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オバサンなのかそうでないのか

歳を重ねるとどうしても「歳だから」とか「昔は」とか言いたくなったり思ってしまうことがあるんですけど、それを言い訳に言いたい放題やりたい放題になってることがあるような気がします。

言ったモン勝ちとか、どうでも良い詮索をしたりとか、噂話を広めたりとか。性格的なものももちろんあるとは思うのですが、感覚としてこういうのが「オバサン」なのではないか、とふと思いました。

若い時ってやっぱり恥じらいとかあると思うんですよ。なので「カッコ悪いから」とか「みっともないから」とかある程度の自制を効かすことができるんでしょうけど、オバサンになると世間への慣れからか何なのか「これくらいいーじゃん」みたいな開き直りというか甘えのようなものが全面に出てしまって「デリカシー」という言葉すらも忘れてしまう状態になってしまうのでは、と思ったんですよね。

このところ自分もそういう節があったような気がするのですが、やっぱりみっともないものはみっともないし、環境に流されずにある程度の節度は持っていたいと思いました。

というか、昔あった「オバタリアン」って言葉は、そういう態度を揶揄していたんだなぁ、と。(ってしみじみ思うことでもないけど・・)

「歳を重ねること=オバサンになる」と思ってたけど、大事なのは歳の重ね方で・・・なんて書くとキラキラ女子エッセイ風になってしまうけど、やっぱり年齢ではなく態度や立ち居振る舞いがオバサンかそうでないかの分かれ道になるのでは、と思います。

肌や髪やファッションに気を遣うのも大事ですが、それ以上に自制の心が大事なんですよね、きっと。

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