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神戸で『満月』を走る ” 旅先で『日常』を走る ~episode17~ 兵庫編 ”

前回のあらすじ

御船山で『楽園』を走る

" 自前の土地や空間に付加価値を付けようと試みているように見える。結果、チームラボやTUTAYAとコラボレーションすることで、地域としての付加価値をつけることに成功しているように感じた。”


神戸で『満月』を走る

先月から、隔週の木曜日~土曜日に京都出張が入るようになった。
そのことによって、今までと比べて生活が慌ただしくなってはいるが、毎日同じ場所に通って仕事をするよりも性に合っているので、むしろ望むところである。仕事は21時か22時には終わるので、主に深夜近くの時間帯にはなるが、京都の碁盤の目のように整備された通りを、まるでパックマンのように徘徊している。

日曜日は休みなので土曜の夜に東京に戻ればよいのだが、この私がそんなもったいないことをするはずはない。もちろん土曜日も宿泊して、日曜日の昼過ぎまで遊び倒すようにしている。先月は京都の繁華街を巡ったり、鴨川を上流に向かって逆走したりと、古都を満喫した。
そして今回は、兵庫県まで足を伸ばすことにした。

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2020年9月5日、翌日の遊興に備えて、神戸の一駅先にある兵庫駅前にあるホテルで一泊する手はずは、すでに整っている。しかし、その日京都で仕事を終えた私は、京都駅と反対方面の地下鉄に乗り、一路北大路に移動した。兵庫に移動する前に、京都で最後の晩餐を決めたかったのだ。お目当てのお店はこちら。
『グリル&コーヒー はせがわ 』。宇野常寛氏のエッセイ『観光しない京都』で知ったお店だ。2年ほど前に一度訪れて、その古式ゆかしい洋食屋然とした店構えと、ハンバーグを中心としたオーソドックスな洋食の味がとても気に入ったのだ。
来店したところ、幸運にも4名掛けの空席があり、待たずに入ることが出来た。注文はお気に入りの『Aミックス』。メインの皿はハンバーグ&エビフライの組み合わせで、ライスが付いてくる。ついでに、瓶ビールも注文した。10分ほどで料理が届いた。

今日も満足な食事体験をさせていただいた。大満足。店を出る時には何組ものお客様が、店外のベンチで順番待ちをしていた。

では、そろそろ本題に入ろう。

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無事ホテルにたどり着き一泊、翌朝は5時に起床した。

と、軽く流しそうになったが、もう一度書く。5時に起床したのだ。石野陽子の「ご!ご!ご!5時!?」でお馴染みの。
一部の界隈で「大野さんは朝弱そう」と風評が立っていたので、それを払拭するために気合を入れて早起きをしたのだ。というのは嘘で、本当の理由は後述することにする。

重い身体を引きずるようにしてベッドを降り、顔を洗いランニングウェアに着替える。ここまで所要時間20分。我ながらゾンビのような身のこなしである。「朝が弱そう」ではなく、紛れもなく私は「朝が弱い」のだ。
しかし、ここまで準備がすすんだら、あとは走るのみ。シューズに足を通し、勢いよく立ち上がったことによって生じた慣性を利用して、そのまま部屋を出た。

ホテルのエントランス前で入念に準備体操をする。本格的に走るのは一ヶ月半ぶりだ。身体を動かしたからか、少しは目が覚めてきた。
時間は5時35分。いかん、急がなければ。慌ててポケットからスマホを取り出し、Googleマップとランニングアプリ『STRAVA』をセットする。準備万端だ。さあ、スタートしよう。

目的地は神戸元町だが、あえて逆方向に走り出す。最初に寄らなければならない場所があるからだ。JRのガード沿いを2kmほどひたすらまっすぐ走る。走っているうちに徐々にスピードが乗ってくる。ここのところ気管支を傷めていたのだが、呼吸にも支障がない。久しぶりに、身体中のどこにも気を遣うことなく走っている。快適だ。そうだ、走ることはこんなに楽しかったのだ。

