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交通事故体験記~前編~

6月末、轢き逃げにあいました。
この記事は事故の前後、入院中、退院後を記憶と関係者の聞き取りによるものをまとめたものです。

                              ~もくじ~
1 事故前の行動及び事故の概要
2 ICU治療
3 一般病棟
4 お見舞い
5 警察とのやりとり
6 保険会社とのやりとり
7まとめ
8.その後.…(追記もします。)


1 事故前の行動及び事故の概要
    6月24日(土)は天気が良く、午前中は家族で磯へ遊びに行きました。家から20分くらいで付くところ 。干潮終わりで潮が満ちるなか小魚やヤドカリを捕まえて遊びました。
     家族サービスが終わったあとは、妻の機嫌を確認しつつ雀荘へ.…(夜ごはんは鰻です。中国産ですが.…)
     雀荘までは徒歩15分くらい。酒を飲みながら歩きます。ドラクエウォークをしながらYouTubeを聴きつつ。途中のスーパーで酒を足します。
     雀荘はピンの20.10.…調子はトントン。
     酒を足しながら続けます。
     2件リーチに対して『筋で勝負!』と七対子でリーチします。もう一人が反対の筋を打ったところを一発!!!(記憶によると一索に対して四索を切り、もう一人は七索を切ったと思います。)
     敗者『三味線じゃねぇか!』わたし『ラス半で!』普段ペチャクチャ喋りながら打つ敗者とこれ以上打ちたくありませんでした。
.…ここからは曖昧.…

たしか誕生日が近いから(翌々日)別のメンバーに飲みに誘われ飲み屋に.…

ここからは記憶なし!!!夢かも.…

この先の話は多少前後するかもしれません。

薄い記憶(前提・著者は安くチヤホヤしてくれるフィリピンパブが好きである。)

☆1  ピンクジョーカーと名乗る男性のバーで四つん這い(お馬さん姿勢)で、背中の上に誰か乗っている。雰囲気は、何かを差し出さないと殺すと言われている。ピンクジョーカーは光沢のあるピンク色の蝋人形のような姿で椅子に座りピクリとも動かない。おそらくそんな店は聞いたこともないので妄想や夢の一部と思料。

☆2 胸の高さくらいしかない天井の部屋に閉じ込められる。違う店?雰囲気は先程よりは明るい。女性キャストも居て『あと数時間は解放されない。』とのこと。窓の外は道路に面していたが人は通らない。何故か早く逃げ出したかった。

☆3 おじさんの顔面が目の前に出てきていきなり『意識ありますか!?(大声)今から管を喉に通しますから口をなるべく大きく開けてください!』小さくカウントする声が聞こえる.…

この☆123の順番が曖昧。もしかしたら3のあとに見た夢が⭐️1.2.かもしれない。
のちに⭐️3は処置をしてくれた医者だったことがわかる。

次に記憶が戻るのは5日後.…

ぼんやり目を開けると妻が
『ここどこかわかる?』
『いま何日かわかる?』と聞いてきた。

咄嗟に周りの景色から病院とわかった。
私は頑固かつ意地っ張りな性格で分かるふりをしようとした。
声が出ない!
ぎりぎり(びょういん.…)と答えたように思う。
酷い頭痛、両足の痛み、しづらい呼吸や取り付けられた機器.…
真っ先にピンクジョーカーを思い出したが、交通事故にあったことを何となく思い出した。思い付いたという表現が正しいかもしれない。どこでどんな事故といった様子は一切覚えていなかったのだから。

