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天神で『A面』を走る " 旅先で『日常』を走る 〜episode 4〜 福岡編 "

前回のあらすじ

熊本で『過去』を走る

“ かつて暮らしていた土地で走る。過去の自分・そして今現在の自分と向き合い、さらに特定の場所をフィルターにすることによって自分自身の『定点観測』となるのだ。そしてこのランの面白さは、歳を重ねるほど得られる収穫が多くなるという点にある。”


天神で『A面を走る』

私の父は、同じ会社で勤続53年勤め上げた。近所にある4階建ての町工場、そこで工場長や開発部長を担当していた。繁忙期には少年時代の私も駆り出され、機械を使って部品に穴を開けたりしていた。

父は65歳で定年を迎えてからも嘱託扱いとなり、最近は週一だけだったが仕事を続けていた。しかしこの2月に喜寿を迎え、さすがに体力の限界を感じたらしく、引退する運びとなった。

小学校の裏路地を抜ける、徒歩5分にも満たない道のり。ざくろの木が生えているくらいで、特に目を引くものはない。

くる日も来る日も同じルートを歩く。飽き性の私には測り知れないことだ。そんな狭い行動範囲には到底耐えられない。
なにしろ地元を走るのにも同じルートを辿るのが嫌で、日々新規ルートを開発し続けているほどだ。

しかし、過去のある一年ほどだけは、私も父と同じような行動範囲で生活していたことがあるのだ。

前回の熊本編の続きになるが、1997年の9月から私は福岡の店を担当することになった。3月にオープンしたばかりだが、売上が急激に落ち込み、内部の状況もよろしくない。そんなお店の立て直しに入ることになった。

なかなか難易度が高い任務を課せられたが、何しろ当時の私は新卒1年目。知識も技術も経験も全てを持っておらず、課題を一つ一つ解決していくためには仕事以外の事は何も考えずに、なりふり構わず目の前の問題解決に没頭するしかなかった。

毎日最初から最後まで店に張り付いていたが、週に1度だけは何とか休みを取った。
住まいは天神の繁華街にほど近く、西鉄福岡駅から徒歩5分足らずの渡辺通というところで、昔ながらの一軒家が多い閑静な住宅街だった。


超一等地に住んでいるからには、休日には遊び倒す他ない。しかし、休みの日はも疲れ果てていて目覚めるのは昼過ぎ。買い物だったり髪を切ったり用事を済まそうと家を出るのは大体3時か4時で、出先で外食をして帰ってくるくらいだった。

後は部屋の掃除をして風呂に入り酒を飲んで寝る。これで貴重な休日は潰れてしまう。1年くらいこうした半引き篭りな休日を送っていた。

もちろん、当時の行動範囲は自宅から職場までの通勤路(電車通勤)と、休日に徒歩で出かける天神の繁華街のみ。

こんな単調な生活を送っていたが、お店の業績は半年を過ぎてから急速に無事回復を果たし、内部の状況も見違えるように改善した。主に私のスキルの賜物である、と言いたいところだが当時の私は店長としては未熟だった。

私に付いてきてくれるスタッフがいる一方で、半分くらいのスタッフは辞めてしまった。なにも持っていなかった当時の私にできることは、一生懸命であるスタンスを周囲に示すことだけだったのだ。

業績を改善させたので、半年前までは「お前◯ね」くらいの勢いだった当時の専務をはじめとした上層部の態度が豹変し、私は急遽東京に戻ることになった。その後は出張などで福岡空港は使うけれど、市街地にはついでに少し立ち寄るくらいでしばらく縁がなかった。
そんな状況に変化が起こったのが2015年のことである。

やんごとなき用事があり、久々に福岡の街に足を踏み入れた。懐かしさのあまり、かつて住んでいたマンションに聖地巡礼を行った 笑。マンションは昔のままだったが、驚くことにかつて暮らしていた一帯の開発が進み、一躍最先端のスポットに変貌していた。
福岡市は新たに地下鉄の建設を進めており(博多駅近くの道路が陥没したアレです)、なんと旧居の近くに『天神南』駅が開業していたのだ。

ほんの20年前は昔ながらの住宅地だった路地の一角も、今ではこじゃれた飲み屋だったり雑貨屋だったり中古レコード屋だったり、はたまた意識高そうなベジドリンクスタンドだったり、『パパラギ』という看板を掲げた床屋だったりする。
ひとまずかつての通勤路沿い、路地の角にあった古民家を改装した風な飲み屋に入った。

黒T &スキンヘッドの大将を想像してドアを開けると、カウンター内にはなぜか商店街の婦人向けブティックの店番をしていそうな若干無愛想な老婆がおり、客が入ってきたことに驚きを覚えているようだ。

よくよく聞いてみると、この店は彼女の息子さんが経営しており、今日はたまたま彼が東京に所用で出かけているので、彼女が代わりに店番をしているとのことであった。しかしながら、ここに書かれているお品書きの中で彼女が作れるものは希少であるらしい。おいおいとんでもない店に入ってしまったか?