しかし、このままのペースで走り続けると、後半かなりバテそうだ。なにより、そろそろあの時間だ。一旦立ち止まろう。

5時46分になった。その場で黙祷を捧げる。

阪神淡路大震災から四半世紀。当時学生だった私には、関西で起きた惨事など他の国の出来事のように感じていた。TVのニュースは連日に渡り、膨大な被害の映像を垂れ流していたが、私は湾岸戦争以来ニュース番組を見ることをやめていた。画面を通した惨状はまるでフィクションのようで、それを見ていると、自分の中の感覚が狂いそうになるからだ。

そういった経緯で、私は阪神淡路大震災についてあまり考えることがないまま、時が流れていった。

2011年3月、東日本大震災が発生した。命に別状はなかったが、私も勤務先で被災した。その後、日本各地を旅するようになり、被災地や戦争で壊滅的な被害を受けた地域を走ることによって、徐々にあの時神戸の方々が受けた被害について思いを馳せる機会が増えていった。

震度7の直下型地震に見舞われるのは、まるで爆弾が落ちたような衝撃であろう。その上に大規模な火災が追い打ちをかける。家族や友人を突然失い、住みかを終われ公園に身を寄せる。
震災の日は満月だった。次の満月が巡ってきた日、「また地震が来るのではないか?」と恐れを抱いていた彼らを落ち着かせることが出来たのは、慰問に来ていたあるバンドの歌と演奏だった。それはまるで子守唄のように、彼らに作用したのだった。

“ 風が吹く港の方から 焼け跡を包むように脅す風
悲しくて全てを笑う 乾く冬の夕 ”

思わず話が長くなってしまった。先を急ごう。 

またしばらくまっすぐ進み、新長田駅の駅前を左折する。商店街のアーチをくぐる。すると右手に見えるのが橋本公園だ。ここには、なかなか巨大な『鉄人28号』像がある。完成してからまだ10年ちょっとらしい。足元をくぐって走り抜ける。抜けた先のベンチに腰掛けて、小休止する。さて、次の目的地へのルートは?

ソウルフラワーユニオンが慰問で『満月の夕』を演奏した南駒栄公園が、次の目的地だ。スマホで調べたが、正確な場所がわからない。まあ、たまには勘に頼って進んで見てもいいかと、気を取り直す。
このあたりだろうと見当を付けて、ふたたび走り出す。海を目指して。

1kmほど走る。目の前に公園が見える。なぜかNHKのラジオが大音量で流れている。九州に上陸しつつある巨大台風への注意を喚起している。「ここか?」と思ったが、面積が小さい。どうやら違うようだ。

ベンチに腰掛け小休止する。再度ネットを調べる。なんと、南駒栄公園は取り壊され、跡地にホームセンターが出来ているらしい。探してみよう。もちろん、なんたらマップには頼らずに。
なんとなく、海を目指せばたどり着けるような気がした。海であろう方に向かって走る。心なしか胸が高鳴る。行き止まりだった。

気を取り直して、元来た道を戻る。さっきの公園に差し掛かる。時刻はちょうど6時30分。ソーシャルディスタンスを保ったお年寄りたちが7~8人、ラジオ体操にいそしんでいる。

" 新しい朝が来た、希望の朝だ。喜びに胸を開け、青空あおげ。"

公園の前の三叉路を、先ほど選ばなかった方の道に曲がる。10メートルほど進んだら、あった。意外にあっさりと見つかった。ホームセンターが。「大切なものは、意外に身近に存在するものだ」と、ヘンゼルとグレーテルのような感想を抱きつつ、スマホでyoutubeを起動して『満月の夕』を聴いた。

“ ヤサホーヤ 唄が聞こえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て 命で笑え 満月の夕 ”

