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ウガンダの先生は副業が普通、教師の経験しかない自分が悔しかった。

大学で中学・高校の教員免許を取得。卒業後は青年海外協力隊(現:JICA海外協力隊)として、アフリカのウガンダ共和国で理科・数学・ICT教育に携わってきた小野健太さん。

帰国後は環境調査会社に就職し、その後フリーランスを経て、現在は「あふ理科のお兄さん」として日本やアフリカに理科や算数の楽しさを広めるための活動を続けながら、東京・中野にある探究型の全日制マイクロ・スクール「東京コミュニティスクール」でフルタイムの教員として働いています。

普通の“教師”を目指して大学に進学したという小野さんは、なぜ会社員、フリーランスを経験し、探究型の現場で働くようになったのでしょうか。

少人数の学校で「学び合う楽しさ」を知り、先生になりたいと思った

── 小野さんは、なぜ教師になりたいと思ったのでしょうか。

秋田で生まれ育ったのですが、過疎地域のため通っていた小学校は1学年10数名。知らない人がいない環境で、皆と分からない問題を教え合ったり、一緒に考えながら育ちました。

高校も、理数科は20名ほどのクラスで、理科や数学が好きな人同士が雑談するように学び合う環境だったんです。そうした時間がとても好きで、教師になりたいと思うようになりました。

教育学部ではなく理学部化学科に進学した理由は、高校の先生への進路相談で「理科の先生になるのであれば専門的知識を持った方がいいだろうし、教員以外の幅広い選択肢も残されるだろう」と勧められたからです。

自分としても専門性を深めたい気持ちがあったので、そちらを選ぶことにしました。

── 大学卒業後は青年海外協力隊(現:JICA海外協力隊)としてアフリカのウガンダ共和国に行かれたそうですね。日本の学校に就職するのではなく青年海外協力隊を選ばれた理由は何だったのでしょうか。

教員採用試験を受ける前の大学3年生の冬ぐらいに「理科教育」でインターネット検索したら、偶然青年海外協力隊でウガンダでの理科教育教員を募集していたんです。

それまで修学旅行で韓国に行ったことはあっても、他に海外渡航の経験はありませんでした。アフリカという土地に惹かれて、純粋に行ってみたいと思ったんです。

とはいえ、研修を受けたものの、英語力はまだまだの状態で派遣時期を迎えて。何とか授業をこなすための英語は準備できたものの、日常会話になると途端に話せなくなる変な先生としてスタートしました(笑)。

── 教員免許取得後、すぐに学校に就職しないことは特段デメリットにならないのですね。

そうですね。教員免許は10年間有効ですし、海外で働いた場合はそうした特別社会人枠がある学校もあります。

小学校で実験

暗記ではなく、教科を楽しむためには? 試行錯誤を続けたウガンダでの2年半

── ウガンダではどのような学校に派遣されたのでしょうか。

ケニアに程近い地域の英語圏で授業をする中高等学校に派遣されました。期間は2年間だったのですが、希望を出して延長が叶い、合計で2年半ほど指導にあたりました。

全校で1,300人ほどの、地域の中でも最も人数が多い学校で、理科と数学、ICT教育を担当していたのですが、イギリス由来のカリキュラムでかなり密度の高い詰め込み学習でした。

たとえば中学校の間に日本でいうと高校2年生ぐらいまでの学びを履修するので、中学2年生くらいから化学反応式が出てくるんです。基本は暗記と試験の繰り返しで、卒業試験が絶対基準なので、それを通過しないと進級・進学できない構造でした。

数字の概念を知らないままただ暗記だけして、数学を楽しめていない状態には、危機感やもったいないという気持ちがありました。そうした教育制度へのモヤモヤを抱えて派遣期間の前半は過ぎていって。

後半に差し掛かり、どうせ詰め込むのなら要点だけ絞ってテストに出る部分を整理する方向に転換して、授業の後半に時間をなんとか捻出して。理科の時間では子どもたちが楽しむことができる実験を始めたり、試行錯誤しました。

