強くなるためには長い時間かけて準備をしなければいけない。最低でも5年頑張らなければいけないよ(ハイレ・ゲブレシラシエ)月間1000キロ走り続ける日本式マラソントレーニングは5年以上継続できますか? 2021クイーンズ駅伝を見て

日本マラソン界よ今こそ世界に学べ

今日は21年のクィーンズ駅伝でした。何というか私の予想の一番悪いレースとなってしまいました。

その日の朝、たまたま見たエリウド・キプチョゲらのNNランニングの動画を見て私は何か温かい気持ちになっていました。

こちらの動画ではロンドン五輪、13年モスクワ世界陸上金メダルのスティーブン・キプロティッチがこのように語っていました

(皇帝)ハイレは僕に言ったんだ(2007年)。
・強くなるためには長い時間かけて準備をしなければいけない。最低でも5年頑張らなければいけないよ(ハイレ・ゲブレシラシエ)
それから僕は強くなるためにスタートしたんだ。自分にこう言い聞かせ続けたんだ。「決して立ち止まるんじゃないぞ。(皇帝ハイレがいうとおり最低5年以上頑張り続ければ)きっと何か良いことが待ってるさ」ってね。

先日、札幌での五輪女子マラソン銅メダリストモリー・セイデルに関する記事でセイデルの練習がせいぜい月間800キロ台エリウド・キプチョゲやレナト・カノーバの選手らと同じ練習量であることと、月間1000キロなり1300キロの日本式マラソントレーニングが5年10年継続できるトレーニングなのかという指摘をしました。

カノーバやエリウド・キプチョゲのトレーニングを学ぶにつれ5年10年継続できることを目指してそのギリギリのトレーニングを極めていっていることは感じていました

世界王者であるキプロティッチが語る動画を見て私が一番尊敬する皇帝ハイレ・ゲブレシラシエは5年後10年後を見据えて今日も明日も明後日も5年後も10年後も厳しいトレーニングを継続してきたことを思い知りました。全く持って我々凡人とは時間軸が違うのです。

世界と日本の違い(2021年11月28日現在)

五輪後一山選手の動向を見ると実業団対抗1万mで34分とゆとりのあるペース走状態。休む事も必要でしょう。ましてや鬼鬼鬼メニューなる練習と世界最高峰の戦いをした後でなければなおのこと。

札幌での五輪マラソンから3か月半世界では五輪からたった2か月後のシカゴマラソンで五輪8位ゲーレン・ラップが日本記録保持者である鈴木健吾選手を圧倒し2位になりました。10/24のロッテルダムでは五輪銅のバシル・アブディが2時間3分36秒の欧州新記録で優勝。
11/8のニューヨークシティマラソンでは米国のモリー・セイデルがスタートから終始先頭に立つ積極的なレースで2時間24分の自己新で4位。アメリカの中継を見ていると英語がわからなくても米国人の大喜びぶりがわかります。ちなみにNYCを優勝したのは五輪金のペレス・ジェプチルチルでした。

そして五輪から3か月半経過した今日のクイーンズ駅伝、女子マラソン代表のうち前田選手は欠場。あとの鈴木選手は10キロ区間でない1区で区間14位、そして一山選手も3区で区間13位、彼女たちの持ちタイムから考えれば本調子から遥かに遠い走りでした。

世界のレジェンドたちは5年後、10年後も見据えて大会後はさすがに一月練習を落としますがその翌月からはまた同じように月間800キロ台までくらいのトレーニングを何年も継続しています。

世界は既に世界との戦いを再開しています。そして世界はそれが可能なトレーニングを行っている(継続性を最重点にトレーニングを行っている)ということです。

リオデジャネイロ五輪の長距離女子日本代表を皆さん覚えていますか?2015年北京世界陸上に出場した女子日本代表を覚えていますか?

前田彩里さん、お父さんは元実業団ランナー、お母さんは現役サブ3市民ランナー。そんな彼女が2014年の大阪で初マラソン日本最高を出し翌年の名古屋で2時間22分48秒という素晴らしいタイムを出し23歳で15年北京世界陸上に出場しました。

関根花観さん、豊川高校で全国高校駅伝を優勝し卒業後実業団選手に、そして16年のリオ五輪で弱冠20歳で参戦します。

私に限らず多くの長距離マラソンファンは大いなる希望を胸にいだいていたはずです。2020年の東京五輪で28歳、24才に過ぎない彼女たちがもっと強くなって世界の強豪たちと戦う未来を。2020年はおろか2024年のパリで円熟の極致に達した彼女たちが世界の強豪を戦うその姿を!

実際はどうだったでしょうか?