もう少し息を振り絞って私は、
『○○病院?(市内にある大きな病院)26日?』と、さも自信有り気に答えた。

妻『今日は30日だよ。△△市の病院だよ。事故のこと覚えてる?』

と、少しずつ甦る記憶。しかし、込み上げる痛みに、声は ささやく程度しか出なかった。

怪我の程度は上部より

・外傷性くも膜下出血
・左鎖骨骨折
・左肋骨骨折(すべて)
・肺損傷
・右足首靭帯・腱損傷
・その他、多数の切り傷・擦り傷

全治3ヶ月の診断.…

うっすらとさっきまで見ていた夢.…
物理的な距離や時間を越えてたくさんのところや場面を見ていた。


2 ICU治療
   意識が戻り、治療というより介護をされていることが認識できるようになった。
    骨折の関係で寝返りが打てない。鎮痛剤や解熱剤、抗生物質等々様々な点滴を入れられていて意識は朦朧とした感じだった。                  例えるならば、二日酔いの寝起きが続いている状態だ。
    食事も最初は点滴で補給していた。小さく咳き込むだけで胸を締め付ける痛みだった。      トイレはオムツにしていた。介護士か看護士が対応をしてくれた。一部の乱暴な介護士は着替えや身体を拭く際に、身体を無理矢理動かすため鎖骨がとても痛み、『痛いです』と声を振り絞ると『治っている証拠!』と謎の返しが来た。(このときに強く言えなかったのは弱っていたから.…後に似たような場面に出くわすときは、きちんと伝えることができた。)
この時、私の身体には左胸付近に対して、肺に水や血が溜まらないように抜く管、心拍数等を図る電子管が取り付けられ、右手首には手錠?のようなものを付けられており文字通り身動きが出来ませんでした。(この理由は、治療の際に身体が痙攣したことから再度痙攣することを抑えるためとのこと)。意識が少しずつハッキリするといろいろと意見したことを覚えている。
『息が苦しい。鼻呼吸は しづらいから口呼吸用に呼吸器を取り替えてほしい。』
『薬が多すぎる。重複するものはやめてくれ。(痛み止め2種類等)』
『降圧剤が効きすぎているからめまいがする。』

とにかく、面倒な患者だったはずである。

そこで3人の天使に出会った。

1人目は、上のようなワガママを言う私に
『私たちは、アナタを治すために一生懸命考えて動いてるの!信じてよ!!!』
たぶん20前半かな.…もうね。なんというか好きです。その人は、ちょくちょく顔を出してくれた。通り掛かる度に『なにしてました?』(⇐何も出来ねぇよ!と思いつつ。『考え事』と回答して話が始まる。)
ICUは、患者の波が荒く多いときは休憩もないという。ピークは熱中症で迎えるとか.…
今でも彼女は、本当に天使だったんじゃないかと思う。なぜなら要所要所で現れるのに、彼女と会話しているのは私と天使2人目のみ。医師が集団で検診みたいなものがあるけど、彼女は列のすみに佇むのみ。
黄昏流星群という漫画に時々天使が現れる回があるがまさにそのような存在だった。
『抱きたい』や『触りたい』といった感情ではなく。
本当に心から幸せになってほしいと思った。
マスク越しだけど、キレイだった。

2人目は、新人さんだった。新人さんとベテランの見分け方を教えてくれたのも彼女だ。看護学校終わって1年目だと言っていた。
1年目はビシッとしたナース服を着る風習らしい。2年目はメッシュ加工であったり、自分の好きなカラーを選んでいいらしい。
彼女は、なにかと顔を出してくれて話し相手になってくれた。地味でチビでメガネだった。一生懸命な姿勢を見ていると会えない娘や遠くはなれた妹に会っているような感覚だった。ふとマスクを見ると血のようなものが一滴垂れたのか汚れていた。
『血がついてるよ?大丈夫?』と言うと
『えっ?指の逆剥けから着いたのかも.…でも誰も私の顔みないので気づかれませんよ。』と言っていた。少し寂しそうに聞こえた。
部屋を出て、数分で彼女は戻って来た。
『マスク変えましたよ。ありがとうございます🎵』元気な姿にエネルギーを貰った気がした。下の世話をするときも彼女が一番丁寧にやってくれたように思う。ICUから一般病棟に移るとき、見送りに来てくれた。どうか変な男に騙されないでください。

3人目の紹介の前に悪魔を3人紹介します。

1人目は、介護係で乱暴。既に記載した通りであり、嘘も言います。一睡も出来なかった日の朝に『イビキが向こうまで聞こえた。』と言ってきました。目的はわかりません。
ただ競馬が得意なようで飲み会代すべて出すほど穴を当てていました。
私は個人部屋ではなく事務所?待機所?の目の前のスペースに置かれていました。
左右は意識のない人でアラームのようなものが時々響きました。わかりやすく言えば、役所の待合室に寝かされている雰囲気です。
目の前にカウンターがあり、それぞれがデスクに向かっています。病院は個室のイメージがあったので不思議な感覚です。

