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ジーズアカデミーの半年間を忘れないために記します。

10月3日。火曜日の夜23時。
原宿の地下の校舎には歓声が響き渡る。
「おつかれー!!」
「やったね!」
その時、校舎にいた同期全員の卒業制作を提出した瞬間だ。

平日夜にも関わらず(一応社会人が)20人ほど深夜に集い、
小躍りしながらハイタッチ会が始まる。
正直、当事者以外にはその熱量も喜びも意味がわからないだろうし、
滑稽さや狂気を感じるかもしれない。

ただ、そこにいた当事者の私は、あの時を美しい瞬間だったと思うし、
ほかのクラスメイトも同じ思いだと思う。

無知の知こそ進歩の第一歩。
だが、知らなすぎもヤバい


「原宿の地下組織」こと、ジーズアカデミーを知ったのは、
ちょうど1年前の2022年10月のこと。
出版社にて、雑誌メインでやってきた私がWEBメインの業務になり、
コードのことをあまりにも不勉強だったので、
一度きちんと学ぼうと思ったのがきっかけだ。
いくつかのスクールのWEBを見たが、正直カリキュラムの優劣がよくわからない。
私のレベルは
htmlとCSS→単語は知っている。
JavaScript→単語は聞いたことある。
PHP→文庫じゃないのか?
という状況。

結局、スクール選びの軸は「週末に対面授業があるかどうか?」のみで
あとは、なんとなく(笑)で進めることにした。
サボりがちな私にとっては、オンラインだけで開講するコースは続けられる自信がなく
対面の授業のほうが続けやすいと判断したのだ。

ジーズの試験は数学っぽい問題を解くIQ試験と、企画をプレゼンするIDEA試験の2種類。
この時点でやりたいこと=企画の無い私は、当然IQ試験一択。
うだうだやっていたので、この時点で2023年になっており1月末の試験で合格。
2月からはIltyとProgateで予習をスタートする。

とはいえ、まともに勉強するのは約20年ぶり。
スムーズに知識を吸収、、、なんてことは皆無で、
「昨日やったことを今日忘れている」ことばかり。
一応、htmlとCSSだけ予習を終え
「まあまあ予習してるぜ」くらいのテンションで4月の入学式を迎えることになった。

正直、入学式後から、6月くらいまでの記憶があまりない。

htmlとCSSの授業は最初の1回のみ。そこからJavaScriptの授業が始まった。
ようするに私の2カ月の予習は、1週間ですべて消化してしまったのだ。
毎週、課題を提出するのがやっとで、ギリギリの戦いを続けていたのは覚えている。
iPhoneカメラロールを遡り、自分が撮ったジーズの写真を振り返ったが
4月29日の最初の懇親会で撮った魚民の写真の次は、
7月15日に某クラスメイトが私の部屋で、
ウチの猫2匹を飼い慣らしている写真だ。

別にこの時期が楽しくなかったワケではなく、
ゴールデンウィークは新宿の貸し会議室にて
コードが1900行にまで膨れ上がった(笑)じゃんけんアプリ作ったし、
土曜日の授業の後は飲みに行ったし、
日曜日は起ジ定(起きたからジーズ行く定期)したし、
平日も退ジ定(退勤したからジーズ行く定期)していた。

ただ、余裕がまったくなかった。
プログラミング、向いてないと思った。
課題発表のたびに、周りがモンスターばかりだと思った。
入学式で発表した皆のプロフィールは、
半分以上プログラミング初心者のハズだったのに、気付くと猛者しかいない。
この段階では、クラスメイトを「プロフィール詐欺師」の集団じゃないのかと疑っていた。

いまだから明かすけど、5回目の講義の後でされる継続確認の時期、
通い続けるかどうか、本気で悩んでいました。
(当時は平然と、涼しい顔をしていました。。)

周囲を励ましつつ
励まされているのは、自分


悩んだ末に(さも当然の顔をして)ジーズに通い続けることにした。
中途半端はイヤだったのと、
「PHPになったら状況変わるよ?」というアドバイスがあったのと、
このクラスメイトと残り数ヵ月、一緒に走りたいと思ったからだ。

幸いにもPHPは、比較的自分に合っていた言語のようで、
予習→授業→課題のサイクルが以前よりもスムーズに回るようになった。
この時期には、自分の卒業制作はモバイルアプリで作ることをなんとなく決めていたので、
Flutterの学習もスタートする。

今年の夏は、クーラーの効いた地下室でひたすらコード書いた記憶と、
魚民、雅屋、なかめ、ファミマの前で飲んだ記憶、
藤沢での合宿の記憶が鮮明に残ってる。
人生に1度くらい、こんな夏があってもいいかもな……と思いながら過ごした。

卒制提出までFlutterの環境構築に悩まされ、
提出直前にまったくシュミレーターが動かなくなりXcode入れ直すなど、
この半年、順調だった瞬間なんて一つもなかった。
そして、今でもプログラミングが自分に向いているかはわからない。

自分一人では、絶対に走りきれなかったので
できるだけ多くの人を巻き込みつつ、
ボロボロになりながらもなんとか卒業まで漕ぎ着けた感じだ。
クラスメイトに「頑張りましょう!」って声かけながら、結局自分も励まされている。
半年間の”祭り”にしたことで、なんとかなったのだ。

「仲間に恵まれた」という言葉は、
使い古されて陳腐な感じがするので、本来はあまり好きではないし使いたくない。
だけど、この半年間一緒に走って刺激を与えてくれて、
支えてくれたクラスの仲間には、
仲間に恵まれた以外の表現が見当たらない。
本当にありがとうございました。

ちょっとだけ、
これから先のはなし。


卒業はしたものの、私はセレクションに出場しなかった。
理由は「実力不足」ただ、それだけだ。
作ろうとしているモノの1/4もできていないのに、
プレゼンで脚色するのが嫌になったのだ。

盛りに盛ったプレゼン資料と、美辞麗句を並べた原稿を作ったが
「これは嘘だ」と思い、直前で辞退させてもらことにした。
ちゃんと自分の納得のいくモノを、
半年間、もう少しだけ頑張って作り続けて納得のいく形で
セレクションに参加できればと思っている。
どこかで宣言しないと、継続できない気がするのでここにこっそり書きます。
もしサボっていたら、「なにしてんの。お前?」と叱ってください。

起業するとか、エンジニアになる!
なんて考えは今のところはないけれど、
この先もコツコツと何かしらは作っていこうと思う。
卒業しても伴走してくれる仲間がいるので、遠くまで進めることを夢見て。

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