前田さんはかろうじてまだ現役続行されているようですが、15年の世界陸上後故障がちになり、19年の名古屋で2時間25分台を出してMGC出場権を獲得しましたがその後故障で元気な姿が見れない状態です。
関根さんは2018年の名古屋で2時間23分7秒とフルマラソンへの高い適性をみせましたがその後故障に苦しみ2020年に24歳の若さで引退されました

本当に残念なことです。

2021年クイーンズ駅伝(11/28)を見て

札幌での五輪マラソン、地元開催のこの大会でマラソン日本代表は実に半分の選手が故障でまともな練習を詰めていない状態でスタートに立っていました

今日のクイーンズ駅伝、世界では五輪上位選手がこの3か月フルマラソンで次々に好記録を出して活躍しているのに対し、我らが代表3名はうち1名は駅伝すら出場できず、あと2名も本調子とは言えない走りでした。

一山麻緒さんはまだ24歳。3年後のパリ五輪はもちろん、その4年後も31才と油の乗り切った年齢にすぎません(11年後すら35才。ロス五輪のカルロス・ロペス37才、東京のキプチョゲ36才、北京五輪のコンスタティナ・ディタ38才よりもまだ若い!)しかし、我々はいつか来た道をまた見ているのではないか?私の心配は杞憂であればよいですが皇帝ハイレ・ゲブレシラシエがいう「最低5年以上」という長い期間を準備することができるのか本当に心配になっています

スポーツでの故障は指導者が引き起こす労災です

「黒部の太陽」という映画があります。その冒頭、主人公が工事現場に行くとき作業員が転落して殉職するシーンがあります。昭和30年代40年代の大型土木工事はそのようなものだったのです。

しかし今日、大型土木工事でどれだけ労災事故で作業員さんがなくなっているでしょうかほとんどおられません。私が従事していた時福井県では河内川ダムを建設していました。この工事でも労災は発生しましたが死亡事故は発生していないはずです。

ではなぜ最近ではなぜ大型土木工事で死亡事故が少なくなったのでしょうか?これはひとえに労働基準監督署が中心に、労働災害事故に対し徹底的に厳しい態度で、一罰百戒で時には業者を罰し、発注者受注者労基など関係機関が労働災害事故の原因究明、そして再発防止策の徹底、普及啓発を徹底したからにほかなりません

私は長距離マラソン練習も同じだと思います。おそらく50年前、山間部での工事で死亡事故が発生することは仕方がないことでした。しかし先人たちは仕方がないことを仕方のないことで済ませずたゆまない努力で改善に改善を重ねて労働災害をかぎりなくゼロに近づけていったのです。長距離マラソン練習も同じです。故障、ケガが当たり前、仕方がないという前提に立てばいつまでも有望な選手のケガや故障はなくならないでしょう。

強くなるためにケガをすることを前提とするのでななく、ケガを絶対しないやり方で強くなる方法を追求すべき
学生アスリートのケガは指導者が引き起こす労働災害だと私は考えます。(実業団プロ選手のケガは本当の意味で労災でしょうが指導者だけの責任とするのはケースバイケースでしょう。)


レナト・カノーバの日本式マラソントレーニング批判

世界NO1の長距離指導者とされるレナト・カノーバは月間1000キロ超を当たり前の量を追求する日本式マラソン練習についてこのように批判的に述べています。

個人的には、日本の選手はロング走の範囲を超えてしまっていて、選手のキャリアの後半にかけて身体的な問題を抱えていると思っている。瀬古利彦の練習には「メンタライゼーション」と呼ばれる100km走があった
瀬古とその時代のトップランナー (伊藤、宗兄弟、児玉)は走行距離約480kmの”特別な週“を持っていたようだ
 女子選手の場合、1度に走る最大距離は70kmで、1998~2000年の間に高橋は何度もそれを行った。また私は、サンモリッツで野口みずきが毎日3回走っているのを見た。さらに、いつも彼女は何かを買うために店まで走っているのを見た!

ここに日本のマラソンランナーの活躍が長く続かない理由がある

日本のトップレベルの女子選手は、機械的な視点みたときに、非常に若い段階から、体を酷使している=自分の肉体を破壊しているので、だいたいは2〜3年でキャリアのピークを迎えて、その後、姿を消す。
出典「レナート・カノーバ、日本式マラソントレーニングについて語る」(LetsRun.com Japan)

レナト・カノーバですが、彼は一方でケニア人たちも日本式マラソントレーニングを模倣していたことを指摘します。実際、月間1000キロ超走るケニア人トップランナーもいるようです。

