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交通事故体験記~中編~

~もくじ~
前編
1 事故前の行動及び事故の概要
2 ICU治療

中編はここから
3 一般病棟
4 お見舞い
5 警察とのやりとり
6 保険会社とのやりとり
7まとめ
8.その後.…(追記もします。)


以前の記事から かなりの間隔が空いてしまい。古い記憶から順に薄れていっていますが少しずつ記します。特に今となっては後悔していることなどがありますので、似たような機会にあわれた人が同じ轍を踏むのを回避できれば幸いです。


3    一般病棟
      一般病棟に行きたくて仕方なかった。それはICUからの卒業であり回復を体現するものだから。退院に近づく!!ICUみたいに24時間見られているわけでもない解放感も想像していた。しかし.…
    ICUから出る時 たくさんの人が見送ってくれた。本当に感謝します。車椅子を押していただくのは優しい看護師さん。道もエレベーターも弱者である私を優先してくれる。
    一般病棟のフロアに付きフロアの看護師に引き継がれる。
    『よろしくお願いします!』と元気に挨拶をした。
若い看護師の方で
『元気ですね。これからよろしくお願いします。』と返された。
    部屋に付くと4人部屋の3人目だった。
    個室に慣れていたので、ほんの少し嫌だったがカーテンを締め切っているのでお互いに不干渉の空間だった。
1人目は、痴ほう症が始まったおじいさん。家族の面会が多いが本人はわかっていないように思う。夜中は、うなされたり独り言を言う。
2人目は、外人さん。インド人らしいが日本にきて数十年日本語はペラペラで、看護師をナンパする。イビキがうるさい。
空きベットは短期間で3人が入れ替わった.…


    部屋に案内され一時間ほど待った。

    部屋にまで送ってもらったものの何かしら説明や案内があると思い待っていたのだが.…

    (トイレに行きたい.…)

    車椅子に乗りトイレを探した。
    たかだか30m先にあったのだがナースセンター経由で遠回りしたので疲れた。
    今でこそ用を足す際に特別な感情は湧かないが、便座に移る。パンツを脱ぐ。それらすべての動作を意識して行った。一番身体に負担が掛からないところを探して体重移動することの大変さを記す今では覚えていない。

    部屋に戻り更に数分後、別の看護師が来ていた。
    『勝手にトイレに行ったりしないでください。お手伝いするんで!』
とてもきつい口調だった。
加えて簡単に病棟の説明を受けた。
・起床や消灯時間
・テレビの際はイヤホン使用
・部屋での通話禁止
等々.…

ここまで来ると理解した。
ICUより雑な扱いを受ける!!
その時の私はポジティブの塊なので、
なんでもこい!という姿勢で堪えた。

その日の晩.…夜中にトイレがしたくて目覚めた。車椅子で行けるトイレはフロアに1つ。
周りの人を起こさないように気を付けながら車椅子に乗り、トイレに向かう。
到着すると中で会話が聞こえる。
どうやら先客がいて、看護師さんがサポートしているようだ。でも大丈夫!尿意に対しては余裕を持っていたので余裕で待つことにした。
5分後、まだかな.……
コンコン!とノックをすると
『しばらく掛かるので他を使ってください』
と言われる。
(他には行けない.…)
3分ほど待つが尿意が顔を出す。
肛門と玉の裏がヒクヒクして限界を知らせる。
もう1つのトイレへ急ぐ!
捕まり立ちしながら何とか便座に座れるか!?
急ぐ!しかし!
車椅子は入り口までしか入れない。
トイレに到着!!!!
.…
出てしまった。
.…
大人になって小便を漏らした人にはわかると思うが、途中では止まらない。
入り口の前、車イスに座ったまま。
なんとか個室に滑り込む。

ビショビショになった車椅子と身体と服を
這いつくばって集めたトイレットペーパーで拭いた。
部屋に戻りウエットティッシュで拭き上げた。
    窓の向こう、ブラインダー越しに空を見た。
    36歳になって小便を漏らしてしまった自分が空を見ていた。遠くで鳴るサイレンがだんだんと近付いては消えた。
    
    そこに看護師の方が来た。ナースコールは押していない。
    『トイレ大丈夫でした?』
    泣きそうになるところを堪えて声を振り絞る。
    『間に合いませんでした。』

看護師は『尿瓶にすればいいんですよ!無理にトイレに行かないでください。』
まさにそのとおりだった。
その夜は眠れずに、窓から身を投げてしまえば家族や病院側に対する負担も短時間で終わる等と異常な考えをしていたことを覚えている。