普段は目的地をあらかじめ決めて、そこに向かって最短距離を走ることが多いが、今回のように、目的地を調べすぎないランもよいものだ。寄り道や迷子による発見がある。『走る』行為がより一層豊かになるのだ。

とはいえ、今日の最終目的地はここから8kmほどある。ここからは最短距離を走るモードに切り替えていこう。

ここから神戸に向かって高松線と呼ばれる通りを、ひたすらまっすぐ進むことになる。日もだんだんと高くなり、体力の消耗も激しくなりそうだ。水分補給をしておこう。目に付いた自販機に近寄る。『チェリオ』の自販機だ。いかにも関西らしい。サンガリアと並ぶ関西ジャンクドリンク界の巨頭だ。合成着色料まみれの毒々しい炭酸飲料を選びたいところではあったが、それを飲むと余計に喉が渇くことが想像されるため、妥協して麦茶をチョイスした。

駒ヶ林から苅藻を抜け、和田岬に向かう。なかなか快調なペースだ。すれ違う人はほとんどおらず、たまに目に付く人影はほぼランナーで、たまに散歩老人の姿も目に入る。
通りの両側には雑居ビルやマンションなどが並び、合間に走る路地にはこじんまりと商店街のアーチが掛かる、そんな風景が続く。と、左手の雑居ビル群の奥になにか巨大建造物が見える。

こんな街中にあったのか、『ノエビアスタジアム神戸』。ご存知の方がほとんどだとは思うが、このスタジアムはサッカーJ1に所属するヴィッセル神戸の本拠地だ。イニエスタ・ビジャ・ポドルスキ、はたまたトルコの貴公子イルハンに至るまで、楽天三木谷氏の資金力によって無駄に豪華な外国籍選手を召集するチームである。ちなみに今調べたところ、現在9位らしい。

これ以上ヴィッセルについて深掘りしても特に面白いネタは出てこないので、先に進もう。
和田岬から新川に架かる橋を渡る。右手に中央市場が現れる。いつもなら時間的に場外が盛り上がっているところだろうが、今日は日曜日。休市であった。残念。『今朝獲れ鮮魚のっけ丼』的な豪華ブレックファーストにありつけるチャンスを逸してしまった。

気を取り直してさらに進む。
運河に架かる橋を渡ると右手にちょっとした漁港が見えた。もちろん日曜日なので人気はない。なんとなく寄り道する。

さっきから走っている道のりはほぼ全部が埋立地で、それ故に歴史が浅く人の営みもあまり感じられなかった。しかし、ここだけは地に足のついたような日々の生活の形跡が見受けられて、少し安心感を覚えた。

心理的に少しリフレッシュしたところで、また進路に戻る。100mほど進んだところで緩やかに右折し、阪神高速のガードと合流する。そのまま1km弱走り、神戸ハーバーランドに到着した。左手が駅で、右手が商業施設だ。ここを右折し、神戸港のテリトリーに突入する。
さすがにここまで来ると、人通りが多くなる。朝の7時台から、若者たちや家族連れの姿が目に付く。セブンイレブンを見つけ、水分補給第二弾を購入する。もう少し進んだら飲むつもりだ。

ハーバーランドを抜け、メリケンパークと呼ばれる一角に入る。遊覧船乗り場がかなりのスペースを占めており、いやでも目に付く。じつは4年前にもこの辺りに来たことがあり、遊覧船にもその時に乗っていたことを、ふと思い出した。今の今まで4年くらい忘れていた記憶だ。
その先にはポートタワーがそびえ立つ。まだ営業時間前だ。そういえば、ここにも4年前に上ったことがある。上ったということしか覚えていない程度の、ごくありふれたタワーだったような気がしないでもない。