しかし、カノーバはこういいます。

「キャリアを長く続けたい選手に対する私の意見は、身体構造を破壊せずに、保存していくために、基本的な走行距離を減らして、身体に新しい刺激を与えるための “レースペース特有の走行距離”の量を増やすことが重要であるということである。

例えば、ある選手が5km×4本をMP(マラソンペース)の102%MP、リカバリー1kmをMP95%でこなせた場合それから10年間において、5km×5本、あるいは5km×5本の最後の1本のラスト3kmを全力で走るという、より質の高いトレーニングに行きつかないといけない。(=質を維持したまま量を増やすor質も量も増やす)

ロング走が30 → 32 → 34 → 36kmのビルドアップで、MPの92/94%、ラストは100%で終了する場合は、今度は35 → 38 → 40kmを98%の均等なペースで、それを交互に行うことができる。

MPの85/90%で40km走ができた場合は、ハーフマラソンペースで2km × 4 ~ 5を含めることができる。このような練習によってグリコーゲンを再利用して使う割合を高め、エンジンを通常のディーゼルからターボディーゼルに変えていく。」

以上を読んでいってもカノーバは10年後(5年後ですらないですね)を見据えてトレーニングを継続すべきと考えていることがよくわかります。子供のころから通学や水くみのため標高2000m地帯で毎日数十キロの距離を動いてきたアフリカの選手たちが10年後を見据えて故障を徹底的に避けた質の高いトレーニングを時間をかけてできるレベルを上げている。この世界の現実に目を向けなければいけません。
(先ほど「一山さんの11年後はまだ35歳」と自分で書いていてじゃあ11年間も厳しい練習を自分はできるのかと心の中で突っ込んでいましたがカノーバの「10年間において」の発言を見て時間軸が全く違うことを改めて痛感させられました。)

スティーブン・キプロティチ ハイレ・ゲブレシラシエから言われたこと

(以下、直訳ではななく意訳で記載しています。)

僕はここカプチョアで生まれたんだ。成長するにつれ夢を持ったんだ。僕の人生、そして家族のために特別な何かになりたいってね。
僕は自分に言い聞かせたんだ。
・僕は自分の夢を追求していかなければいけない。僕はこれらのものが通過するのを全て見なければいけない
ってね。

それで僕は2006年にプロランナーになったんだ。

2007年に「レジェンドの一人」に会ったんだ。
そのレジェンドの名は”ハイレ・ゲブレシラシエ”。
僕はウガンダでは一番だったかもしれないけど世界ではそうじゃなかった
だから僕はハイレに近づいていってそして聞いたんだ。
・僕がもっと強くなるためには何をしなければいけないと思いますか?
ハイレは僕に言ったんだ。

・強くなるためには長い時間かけて準備をしなければいけない。最低でも5年頑張らなければいけないよ(ハイレ・ゲブレシラシエ)

ハイレに会ったことは僕にとって人生のターニングポイントだった

実際僕はヨーロッパとか中国とか世界の色々な国に行った。でも僕は自分が期待するようなパフォーマンスはできなかった。ハイレにあの時会うまではね。

それから僕は強くなるためにスタートしたんだ。自分にこう言い聞かせ続けたんだ。

・決して立ち止まるんじゃないぞ。(ハイレが言った通り最低5年は頑張り続けるんだ!)きっと何か良いことが待ってるさ!

ってね。


I was born here in Kapchorwa.
When I grew up I had a dream.
I had a dream that one day,I wanted to do sommething special for my life,and also for my family.
I said "I must persue my dream,I must see these things pass."
So I became a professional runner in 2006.
In 2007 I met one of the legend, called by the name Haile Gebreselassie.
So I was the best here but outside I wasn't the best.
So I came close to him and asked him.
"What do you think I need to do,to perform better?"
That's when he told me that you need to have a long time,preperation.
Actually it was almost my turning point because I used to travel to Europe,other countries,China,I was not performing to my expectation.
Until I met this man.
He told me that you need to work for 5 years.
So form then I started and I said "No I shoud not stop,I think there is some good things coming".

おわりに・・・私も最低5年以上頑張ろう!

私は現在49才。来年には50才です。36歳で2度目にサブスリーで走っていこう筋力の低下に抗えず44歳の頃は5キロを19分半きるのがやっとという状態まで衰えました。その後ウェイトトレーニングを3年前に始め2年前の6月に18分10秒(PB17:15,37才時)まで戻すことができました。そしてもう一度サブスリーを目指そうとフルマラソンのためのトレーニングを本格的に再開しました。
あれから2年、先日の富山マラソンでは3時間11分と目標達成できませんでしたが、ハイレがいうとおり最低5年以上頑張ろうと思っています。コロナ禍で半年は宙ぶらりんでしたので、あと最低3年半以上は頑張ろうと思います

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