけたいのは、いま、本当は頑張りたいのに自信が持てない、葛藤と孤独を抱える人たちです。

誰にも言われてないのに自分を否定する声がする。このままではいけないと思っているのに、アクセルを踏もうとすると大きなブレーキがかかってしまう。心が上手く扱えなくて、自分のエンジンを動かせない人たちです。

全員でなくていい。だけどほんの少しだけ、勇気を出して、「自分もできるかもしれない」と思える人が増えるだけで社会は変わり始めると思っています。最初は大変かもしれないけど、理想に数が追いついて来たとき、それが一気に当たり前になると思うのです。

いまの姿は、思い描く未来は、本当に100%でしょうか。「世の中はきっとこんなものだろう」というシナリオの中で、何かを引き算して、ちょうど良い自分で諦めようとしていないでしょうか。誰かのシナリオに囚われて、自分自身を過小評価する必要はないと思っています。

自分が自分を諦めないですむように。「あるべき」というブレーキにとらわれて動けなくなることがないように。自分のアクセルを100%解放できる人が1人でも増えるように。

「たんげができるなら自分もできるかもしれない」と勇気を持てる人が、たった1人でもいてもらえるように、リーダーとして、できるだけダサく、明るく、楽しく、大きく、カッコ悪く生きる勇気を持ちたいと思っています。そして、性自認に関わらず、誰もが活躍できる社会、とにかく楽しそうに働くリーダーを増やしたい。

だから私は、完璧でなくても良い。勇気のある女になりたい。
mentoを通して誰かの「葛藤」に寄り添い続けたい。

育休復帰は、私の仕事人生の第二章です。
私なりに、娘に胸を張れる働き方をしたいなと思っています。

娘はもうすぐ5ヶ月になります

最後に

3名の方に私が無償コーチングをします🗣

女性管理職、または管理職を志す方を対象に、私が個人的に無償でコーチングを提供します。興味のある方は、ぜひご応募ください。

  • 対象: 管理職 または 管理職を目指す女性(性自認が女性の方を含みます)

  • 内容: 60分のオンラインコーチング×3回

  • 応募方法: 下記フォームよりお申し込みください

  • 募集人数: 3名

  • 応募期限: 9月30日(月)

  • 当選結果: 10月末までにご連絡します

※お申し込みの際に提供いただいた情報は、厳重に管理し、第三者に共有することはありません。コーチングは私個人によるもので、mentoのサービスとは無関係です。

お申し込みフォームはこちら

なにか一緒にやれそうな方、DMください💌

このnoteを読んで何か共鳴をしてくださった方は、Xまでお気軽にご連絡ください。私1人でできることは少ないので、仲間が作っていけるととても心強いです。

https://x.com/tantantantan23


株式会社mentoについて

「夢中をふつうにする」

情報があふれ、無数の「正解」が手に入るこの時代だからこそ、人が自分らしく夢中に生きることをふつうにしたい。 私たちは世の中を人間のこころから変えていく挑戦を進めていきます。

法人向けコーチングサービス「mento for Business」

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