4    お見舞い
      一般病棟に移り、家族以外のお見舞いが認められた。
      部下や同僚が数名来てくれた。
      ここまで回復していることに、ほとんどの人が驚いてくれた。そこで形式的にお見舞いに来た人と心から心配してくれている人を分別している自分を少し嫌になった。
     とにかく妻に会いたかった。子供にも会いたかった。しかし、新型コロナの影響で面会は時間や人数が厳格でわずらわしい日々を送った。
     お見舞いに来ていただけた人の中で唯一初対面の人がいた。彼はネットでは数年の付き合いがあるものの実際に見舞ってくれたことは本当に感謝した。LINEのオープンチャットやTwitter(現X)でおとなしいことを察して何かあったといち早く気付いた一人でもある。新型コロナ喎が過ぎて久しいが昨今の日常は人と人との繋がりはIT(発端にしたSNSの)発展により、軽薄化したように思う。年齢のせいかもしれないが、小中学や高校までは毎日過ごした友も週末のみになり、数ヶ月間隔が空き、今では数年に1回も会わない友も増えたかと思う。そんな中でSNSで実際に会ったことはなくとも毎日のようにコミュニケーション を取る人(機会)が増えたように思う。自分と相手の互いの認知度は違えど、その中に自分は存在している。

5    警察とのやりとり
      まずは、今冷静になると担当の警察官には
感情をぶつけてしまい申し訳なかったと思う。事故直後から警察は犯人逮捕に尽力し、被害者の妻に親身な対応をしたと思う。
      交通課のMさんが事故の担当者だった。
      犯人の逮捕や事故の経過を妻経由で聞いていた。一般病棟に移った際に『今後の連絡は私に直接するよう』依頼をした。妻に対する負担を少しでも軽減することと今後の裁判や示談のためのに状況を整理したかったのだ。
    そんなある日、妻から連絡があった『犯人から連絡があり、直接謝罪に来たいそうだ』とのこと。私は激昂した。知らないうちに轢き逃げ犯が釈放されて、か弱い妻と連絡を取っている。
    急いで警察署に電話をしたがM不在。
『戻ったらすぐ折り返すように伝えてください。』(命令口調だったような気もする)
    これを読んでいる人は、何故著者が激昂したか想像が付くだろうか。
    

    その時の私にとって犯人は、轢き逃げをした異常者であり、すなわち私の想像を絶することをする可能性が高いと思っていた。逆恨みから被害者家族へのハラスメント(嫌がらせ)等が考えられた。自分の力のみでは上体を起こすことも出来ない私にとって家族を守れないことは何よりの驚異だった。

M氏からの折り返し.…
まとめると
・何かに当たったが人とは思わなかった。
・罪を認め深く反省している。
・被害者や家族に謝罪したい。
当たり前のような聞いたことあるような
それは、事故加害者のアルゴリズムで導き出された模範解答のようだった。
さらに
・被害者家族の連絡先として妻の電話番号
・被害者住所
まで伝わったそうだ。

私はM氏に怒鳴った。
『そいつがうちに来て危害を加えるようなことがあったらどうするんだ!』
M『警察が責任もって逮捕します』
私『被害を未然に防げるのか!』
M『通報後直ちに出動して対処します』
私『絶対に間に合うのか?うちは一階で窓から入ろうとすれば1分も掛からないぞ!なんかあった場合は(お前の家族も同じ目にあわせてやるからな!).…』
言ってはいけない言葉と思い飲み込んだ。

のちに語るが犯人は反省していた。

当時は脳に血液が溜まり、正常な判断や発言が出来なかった。脳に血液が溜まると正常な判断を失う可能性があるとコンセンサスを得てもいいかもしれない。

結局、M氏は終始謝罪に徹して、私の体調を心配していた。この後の調査でも真摯な姿勢で話を聞き、保管品や印漏れなどは自宅まで来て貰った。素直に『あの時はごめんなさい。』と謝れないままの大人になりたくはなくて、おそらく直接会話する最後の時に『あの時は、いろいろとご迷惑をお掛けしました。』と伝えたが『私どもの配慮が足りませんでした。』と受け止められ、なお自分の行いを悔いました。

なおDNA検査の結果含む状況証拠から犯人であることが確定したとのこと。この御時世において轢き逃げは確実に捕まる!!!!
一か八かで逃げることなかれ!!!!!

はてさて、続きは保険会社についてであるが.…
これは、不平不満を綴るだけで短編小説が仕上がるレベルであるため究極に短縮して、彼らの不誠実と受け止められる人間に自分が成ることを願い締め括ります。

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