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【小説】にせ者が説く

 お寒い懐具合の秀雄は、齢三十五にして、おばあちゃんにお年玉を貰うことにした。
 本来であれば、松の内の七日か十五日までだろう。また、二十日であれば、「はつ」という音韻に正月らしさがあるだろう。だが、その日は新年明けて二十一日である。
 適切な年齢と時期を過ぎて尚、まだ間に合う、という理屈は秀雄にしか分からない。

 まず、詐欺師のような言い回しで電話を掛けた。
「僕僕、僕だけど」
「秀雄ちゃんかい?」
「そうそう。今日のお昼頃、家にいる?」
「久しぶりだねえ。来るのかい?」
「いるなら行くね。新年のご挨拶」
「あらまあ。わざわざ申し訳ないね」
「そんなことないよ」
 本当に申し訳ないのは、よこしまな目的で挨拶にゆく秀雄の方である。

 汚れの目立つ黒い車で向かった。空はきりっと晴れていたが、先日降った雪が少し路肩に残っていた。
 四十分足らずで到着して、冬枯れた庭に車を停めた。すぐに出て来たおばあちゃんと新年の決まりきった挨拶を交わした。霜のついたような薄い白髪のおばあちゃんは、今年で八十八歳になるが、まだまだ足腰が丈夫で元気である。
 独り住まいの木造の平屋は、古色蒼然たる趣があり、南向きの縁側を備えている。晴れた日は冬でも暖かい。居間と仕切るのは、下部が板張りの腰付障子である。テレビだけは真新しく、画面が大きめの薄型である。
 おばあちゃんはもち麦ご飯を炊き、煮物を幾つか用意していた。秀雄の顔を見てからソーセージを焼いた。出来上がると、秀雄がお盆に乗せて炬燵まで運んだ。
「こんな田舎料理しか出来なくてねえ」
「いやいや、おばあちゃんの料理はいつも美味しいよ」
 決してお世辞ではなかったが、秀雄は手料理を食べに来たわけではない。
 いつ貰えるのだろうか。
 浅ましくもその機会を窺いながら、近況や親戚などの話をして、おばあちゃんとゆっくり食事をした。

「秀雄ちゃん、夕飯も食べていくかい?」
「いやあ、それは難しいかな」
「でも、夕方までいて、ちょっくら留守番してもらえないかね? そうしてくれたら、おばあちゃんは安気に買い物に行ってくる」
「買い物なら一緒に行くよ」
「今日は高田さんがね、二時から車で連れてってくれるんだよ」
「それは助かるね」
「何か欲しいものはあるかい?」
 秀雄は苦笑して、「特にないよ」と思わず嘘をついた。
「相変わらず欲がないねえ。昔からいい子だよ」
 実は悪いおじさんの秀雄は、苦笑いを顔に張り付けたまま、空き巣が怖いというおばあちゃんの声を聞き入れることにした。
 夕方まで暇を持て余す留守番である。お年玉は貰えなくても、お駄賃は貰えるかもしれない。

 ご近所の高田さんが予定通り迎えに来て、おばあちゃんが花刺繍の入った鞄を手に出掛けると、秀雄は炬燵に潜り込んでテレビを見た。しきりにチャンネルを変えた。
 しばらくして、傍らにあった新聞を開き、数年ぶりに見る地方紙に目を通した。度々首を横に振り、「薄っぺらいなあ」と記事に関する文句を垂れた。

 まもなく午後三時を迎える頃、居間から遠い玄関の引き戸が開いた。その音は秀雄の耳に届き、もう帰ってきたのか、と意外に思った。
「おかえりー」
 なぜか返事がなかった。田舎特有の無礼に上がり込んでくるご近所さんだとしても、無言はおかしい。不審者ではないかと疑った。鍵はかけてなかった。誰かが近づいてくる気配に身構えた。
 襖の陰から顔を出したのは、紫色のニット帽をかぶった男の子である。目をぱちくりさせて秀雄を見た。自分がそろりと入って来たにも関わらず、「くせ者?」と真剣な顔で訊いた。
 十歳くらいに見えるその子が誰か、秀雄はすぐに感づいた。小学生の頃の自分にどことなく似ていると思った。
「くせ者に見えるのか?」
「うん。見える」
「大ハズレだよ、瑛介くん。君はまだまだ見る目がない」
 男の子は呆気にとられた。なぜ僕の名前を知っているのかと。
「今日、君がここに来ることは分かっていた」
「なんで?」
 秀雄がしたり顔で立ち上がると、瑛介はたじろいで一歩下がった。
「お兄さんは未来からやってきたんだ」
「おじさんは誰なの?」
「お兄さんはな、未来の君だよ」
 この馬鹿げた大嘘に対して、瑛介は「ふむ」と大人びた相槌で納得してしまった。
「ひいばあは? どこに行ったの?」
 秀雄はおばあちゃんの呼び方を合点した。
「ひいばあは今、ご近所さんとお買い物に行っている」
「ふむ」
「今日、君は遠路はるばる、お年玉を貰いに来たわけだが」
 瑛介は違うと言いたげに渋い顔をした。
「いや、君はまだ自分の本心に気付いていない。心の奥底では、年老いたひいばあからお金をもらってやろうという、悪い気持ちがある」
 瑛介は声にならない声で唸った。
「違うか?」
「そうかもしれない」
「お兄さんはな、過去の自分のことだから良く分かっている。くせ者は君だ。今日はそれを伝えに来た」
「ふむ」
 秀雄は内心うきうきとした。唐突に愉快なお留守番である。
 二人で炬燵に入った後も、嘘がバレないように話を合わせた。瑛介が一人で来た本当の理由を探りながら。

