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島原で『乱』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode15〜 長崎編 ”

前回のあらすじ

広島で『爆心地』を走る

" この世界に散在している『片隅』たちの存在に目を凝らし耳を傾けて、さまざまな場所でさまざまな立場の人によって送られた日常を拾い上げていくこと。これによってより多くの視点を得ることができる。”

島原で『乱』を走る

15回目を迎えた当連載、今回のテーマは『長崎』だ。
正直、長崎という土地にはあまり印象がない。今から20数年前には熊本と福岡に1年半ほど住んでいたことがあり、九州には強い思い入れがある。あるのだが、長崎に対してはあまり思い入れがないというか、同じ九州でも別物的な印象が当時から今に至るまで払拭しきれないのである。

とりあえず、長崎の思い出を列挙してみる。


■ 2003年2月、父の還暦祝いで九州まで家族旅行をした。
姉の「長崎ランタンフェスティバルをやっているので観たい。」というたっての希望で初日を長崎泊にした。長崎空港に降り立ったところ、空港の前で観光客を待ち構えていた観光タクシーの運ちゃんにつかまった。1才9か月の赤ん坊も同行していたので、移動は楽な方が良かったので渡りに船だった。

運ちゃんの案内で長崎市内観光半日コースを堪能した。たしかに堪能したはずだ。しかし、どこを観光したのかほとんど記憶に残っていないのだ。これは長崎の観光地に魅力がないということではなく、恐らく観光タクシーという最も受動的な移動手段を選んだゆえのことであろうと思う。なにしろ、ルートはすべてあらかじめ決められており、おとなしく後部座席に座ってさえいれば次々に観光地にたどり着くのだ。まるで昭和のパックツアーであるが如く。
これ以上楽な観光はないが、これ以上印象に残らない観光もないのであろう。やはり旅先のルートは自分で決めて、自分で交通手段を確保することによってこそ、旅の印象は後々に至るまで深くなるのである。

ちなみに、ランタンフェスティバルは期待したほどではなかった。「まあ、キレイだよね。」「お、おう。」くらいの印象であった。
(個人の感想です。)

■ 2018年4月、転職に伴う有休消化中、私は九州一周旅行をした。
15年ぶりの長崎。市街地はほぼ坂道。というか軽い山になっている。散策するにも体力を地味に消耗していく。景色はキレイであるが、ここに暮らす人たちは日々の生活をこなすだけでも大変だろうな、と感じた。

それでも、長崎に原爆が落とされた時、広島に落とされたものより破壊力が大きい爆弾だったにも関わらず、この山々が壁となり多くの命を救ったとのことである。なにが幸いするかわからないものだ。

長崎駅から激混みの路面電車に乗り、長崎随一の繁華街『浜町アーケード』に向かい、中華料理店でランチを食べた。
午後は『軍艦島ツアー』に参加した。この旅の中でも特に楽しみにしていたイベントだ。長崎港から高速艇で進むと、まさに『軍艦島』そのものが視界をとらえる。

小一時間のクルーズで軍艦島に到着した。上陸する。この狭い島に無理やり建てられた建造物群は腐食が激しく、近づくと危険であるため、散策ルートは限定されたものであった。

しかしそれでも近海にポツンと浮かんだ廃墟の島、かつてはこの狭い島に東京都の18倍の人口密度で、5,000人以上の暮らしが営まれていた痕跡を目の当たりにし、今は誰も住んでいない島の歴史が眼前に迫ってくるあの感覚を体感できたことは、またとない貴重な経験となった。

そして当日の宿に向かおうと『長崎県営バスターミナル』に向かった。このバスターミナルが衝撃的だったのだ。今まで47都道府県すべて足を運んだが、県庁所在地にあるバスターミナルで、ここまでボロい建物を見たことがなかったのだ。そういえば駅周りや繁華街でも再開発らしきものはあまり見当たらなかった。昭和に建てられたであろう建造物ばかりが並んでいた。「財政がヤバいのかな?」と心配になるレベルだった。


(補足:JR長崎駅は今年リニューアルを果たした。また、長崎新幹線用の線路も県内分はすべて新設したようだ。金はあるところにはあるようである。)


ここまで列挙してみたが、長崎という土地の輪郭を掴みかねているというか、距離感を図りかねているというか… こちらが拒絶しているわけではないのだが、なんか妙な感覚が残っている。
そして、今回2019年10月、熊本でラグビーWCを観戦した翌日に三たび長崎県に上陸し、攻略を図ることにした。


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熊本港からフェリーに乗って30分、長崎県島原港に颯爽と上陸した。島原といえばお城があるくらいだから、それなりの規模の地方都市であろう。また、県内屈指の観光地でもあるだろうから、そこそこ賑わっているに違いない。なにしろ今はラグビーWC期間中だ。福岡・熊本・大分と九州だけでも3箇所で熱戦が繰り広げられているのだ。試合のない日は海外からの観戦客たちが近隣の観光地に出かけるのは目に見えている。世界中からの観光客で賑わっている世界の『SHIMABARA』!