まあ、そんなに腹が減ってるわけでもなし軽く飲みたかっただけだから、彼女が作れそうな物を慎重に見定めて注文した。幸いなことに、味はまあまあであった。

他にほとんど客入りはなかったので、彼女とは結構話をした。というより、問わず語りに彼女がひたすら私に話しかけるスタイルだった。出身が長崎であること、上京して銀座で長いこと画廊を経営していたこと、引退して息子さんと一緒に福岡に引っ越してきたこと、などなど。

そろそろお暇しようかという時に、「今日は中洲ジャズをやっとるけんね、聴きに行ったらよかとよ(意訳)」と。『どんたく』でも『山笠』でもなく『中洲ジャズ』。

ちょっと覗いて見ようかしら。「そこの道まっすぐ進めば会場たい(意訳)」と道案内され、歩くと5分ちょっとで中洲にたどり着いた。

かつて一年くらい暮らしていた街に知らない道があった。中洲には地下鉄で行くものだと決め付けていたが、たしかに一駅だ。大した距離ではない。当時の私はこの街の配置を理解することを放棄し、公共交通機関に頼ることで思考停止していたのだ。結果、街の『A面』を知ることなく終わってしまったのである。
振り返れば仕方のないことではあるが、もったいない事をしたと本気で思った。

もちろん、中洲ジャズは最高だった。

そして翌日も同じ店を利用し、今度は無事に息子さんとお会いすることが叶った。ちなみに彼は黒T派ではなく作務衣派だった。

その後も事あるごとに福岡には足を運び続けている。ランニングを趣味にするようになってからは、この街で走ることが旅の大きな楽しみになった。

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2019年10月7日 午前7時 薬院東映ホテルを出発する。旅先では少し頑張って早起きして、これくらいの時間に走るようにしている。
朝の陽射しが心地よいのはもちろん、人通りがあまりないので、人に邪魔されずに街を堪能できるというところが気に入っているからだ。

ちなみに今回東映ホテルに宿泊したのには理由がある。1997年、新卒の私が熊本に赴任する際に、途中で福岡の新店(上にさんざん書いているあの店)を手伝うことになり、このホテルに一週間ほど連泊したのだ。いわば思い出の宿なので今回利用したが、全面改装が施され以前より断然キレイだった。唯一残念だったのが、コインランドリーが別棟にあり往復が大変だったこと。ランナーにとってコインランドリーは必需品なのだ 笑。

閑話休題。薬院をスタートして渡辺通りを進む。ミニストップの手前で右折し、私がかつて暮らしていた一帯に入る。
同世代の店長と屋台で飲んだり、酔い潰れた先輩を介抱して自室に運んだり、いろいろと思い出深い場所。行動範囲は限られていたが、それなりに物語はあるのだ。

新川を渡り国体道路に当たる。右に行けば中洲だが、ここは左に。西鉄福岡駅が見える。あえて三越の裏にルートを取る。


なぜならそこには警固神社があるからだ。と偉そうに言ってはみたが、この神社の存在を知ったのはなんと2019年のことであった 笑。なんという行動範囲の狭さ。

直進すると福岡が誇る百貨店岩田屋がある。

ここのスタバは意外に空いていておすすめだ。まあ、私が福岡に住んでいた頃にはスタバはなかったのだが。昭和通りにぶつかったところで右折、渡辺通りとの交差点でさらに右折する。


コアやイムズやベスト電器や大丸エルガーラを巡回する。クリスマスの時期にはエルガーラの広場に大きなもみの木が設置され、イルミネーションが施される。帰りがけに少しだけ寄り道してそれを眺めるのが当時の数少ない楽しみだった。

国体道路に戻り、今度は左折する。中洲に向かうため。春吉橋でしばし歩みを止める。ここからの眺めが好きなのだ。


しばらく川沿いを歩き、西大橋のところで右折する。そしてアーケードに入る。


しばらく進むとキャナルシティ博多にたどり着く。1996年に鳴り物入りで誕生したアミューズメント施設だが、時の流れは残酷ですっかり寂れてしまっている。

キャナルシティを越えたら博多駅は目と鼻の先。住吉通りを走れば薬院に戻れる。

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私の経験もあって思うのだが、そこが生まれ故郷でもなければ、暮らしている街の生活動線を外れる機会はあまりないのでは? 日々の生活動線は固定され、休日も地元をうろうろする事はなく繁華街へ出掛けたり。
しかし、それだけではもったいないのでは、と思う。なぜなら、その街の『A面』を発見していないから。


私は見知らぬ老婆に導かれるという、まるで民話か宮崎アニメのような偶然から街のA面を発見した。
そしていつもとは違うルートを走ることによって、今度は主体的に新たな偶然性を生み出し、まだ見ぬ『A面』に接続できるのだ。

また、幸いにも現代ではテクノロジーの発展によって、googleをはじめとした地図アプリの発展が甚だしい。街全体を俯瞰的に捉えること、いわゆる『世界視線』を我々は容易に獲得できる。

その街自体をハックし味わい尽くすことによって『ちょっと変わったかたちの日常』を手にし、自分自身の人生が少しだけ豊かになるのだ。


とはいえ、普段の生活動線にも楽しみを見出すこともできるとは思う。ただ私がそれを苦手としているので、発見できないだけなのだろう。同じ場所を毎日通ることによって季節の移り変わりを感じたり、自分の日々の変化を測ったり。

そういえば、父は会社帰りに小学校の裏庭に生えているザクロの実をヒョイと手を伸ばして摘み、お土産に持ってきてくれたことが何度かあった。

それも一つの豊かさだったのだなと懐かしく思い返すのだ。


次回予告

別府で『ふたり』を走る

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