2人目は省略します。ただ乱暴で不潔でした。ただICUでも個室へ移動が決まった際は、移動先の部屋を隅々まできれいにしてくれて、ベッドやテレビの角度まで細かく気にしてくれていた。弱っていた自分の精神は本来誠実な人すら嫌ってしまったのかもしれない。

3人目の悪魔はアウトサイダーやブレイキングダウンに出てくる啓之助にそっくりな看護士です。天使に怒鳴っている場面を見ました。また、彼もオムツ交換をしてくれたことがありましたが.…きちんとふいてくれていないのは天使達との比較でわかりました。なぜか行動一つ一つに舌打ちがともないました。
毎日、今晩の担当がこの人でないことを願ったりしたものです。

さて、3人目の天使です。
いまだにフルネームで覚えているのは彼女だけ。職業病か入院先の病院の問題点や治療に関する意見を思い付くままにぶつけました。
すべての問いに自分の見解を返し、あるいは受け止めて、納得のいく会話をすることが出来たことに感動した。似たような会話を別の人としたときは『そういった決まりなので.…』『みんな我慢してるので.…』と曖昧な回答しか出てこなかった。
睡眠導入剤含め飲んでいる薬について細かく説明をしてくれた。自分が今どんな状態なのかを詳しく教えてくれた。彼女のような部下・同僚が欲しいと思った。

☆オマタセシマシタ
    ここから不思議な体験を綴ります。
    時間も意識が戻った直後へ戻します。


ふと点滴の管を見ると管は、天井や壁に伸びていくように見えました。無限に分裂します。視線を外して、再度見ると元に戻っている。また、天井を見ると天井板を止めているビスから小さな妖精が無限にこぼれ出てきていました。この2つが印象的で、どこに視線をやっても正確に景色を認識することができていないのです。視界に入る壁や天井に当たる照明による明暗は全て顔に見えました。もっと極端な話、大きな何をする機械かわからないものが置いてありましたが それすらも幻でした。
そもそもくも膜下出血により、『意識は戻らない可能性が高い。このまま亡くなる覚悟が必要』とまで言われた脳ミソが都合よく働きを再開するわけは無かったのか。

その日、妻から『医者が言うには峠は越えた。』と聞かされた。しかし、私は1%もそれを信じることができませんでした。
理由は、右目を閉じると見えるから.…

以下、見えたことや起こったことを綴ります。

🌟目を閉じると見えるもの
     意識が戻り、縛り付けられた身体と動けないダメージにより、当然スマホを触れなければテレビも見れません。代わる代わるの看護士と話す余裕もありません。ただ瞳を閉じることを怖れました。特に右目ですが、閉じようとすると何かが漂っているのです。赤いような赤紫のような妖精のようなものが羽を拡げようとして.…顔全体は見えませんが口元は笑っている(口角があがっている)ように見えました。。
それは、目を閉じている時間が経つにつれて近寄ってきます。大きさは変わりません。遠近法で云うところ物理的な距離は近づいていないのに近付いていることがわかります。
触れられると死ぬと直感でわかりました。
目をしばらく開けると距離感はリセットされるので意識が戻った初日は眠れませんでした。(眠っていないという認識)

また左目は、閉じる度に様々な光景を見せてくれました。それはランダム再生されるYouTubeのようでチャンネルを変えたい場合は目を開け、再び閉じれば違う光景になっていました。ここで流れた光景をいくつか羅列します。

・草原を走る馬に股がる人の群れを上空から眺める。おそらく元時代(場所はモンゴル?)のような気がする。
・坂を凄い勢いで下り、目の前の茶屋(のようなところ)で休んでいる3人組を切りつける場面(ここは上空からではなくら切りつける人に付いていった感じ)
・おそらく第二次大戦におけるソ連軍に対する攻撃。これは歩兵が列で突撃する場面でドイツ兵の軍服を来た人が前に出て付いていこうとしたら身体が浮かんで視界が広がったので登場人物ではないのだろう。
・オレンジ色の光る水が流れる場面
・大きさ不明の玉がぶつかり、弾ける場面
・スラム街のようなところをゆっくりと通りすぎる風景

