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「義理人情」と「忖度」

ふと、「義理人情」と「忖度」ってある地点から見れば似ているのかもしれないと思った。遠くから見ると蝶と蛾の見分けがつかないように。

どちらも相手が喜ぶことをすることでつながりを深めている。
でもなんとなく、「義理人情」は真っ直ぐで「忖度」は歪んでいる、
というもやっとしたイメージの違いがある。改めて、この二つにはっきりとした線を引くならどのような線になるんだろう。

言葉としての意味を調べてみると、

ぎりにんじょう【義理人情】
過去のいきさつやしがらみのために避けられない付き合いや、人に対する思いやりのこと。

goo辞書

そん‐たく【×忖度】
[名](スル)他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手配慮すること。「作家意図を―する」「得意先の意向を―して取り計らう」

goo辞書

とのことだった。
ただ、忖度については昨今では目上の人の機嫌を過剰に伺うというネガティブな使われ方をしている。でも本来はポジティブな言葉みたいだ。

この義理人情と(ネガティブな使われ方における)忖度の違いは、利害関係の外にあるかどうかがポイントなのかなと思った。

利害関係を度外視したつながりが「義理人情」で、
利害関係に基づいたつながりが「忖度」
だと思う。ネガティブな意味での忖度は癒着と似ている。

忖度は間違いなく良くないことだ。けれど、最初の最初は義理人情としての繋がりだったということもあるのかもしれない。
どこかで本人たちも気付かぬうちに忖度の領域に入ってしまったのかもしれない。夢中で蝶を追いかけているうちに隣の家の庭に入ってしまうみたいに。

一方で忖度が義理人情に変わることはないんじゃないかと思う。想像がつかない。

ところで、やっぱり世の中の人情の総量みたいなものって年々下がっているのかな。
過去数十年の統計を取ってみたら(取りようがないけれども)、右肩下がりで今ではほとんど0です、みたいな結果がでたら寂しいな。

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