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パッと見で判断してしまう

俯瞰するために全体像を見たい、と思うことがあるんですけど(主に仕事)、先に全体像を見てしまうと、それに圧倒されてしまって手も足も出ないというか、自分には無理だなぁ、なんて思うことが最近多いです。

後者は主にSNSとかだったりしますけど。

パッと見でステキなモノが目に入ってきて(イラストとか写真とか)、「私もこんな風になんか作ってみたい」とか思うんですけど、もうなんかその人が凄すぎて、瞬間諦める、みたいな。

凄すぎるその人だって、初めは小さなことから始められたでしょうし、SNSを遡ればコツコツと積み上げてきたものとかがわかったりするのですが、なんかやっぱり表面だけをサラっと見て、いろいろと勝手に判断してしまう自分がいます。

こんな風になったの、いつからなんだろうと正直思います。

昔(若い頃)は、相手の背景にあるものにとても興味があって(それこそがその人の感性であり、考え方であるため)、そこから「その人」を知りたいと思っていたんですけどね。いつの頃からか「背景を知りたい」と思うことがものすごく減ってしまいました。

それは関わる人が増えたのか、純粋にコミュニケーション不足なのか、人と深い部分まで接する機会が減ったからなのか・・というようなところだとは思うのですが。

不思議ですよね。
いろいろなことがシステム化されて、生活は楽になって余裕ができているハズなのに、常に時間に追われている感覚が抜けない。
「みんな忙しいから」と、なかなか会ったり話したりする機会もない。何なら相手に時間を使わせることを申し訳なく思う。
みんな、何に時間を使っているんでしょうね。(って少し前までの私は仕事でしたが。やっぱり仕事なのかな。もちろん、働き方や内容によると思いますが)

まるで「時間どろぼう」に時間を奪われた「モモ」の世界観のようだなぁ、と思ったり。

時間がないから、余裕がないから、その背景や周辺を理解できない、理解しようとしないし、理解したいとも思わない。だから「ぱっと見」で判断してしまうことが増えているんだろうな、と思ったりします。

やっぱりここ数年、心を亡くしていたようです。ずっと立ち止まりたかったし、早く終わって欲しかったし、終わらせたかった。
心を亡くすと書いて「忙しい」って本当ですね。人としての感性を取り戻したいですね。

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