と期待して降り立ったのではあるが、見渡す限り人影はまったくない。なんで?あ、そうか。たぶん港だからだな。市街地まで行けばきっと世界の『SHIMABARA』が繰り広げられているに違いない。ということで島原港駅に向かうことにする。道中、道路を渡るのにも難儀するほどの交通量、自動車だけはやたらと多かった。

島原鉄道は島原港駅を始発駅として、諫早駅まで43.2kmの距離を1時間20分ほどかけて結ぶ路線である。時刻表を見ると、ざっと1時間に2本くらいの運行ペースだ。島原港駅から電車に揺られること7分で島原駅に到着した。ここが世界の『SHIMABARA』か。
あれ? ここも港ほどではないが人影まばらだった。しかも島原駅の駅長は『鯉』。

もはや人ですらない。まあ広島と長崎の意外な共通点といえば言えないこともないか…

気を取り直して、さっそく走ろう。なにしろこの連載は『旅先を走る』なのだ。駅舎にある公衆トイレで着替えて、コインロッカーに荷物を預けたら、いざ出発だ!行くぞ『島原のRUN』。

駅前から島原城がはっきりと見える。丘の上に建っているようだ。Googleマップを起動する。どうやらお濠沿いに一周するルートが良さそうだ。逆時計回りのルートでお濠に回り込むことにしよう。
駅回りに林立する昔ながらの民家の間を駆け抜け、緩やかな坂を上っていく。上りきったところでお濠にぶつかる。逆時計回りにお濠沿いを進む。住宅街の中にポツンと存在するお城のようだ。人通りもないが車の通行も少ない。よって、とても走りやすい。島原のRUNは快適だ。お濠沿いに1/3周ほどしたところで『武家屋敷』を発見。ちょっと寄り道する。

当時の屋敷を何軒か保存しているだけではなく、当時使用されていた用水路もそのまま保存されている。

そういえば駅前にも用水路があったな。わざわざこれだけを保存するほどに、当時の生活に結びついていたものなのだろうか? そしてもちろん、この用水路の道も走る。江戸時代にここに暮らしていた人たちと一瞬だけシンクロできたような錯覚に陥った。悪くない感覚だ。

お濠に戻る。なんか階段で降りれるようになっている。試しに降りてみよう。草ボーボーと生い茂っている。特に見るべきものはないようだが、石垣を真近に観ることが出来る。近くで見るとなかなかの迫力である。


お濠沿いに戻り、またしばらく走る。「島原城正面入り口」的なところに出た。いつもならここを上って天守まで行ってみるのだが、今日はパスする。なぜなら次の電車に乗って次の目的地に行かなければならないからだ。なんてタイトなスケジュール。売れっ子アイドルのようだ。
道のりは下り坂に入る。下りきる直前に交差点がある。お濠を外れて向こうに寄り道しよう。それくらいの時間の余裕はまだありそうだ。『サンシャイン中央街』と入口のアーチに書かれたアーケードに入る。

入りばなにいきなり「20歳くらいの早見優の水着ポスター」に出くわすという軽いタイムリープを体験した。さすが国際都市長崎。ハワイ出身の早見優まで網羅しているとは恐ろしい。
そのまま道なりにアーケードを半周ほどすると、左手に『鯉の泳ぐまち』と称する小洒落た一角があった。ここを進めば駅前に出そうだ。ちょっと寄ってみよう。この一角だけ昭和感が薄れ、今どきの小京都的な観光スポットになっている。人通りもここだけ多い。30~40代のマダムが目に付く。どうやら島原にも人類は生息しているようだ。


スマホを確認する。あまりのんびりしてはいられないようだ。この通りを一気に駆け抜けて駅に戻り、『島原のRUN』を終えることにしよう。


急ぎ目に着替え、なんとか電車の時間に間に合った。ここからは島原鉄道で諫早まで一気に下っていく。
電車は、島原半島を海沿いに進んでいく。車窓の景色が想像を絶するレベルで美しい。

この前月に乗った岩手の三陸鉄道に期待していたような景色を、ここ長崎で見ることが出来て感慨無量であった。

https://twitter.com/i/status/1181104346450104322


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長崎という土地は古くから貿易の拠点として、国際的に開かれた歴史が存在する。ネットで『長崎 県民性』と検索してみても、「開放的で世話好き。暮らしが裕福だったことから、楽天的で浪費家。」と表示される。一方で「倫理観を大事にし、伝統を重んじる」一面もあるようだ。


『怒りの広島 祈りの長崎』と称されるように、広島のあの屈託ないストレートな怒りに対して、長崎から発信されるメッセージはより内省的でシニカルさすら感じてしまう。『隠れキリシタン』や『島原の乱』といった歴史の一面からも、長崎の人は中央(国家権力)に対する徹底的な不信感があるのではないかと感じた。

国家を介在させずに直接世界と交流するというスタンスは非常に現代的に見える。しかし一方で国家を信用せずに自分達の力だけで全てを為そうというのは非常に困難が多いのではないだろうか、とも感じる。長崎に感じる閉塞感や時代に取り残されつつある感じ、そして国際的な文化と裏腹に存在する『頑なさ』。

まるで長崎全体が、巨大な『軍艦島』であるかのように、私には思えてしまうのだ。

次回予告


御船山で『楽園』を走る

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