このように具体的な時もあれば抽象画のようなものが流れることもあり、暇潰しというよりもそれを意識しておく以外にやることがなかった。他にも様々な場面を見せられた。これをより鮮明に自由意思を持って見ること所謂アカシックレコードというものではないかという私見を持つに至った。

また左目には便利な昨日もあった。漫画や観たいものを想像して映すことも出来たのだ。
漫画は読んだことがあるものというよりも今思えば面白味のないものがたんたんとランダムで選ばれ、ページは眼球の動きで送ることが出来た。観たいものを映すは過去のどんな場面もリアルに思い出すことが出来た。

・2歳ぐらいの時の県営住宅に住んでたころの階段で遊ぶ場面
・5歳頃、裏山に遊びに行った記憶(川を渡り、神社の横の畦道を一週)
・小学校の夏休み(ポンキッキの花子さんを観てから、森君の家に遊びに行く場面)
・中学3年生、部活の場面
・高校、バイト、等々.…

ちなみに身体は怪我を治すこと、生きることに精一杯で性欲は全く無かった。故に、今ならスケベな妄想に使うだろうと思うが当時は痛みや苦しみ、絶望から気を反らすことに精一杯だったのかもしれない。

この能力?は、怪我の回復とともに薄れて ICUを出る頃には完全に無くなった。

話をICUでの治療の場面に戻す。

ICUに居る時は毎晩、睡眠導入剤を飲んでいた。私の場合、だんだん眠くなるというよりも一定時間経つとパタっと眠ってしまうようだった。フロアベッドの場所から個室に移動になったとき、まだ右目の妖精は浮いていた。個室はなかなか広く、フロアでもかなり奥まったところにあった。入った瞬間、嫌な雰囲気を感じた。しかし、個室にはテレビがあり常に周りの視線があるわけではないので少しリラックスできた。睡眠導入剤の説明を細かくしてくれたのが例の天使3人目だ。
薬の力を使って眠れば右目の妖精も見えないのかは疑問だったが、飲んだ。
消灯時間が過ぎても廊下側の電気が眩しかった。真っ暗の病室、右隣の部屋から壁を叩いているような音が聞こえる。耳鳴りと機械のモーターのような音(後に知るが病院の発電機だった。)、廊下の電気が消える長いまばたき、目を閉じる。開けてみる。この間、数秒の感覚であるが部屋の景色が変わる。
目の前の扉、天上、壁に血が飛び散っている。全体的に黒く煤けた壁。そこに立ち尽くす私。周りを見渡すと壁に大きな赤文字で
『大激戦区域』
と書かれていた。今思えば、当然夢の中の出来事だが、あまりにもリアルかつ意識がハッキリしていた。
なんとなくだがここに留まると死ぬ気がした。これは第六感が訴える分と以前から漂う右目の妖精が見えないことから睡眠導入剤により眠ってしまい、そのまま触れたのだろうと考えた。一方、現実世界の私にはまだたくさんの管が付いており、ここでの動きと連動して身体が暴れたら大変だとも考えたが走った。次の瞬間には走った。地面を蹴る感覚がある。何処に夢の出口があるかわからなかった。部屋を出ると廃工場のようなところだったソファの中に入っている大きなスポンジがたくさん積まれた横を時には上を走り回った。真っ黒な姿の者が複数追いかけてきた。
夢だと気付いている私は早く追い付かれることはなく、外に出た。
今度は夕方の町だった。しかし、路面はアスファルト舗装されていない。夢の出口を求めて走った。さっきまで黒い姿で曖昧だったものがリアルに色づき人間の形をしてきた。
町をどこまでも走る。ついに私の動きを止めようとする数人が前に立ちはだかった。
都合よく私はカタナを出現させ切り捨てた。
こんなリアルな感覚で躊躇なく人を殺せる自分は気が狂う入り口に立っているのか。