 小学生が都会から田舎へ、電車を乗り継いで三時間半の旅であった。駅に着くと、生意気にもタクシーに乗り、かくしゃくたるボールペン字で書かれたひいばあからの年賀状を運転手に見せた。差出人の住所を指さして、「ここへお願いします」と淀みなかった。
 貯めた小遣いを放出して、帰りの運賃は持ち合わせていなかった。

 恐らく家出だろうな。
 話の途中で秀雄がそう目星をつけた通り、瑛介は迫りくる中学受験から逃げ出そうとしていた。彼は親の勧める私立校ではなく、近所の公立校に大勢の友達と一緒に行きたいのである。それが叶わないのなら、ひいばあの家に住み着くつもりである。

「毒親って言うでしょ。まさにそれなの」
「よく分かるぞ。上手い表現だ」
 秀雄は無理に合わせたのではない。従妹にあたる瑛介の母親のことは、勝気なお転婆娘の頃から知っている。二つ年上の彼女に、いじめられた記憶ばかりが鮮明である。
 大人になってからも関係は改善していない。次第に会うことはなくなった。瑛介とはこれまで一切縁がなく、彼が赤ん坊の頃に一度会ったきりであった。

「お兄さんは今でも不思議でならない。子供が嫌だと言っているなら上手くいかないね。通う学校の良し悪しは関係ないよ。もう今はオンラインの時代。やる気さえあれば勉強はどこでも出来る」
「おじさんは結局、受験しなかったの?」
「ほう」
「何?」
「受験しないつもりでここに来たのに、なぜそれを訊くんだい?」
 瑛介は腕組みをして黙った。
「未来を知ろうとしても駄目だ。例えお兄さんが受験しなかったとしても、その未来を変えるのは君自身だよ」
「ふむ」
 すると、家の電話がけたたましく鳴った。二人はそちらを見た後、顔を合わせた。
「毒親かもしれないね。きっと心配しているだろう」
「出ないの?」
「出てほしいの?」
 瑛介は顔をそらした。電話は鳴り続いていたが、秀雄は動かなかった。
「ねえ、出た方がいいよ。ひいばあに何かあったかもしれない」
 秀雄がのっそり立ち上がり、歩き始めたところで電話の音は切れた。着信履歴などは残らない古い電話だが、秀雄は履歴を確認するふりをしてから炬燵に戻った。
「誰だったの?」
「さあね」
「折り返した方がいいよ」
「その前に一つ、言っておきたいことがある。さっきお兄さんは、今日ここに何を伝えに来たと言ったか、覚えているかな?」
 瑛介はニット帽をとった自分のくせ毛をつまんで見せた。
「そう、くせ者。君のことだ。相手は毒親かもしれないが、実は君だって悪いところがある」
「ふむ」
「人の家に入ってくる時は、ごめんくださいって言わなきゃいけない。それと同じように、人にもちゃんと語り掛けて、話し合うことが必要なんだ。この親に何を言っても無駄と決めつけているだろう。やはり君は、口が足りない。ふむって分かったような顔ばかりして、ここに逃げてくるだけでは何も解決にならない」
 瑛介はなやましげに唸った。
「違うか?」
「そうかもしれない」
 秀雄が笑いかけると、瑛介は照れ臭そうに応じた。

 午後四時を過ぎた頃、二人は炬燵の上の籠に入った蜜柑を食べた。一つひとつに赤いシールの貼ってあるブランド品である。瑛介が薄皮も残さず食べた一方で、秀雄は一度口に入れてから薄皮だけ吐き出す食べ方をした。完全に不覚である。
「ねえ、おじさんはさ、秀雄さんっていう親戚に会ったことがある?」
 秀雄は一瞬どきっとして、にたにたと意味ありげに笑った。
「何? 悪い人なの?」
「いや、すっごくいいお兄さんだ。まるで仏のようだよ。優しさがほとばしっている」
「じゃあ、会ったらお年玉をくれるかな?」
「え?」
 今度は瑛介がにたにたと笑った。
「それは、どうだろうね」
「仏なのに?」
「実は、仏すぎて金がないんだ。奥さんに財布の紐を握られていてね。つまり、自由に使える金が少なくて、カフェラテを飲むにも苦労しているようだよ。いわゆる毒嫁ってやつさ」
「でも、話し合うことが大事だよね。何を言っても無駄と決めつけないで」
 これは一本取られた。
 秀雄はそんな思いで笑いをこらえ、大きく頷いた。すると、間を置かずに玄関の引き戸が開いた。無事に帰って来たひいばあは、居間に向かって大きな声で呼びかけた。
「秀雄ちゃーん、待たせたねー」

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