「かわいそう」な女が一番モテるのは本当か

先日、以下の記事を読んだ。

有料記事なのですべて読めるわけではないが、要約するとツイートの通り、「女性の性的魅力において重要なのは顔よりも体型よりも服や化粧よりも「かわいそう」性である」という話だ。

ちなみに私は小山晃弘さんの書く記事が好きで月額料金を払って購読しているため、この記事はすべて読んだ。


私はまさに小山さんのいう「かわいそう」性が強い女性に該当するだろう。

発達障害がありいわゆるコミュ障で、友達は1人もなく孤独である。


しかし私としては、「かわいそう」性によって男性にモテたという意識がまったくないのだ。


発達障害で仕事ができない私は、バイト先では男性からも容赦なく怒鳴られた。むしろそういう男性に目を付けられやすいタイプだった。

仕事について質問したり頼ろうとしても、明らかに嫌な顔をされた。私が話しかけると露骨に無視する男性もいた。

新卒で就職した会社でも、最初は周りも優しかったものの、時間が経つにつれて冷たくなったのは明らかだった。

仕事の場では特に「かわいそう」性が強く発揮されたと思うが、周囲の男性は容赦なく冷たかった。優しいのはせいぜい入りたての頃だけだ。


大学のサークルなどの同年代が集まる場でも、気づいたら余ってしまうのが常だった。それで自分から男性に話しかけても反応は薄く、会話も続かなかった。


有料記事なのであまりネタバレはできないが、小山氏の記事によれば、非モテを自称する女性の多くは、適切に他者に助けを求める力、つまり援助要請スキルが欠如しているために、援助を受けるに至ることができないという。


そう考えると、私には援助要請スキルが足りなかったということだろう。
確かに私は人に頼ったり甘えたりするのが苦手である。当時を振り返って、具体的にどのように援助要請を出せば良かったか考えても分からないので、その時点で援助要請スキルが足りていないのだろうと思う。


しかし私としては、「もし自分が美人だったら助けてもらえていたのではないか」とも思うのだ。


小山氏は「女性の性的魅力において重要なのは顔よりも体型よりも服や化粧よりも「かわいそう」性である」と述べているが、男性にかわいそう認定されて援助までたどり着くには、むしろ顔や体型や服や化粧の良し悪しなどの外見が重要になってくるのではないだろうか。

男がブスに冷たいのは、私も含め多くの女性が実感していることだろう。


ちなみに、小山氏の主張に賛同する例がいくつかあったが、例に出てくる女性の容姿はやはり優れているということだ。


しかしここで、小山氏はこの記事で「何人の男性から好意を持たれたか」ではなく、「結婚できているか否か」を女性のモテ指標として定義していることに気づき、小山氏の主張も腑に落ちた。

「『かわいそう』な女が一番モテる」というタイトルを、「『かわいそう』な女が一番結婚できている可能性が高い」と置き換えてみれば納得できる。



「かわいそう」性を多く持つ女性ほど、妥協してでも結婚しなければ生きていけないからだ。


ブスで頭が悪く、コミュニケーション能力も低くて、持病があり、実家が貧乏で育ちも悪い超かわいそうな女性ほど、外に働きに出て自分で生活費を稼ぐのが難しい。

そうなると、いわゆる非モテだったり一般的に見て条件の悪い男性であろうと、誰でもいいから結婚してしがみつかざるを得ないのだろう。



そう考えると、「女性の性的魅力において重要なのは顔よりも体型よりも服や化粧よりも「かわいそう」性である」という小山氏の主張を文面通りに受け止めるのは女性には分が悪い。


顔や体型や服や化粧が良ければ多くの男性から好意を抱かれやすくなり、結婚相手の選択肢が増えるために、結婚できる確率自体は下がるかもしれない。
しかし選択肢が多い分、条件の良い人と結婚できる可能性は高くなる。

それに、結婚につながるとは限らないが、顔や体型や服や化粧などの外見を整えた方が、男性への援助要請の成功率が上がるのは間違いないはずだ。


簡潔に言うと「結婚まで漕ぎつけられるかどうかは別として、可愛い女性の方が男性に助けてもらえる可能性は当然高いよね」ということである。


小山氏の「かわいそう」性が男性を強く惹きつけるという主張は理解できる。

ただ、あくまでも外見が最低ラインを越えた上で「かわいそう」性が加わると男性を強く惹きつけられるのであって、まずそこを越えられなければ見向きもされない。

「女性の性的魅力において重要なのは顔よりも体型よりも服や化粧よりも「かわいそう」性である」というよりは、「かわいそう」性を援助につなげられるか否かはむしろ顔や体型などの外見に大きく左右されると私は考えている。


また、女性が外見を整えることに対して、男女で認識にズレがあるのではないかとも思う。

女性向けメディアで宣伝されているようなきらびやかなブランド物を身につけたり、派手なネイルをしたり、整形で極端に目を大きくしたりと、男性は「女性が外見を整える=分かりやすく派手にする」とイメージしがちなのではないだろうか。

見るからに派手な女性だと「かわいそう」性は薄れてしまうのだろうが、実際は外見を整える=派手になるとは限らない。

私自身、学生時代は天然パーマでひどい頭だったが、ちゃんとヘアセットをすると男性の態度も変わった。

男性からすれば「ナチュラル」で、日本人なら普通だと思われている黒髪ストレートヘアも、それなりの金銭と労力を費やさなければ手に入らない人も中にはいる。

このように、男性から見れば何もしていないように見えても、実はそうではないことも多々ある。ダイエットで30kg痩せたとしても、元を知らない男性からすれば元々スリムな人だと思われるだろう。


女性が一生懸命外見を整えても、男性はそれを認識しない。その状態が当たり前だと思うだけなのだ。

肝心なのは「派手に見せない」こと。
黒髪ストレートの女性に男性が騙されるのはよくある話だ。


まとめると、「かわいそう」性を損なわない方向性で外見を改善しつつ、「かわいそう」性をアピールするのが最適解なのだろう。



やはり、外見だけはかわいそうになってはいけない。

外見がかわいそうな女性でも1人ぐらいは好意を持ってくれる男性がいて、その人と結婚できればまあ幸せじゃないの、という考え方もあるのだろう。

しかし女性としては、できるだけ条件の良い男性と結婚したいと思うのは当然のことだ。あまりにもかわいそうな女性は、かわいそうな男性にも好意を持たれやすくなるだろう。

援助要請スキルが無いコミュ障の女性はまず外見を磨く方が手っ取り早いし、選べる男性の選択肢も増える。外見そのものが援助要請スキルの一部なのだ。


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