閑話休題。ここまで走ってきたお目当てがすぐ先にある。もう少し進もう。

『神戸港 震災メモリアルパーク』。震災の遺構と、震災から復興への歴史を描いたモニュメントが展示されている。
あの時この地で被災し、亡くなった人・生き残った人・傷を負った人・震災を思い出したくもない人・震災を忘れられない人、被災者の数だけ体験があり、想いがあるのだろう。
部外者である私にとって、彼らの身に突然降りかかった惨事がいかほどのものかなど測り知れないし、安易に共感することもできない。しかしその一方で、彼らの心情を類推し想像し、求められれば自分のできる範囲で手を差し伸べることもできる。

自分にとって縁のない土地を旅することは非日常的な行為ではあるが、その土地に『走る』という日常的な行為をぶつける。そのことによって、土地の連なりや歴史や人の営みに身体ごと接続し、自分なりにその土地を解釈したいのだ。
この行為を続けることによって、視点を増やし、多様な価値観を身につけることができる。そして視点が増えるほどに、目に見える光景の解像度が上がっていく。

珍しく早起きをしたので脳がバグり、『講演 私と旅ラン』のような語りが混ざってしまった。もう少し身体を動かさないと目が覚めないようだ。あとちょっとだけ走ろう。

メリケンパークを抜け、元町駅に向かって走る。信号を2つ越えると、中華街だ。門を走ってくぐり抜け、中華街の中心部に入る。あわよくば「朝から中華粥を売っている店」の一つでも見つけて、意識高めのブレックファーストを摂ろうと目論んでいたのだが、見事にすべての店が閉まっていた。残念。

パンダらしき視線をやけに感じるのだが、気のせいだろうか?

中華街を抜けアーケードに入る。この先を左折したらもう元町駅はすぐだ。しかし、もう一か所だけ寄り道したいところがある。さっきからブレックファーストを食べ損ねており腹ペコだ。なにしろ私は今日5時に起きてからなにも食べていないのだ。5時に起きてから。
電車に乗ってホテルに戻る前に、朝マックを決め込もう。縁のない土地に日常を持ち込んで、そこに溶け込むためには、『寄り道』や『朝マック』が有効な武器となるのである。

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神戸の街を走ってから、「神戸の人たちにとっての震災とは? 」と考え続けている。実際、語られていることは多いのだろうが、悲しいかな片隅で語られることが中心まで届くことはほとんどなく、その声を届ける手段も限られている。
震災から四半世紀経つと、当事者がどんどん減っていく。体験を語ることができる人も限られてくる。そんな状況の中で、ひとつ興味を持ったことがある。
当時被災した子供たちの声である。

当時は幼かったがゆえに、上手く言語化できなかったであろうが、今は大人になって、当時のことや今に至るまでの感情の流れを整理して語ることができるのではないか?

・兵庫県出身の芸能人(30代以下抜粋)
あいみょん・戸田恵梨香・北川景子・有村架純・水原希子・相武紗季・上野樹里・佐藤江梨子・森山未来・半田健人・松浦亜弥・関ジャニ安田・鈴木亮平・野村周平・そして能年玲奈。

彼らの名前 + 阪神淡路大震災 で検索すると、当時子どもだった彼らが大人になり発言の機会を得て語ることができた、当時の体験や感情の一端を知ることができる。
自分にとって縁のない土地で起こったことでも、我々が持っている想像力を駆使すれば、繋がることだけはできる。たとえ共感はできなかったとしても。

その事こそが、私にとっての救いである。

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【追記】

せっかく兵庫県に来たので姫路城まで足を伸ばし、内堀を軽く一周した。ざっと2km。アップダウンもなく、緑豊かで走りやすいコースだった。

不戦の城
幕末に新政府軍に包囲されたり、第二次世界大戦で焼夷弾が天守に直撃したりしているものの、築城されてから一度も大規模な戦火にさらされることや甚大な被害を被ることがなかったことから。

神戸と比較して、姫路の安穏さは特筆すべきレベルであった。


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【次回予告】

敦賀で『他者の日常』を走る

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