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真の我が家(悟り)に帰るために(2)~ADHDが長所になるまで【第二章】

「私」とは何かを追い求め、「私」を知っていく非二元は、私の本当の願いを思い出させてくれるものでした。

「相変わらず分厚い本、、、、(´。` )」と思いながら、届いた「神の使者」を読み始めました。
すると、「えっ!こんなこと書いてあったけ??」というような内容がどんどん出てきました。
10年前はただただ読んだ気になっていたことを思い知らされました。

そうして本を読み進めていくうちに、何とも言えない深遠で自由な感覚を感じ始めたのです。
それは、私の中に育ってしまった違和感はある意味正常な反応だったということが分かったからというのもありました。

アセンデットマスターの一人であるパーサのこの言葉です。

一なるもの、という考え方はべつに独創的じゃないわ。
でも、それなら自分は何と一つなのか、と問いかける人はあまりいない。
問いかけた人も大部分は神という答えを出すのだけれども、そこで「この宇宙は聖なるものによっていまあるかたちで創られた」と想定してしまう。
この想定は間違っているし、そう考えてしまうと、ブッダのように心を完成させた賢者でさえ、恒久的な意味で神に到達できなくなります。

神の使者p56,57

・今ここにある永遠に続く静寂の意識は、まだ一なるもの(真我)ではない。
・宇宙は神(一なるもの、真我)によってつくられたわけではない。
それらを知ったことで、とても大きな自由を感じました。

行き詰まりの袋小路よ!

そう、二元性の波動をつくりだす心とは一つになれるでしょう。
その心はすべての次元を超越した無という場にあっては、完全に時空と形のシステムの外にある。
これが非二元性の論理的で妥当な帰結なのだけれども、それでもまだ神ではない。
それどころか行き詰まりの袋小路よ。

神の使者p56

「今ここに永遠にある気づきの意識は、非二元の終着点だけれども、その先があるんだ!!」という衝撃的な感覚を感じました。
そして「知りたかった答えがここにある」と深い深いところから確信が静かに湧き出てきました。

その時、私は人生で本当にしたかったことがはっきりとわかったのです。

我が家に帰りたい

スピリチュアルな世界の探求を始めた頃、魂が自分の本当の姿だと思いました。
けれどもそれは私の乾いた心を癒してはくれませんでした。

一瞥体験をして、魂を超えた意識を経験したとき、もう彷徨わなくて済むんだと、これで本当に終わったのだと安堵しました。
しかし、段々とまさにパーサが言ったように、行き詰まりの袋小路状態に陥っていたのです。

ただ試行錯誤しながらも、気づきの意識に寄り添っていたからでしょうか。次の段階を指し示してくれる聖なる存在の語りかけを見逃さずにすんだことが、この行き詰まりからの脱出になりました。

私の願いとは「本当の我が家に戻りたかったのだ」とはっきりと理解しました。
幼い頃からの灼熱の中で水を探すような強い衝動は「真の我が家に帰りたい」という願望だったことが明らかになりました。

ブッタでさえも、、、

仏教は世界で最も倫理学的に洗練された宗教だけれど、それゆえに神という問題を扱えない。
だから、あなたがたがブッダと呼ぶ身体のなかにブッダがあったとき、彼は神の問題を取り上げなかった。
わたしたちが非二元と純粋非二元を区別する理由もそこにあるの。
ブッダが「わたしは悟った」と言ったのは、自分は幻影に参加しているのではなく、自分がすべての幻影をつくりだしていると気づいた、という意味だったのよ。
でも、そこからもう一歩進んで、すべての幻影をつくりだしている心がそれ自身と完全に対立して神の側につかなければ。
もちろんブッダは優れた段階に到達した人だからそこに気づいて、すぐにJ(イエス)と同じ悟りに進んだわ。
でも、それは世界に知られていない生涯での出来事。

神の使者p56

けれども「ブッタのような優れた人でも陥る罠を超えていかないといけないのか、、、純粋非二元というのは、かなり難易度が高そうだ、、、」と、目指す道がエベレスト級に感じ躊躇していると、またもやマスターにそっと背中を押されたように感じる言葉に出会います。

それでも人は幻想が真実からつくられていると誤解する。
だから幻想を捨てようとせずに、正統性を持ちこもうとする。
そんな誤解をしている限り、輪廻という生と死の循環を壊せない。
無意識の心が神を避けようとするので、君たちは神を無視するか、非二元論を二元論に発展させようとする。

神の使者p58

慣れ親しんだ非二元の概念、それが絶対的な真実だと思っていた私には、その幻想を手放すことを怖れていました。
この残酷な世界に辟易していながら、この世界に執着している自分がいることを知りました。

尊敬するガンガジを一旦脇に

J(イエス)のレベルの悟りに達した人々のことを世界がまったく知らないのはべつに珍しくはないし、世界的に有名な生涯で悟りに達したと思われている人々がじつはそうではないことも多いんです。
ほんとうに霊的な完成に近づいていた人たちの多くは指導者になろうとなんて思わないから。

神の使者p56

アセンデットマスターの言葉の中で少し気になった言葉でもありました。
私はガンガジ氏やアジャシャンティ氏に助けられ、とても尊敬しています。世界的にみても、彼らほど親しみのある非二元のリーダーは少ないと感じていたからです。
なので、彼らはどうなんだろう?と。

でもその私の考えは間違っていたのです。
彼らではなく、私がどうであるかなのです。

「あの人は目覚めていない」「あの人は目覚めている」というように考えることは、自分の中のエゴを納得させるだけですから。
ただアセンデットマスターのこの言葉を受け、自分がきちんと理解するまで、ガンガジを一旦脇に置いておこうと結論付けました。

私は「真の我が家に帰りたい」という願いを叶えるためだけに進むことにしました。

下記に続く

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