走ることをやめた。すると
『田中さん!』
振り返ると私の足の治療を担当している佐藤先生がいた。
『うちすぐそこなんで寄っていってください。』
なんとなくだが佐藤先生は夢からの出る方法を知っているように感じた。
付いていくと居酒屋だった。
カウンターに座ると
『お酒はまだダメだし、ご飯も食べれないのに連れてきてごめんなさいね。もうすぐ出れますよ。』
といい残し消えた。
私は取り乱した。店の外を探すが居ない。
なんとなく頭に思い浮かぶ脱出方法.…
羽織っていた服を空に投げ落ちてきたものが身体に掛かると目が覚めた。

真っ暗な個室、破裂しそうな心拍数、喉の乾き、生きている実感が欲しくてナースコールを押した。

到着した看護士は落ち着いて怖い夢の話を聞いてくれた。個室にはカメラが付いており暴れて居なかったとのこと、心拍数もモニターが連動して待機しているところにも映っており、心拍数も今まで高くはなかったとのこと。一定を越えるとアラームがなるとのことで話していてだんだん安心した。そのとき気付いた。右目の妖精が居なくなっている。
私はもう死なない。

次の日くらいにスマホを手にする。
事故のことを聞いた人からの安否を心配する連絡がたくさんあった。事故のことを知らなかった人も事故の件を聞いて、たくさんの心配や励みの声をいただいた。本当に嬉しかった。

妻は毎日来てくれた。必要なものを買って家のことをやりつつ買い物・面会を含めると往復2時間。本当に感謝した。
誕生日の前祝いの鰻食べれなくてごめんって伝えたかった。
『ごめん。』だけ伝えると涙が溢れて、感謝よりも申し訳なさが先立ち、あっさり死んでいればここまで苦労させないのにと泣いた。
面会時間は限られており、子供のことや職場とのやりとり、警察とのやりとりを聞いていたら時間はいくらあっても足りなかった。

軽いリハビリが始まる。
車椅子に乗る練習が始まる。
管が許す範囲で部屋を走り回った。
左手と右足が使えないので速度は出ないが次のステップに行けることに喜びを感じた。

その翌日には肺から血や水を抜く管が抜かれた。新しい介護士の人が来た。身体を丁寧に丁寧に洗ってくれた。(拭きあげてくれた)
その頃、小便は尿瓶に大便はオムツにしていたが、
『車椅子で外出てみます?』
とても嬉しかった。即答すると
『お医者さんに聞いてみますね。』
と言い残し、次の患者さんのところへ行ってしまった。
それから1時間後、また戻ってきて
『感染症対策で外は駄目だけど病院内なら良いそうです。トイレも使えそうなら使っていいとのことです。次、大がしたくなったら部屋から出ましょう。』
私は『今したいです。』と即答した。
下の世話が申し訳ない私はいつもギリギリまで耐えていたので、いつでも行けるコンディションだった。
フロアを見渡す、たくさんの人がいる。
自動ドアの向こうにトイレがあった。
しかし、車椅子から便座に移るには狭かった。
『下のフロアなら広い個室トイレいくつかあるので行きましょう。』
下のフロアは病院の待合室で、もっとたくさんの人がいた。この人たち1人1人に家庭があり家族がいると想像すると人生の容量の大きさに感動した。神様ありがとう。
そして、気のきいた提案をしてくれた介護士さんありがとう。

・自分でトイレに行けるまで回復した。
・車椅子への乗り降りがスムーズ
この2つを評価した医師は
『一般病棟に移ろうか。』
と翌日の回診で提案してくれた。
ICUの親切な人たちと会えなくなるのは少し寂しい。
しかし、一般病棟の響きがあまりにも心地よかった。今思えば、回復している目に見える証拠だからだろう。

寝たきり⇒
ベットの機能で起き上がる⇒
車椅子(当初の見込みでは杖が使えるようになるまで)

次は松葉づえまたは杖(これが数ヶ月は掛かる見込み)

さぁ憧れの一般病棟!!
さようならICU!!!!!

以下、後編へ続く

3 一般病棟

4 お見舞い

5 警察とのやりとり

6 保険会社とのやりとり

7まとめ

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