そうした中で子どもたちの確かな変化を体験し、手応えを感じたことが、今に至るまでの原体験になっています。

オンライン交流会

ウガンダの先生は副業が普通。生き方の多様さに刺激を受け、帰国後は会社員に

── 帰国後は東京にある環境調査の企業に就職されたそうですね。学校の教員にならなかった理由は何だったのでしょうか。

ウガンダでの教育経験がターニングポイントでした。日本の教育は素晴らしいですが、詰め込み型という部分には「このままでいいのか? アップデートできる部分があるのではないか」と疑問を持つようになって。

また、ウガンダで出会った先生方が教師を本業としながらも農家やバスの運転手など様々な副業をされていて、多様な生き方をされていることに感銘を受けたんです。

それに、ウガンダで先生方が子どもたちと仕事の話をしているときは中々話題に入ることができず、悔しくて。自分も教師以外の仕事をしてみたいという気持ちで会社で働くことを決めました。

実際に働き出したら、様々な場所の環境を調査することで日本の抱える課題が見えてきて、「これは授業のネタに使えるな」と授業のことばかり考えていました(笑)。

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都市部で暮らし、はじめて知った学び場の多様さ。もっと知りたいと、フリーランスに

── 企業で働かれている間に「あふ理科のお兄さん」として日本やアフリカに理科や算数の楽しさを広めるための活動を始められたそうですが、どのような転機があったのでしょうか。

教員だった時代は、帰宅後も明日の授業の準備をして、「これを教材にしたら子どもたちはどう反応するんだろう?」と考える時間が楽しかったんです。でも、社会人になって家に帰ったら明日の準備も宿題もないし、時間が余ってしまって。

それならば何か課外活動をしようと思って、算数のワークショップをしている団体「math channel(マス・チャンネル)」を知り、参加することにしました。

理科は実験のように体験を通して学ぶことがイメージしやすいですが、「数学を体感しよう」「手で触る算数」と言われても最初は全然ピンとこなくて。でもワークショップに参加してみたら、子どもたちはずっと楽しんで考えながら学んでいて、子どもたちだけでなく自分も楽しかったんです。そうした状態がとても新鮮でした。

それから「math channel」にスタッフとして参加するようになって。塾業界が発展していないような地域で育ったので、学校外に、しかも塾以外で学びを楽しめる場所がこんなにあるんだと知っていくことができました。

都市には科学館や博物館がいっぱいあって、そこでのイベントってこんなに楽しくて、広く住民に開かれているのだなと。アフリカで感じたモヤモヤが少しだけ解消できるような兆しを感じたんです。

遊んでいるうちに発見があって学べること、そうした学びを提供できることを知ったら、どんどん知って試してみたくなってしまったんですよね。

── 会社員を辞めてフリーランスになられたのも、その時期のことですか?

はい。そうした教育をもっと知りたいと思って、フリーランスなら色々な団体やお仕事に関わらせていただけると考えて、独立しました。

1年間はいろんな場所を見て回って、プログラミングスクールやインターナショナルスクール、アフタースクールのお手伝い、国際バカロレア導入校に関わらせていただいたりしました。企業の理科教材の提案、理科の実験の提案、そして社会人向けの研修などいろいろ挑戦して、連鎖反応のように仕事を増やしていきました。

2019年の夏と2020年の1月には、勝手にアフリカに渡航して、突撃理科の実験ワークショップを学校の放課後や街中でやらせていただいたんです。

浮沈子(ふちんし)という、容器を押したり離したりすることで中にあるものが浮いたり沈んだりする圧力と浮力の関係を利用したおもちゃを使って大道芸人のように路上実験をしたときは、人が集まりすぎて大変でした(笑)。

子どもたちだけでなく大人たちまで集まってきてしまって、人が多すぎて警察官が駆けつけてきて。でも、とっても楽しかったですよ。

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探究型の学び場では、「わからない問題」は楽しい

── では、フリーランスから「東京コミュニティスクール(以下、TCS)」のフルタイムの教員になられた理由は何だったのでしょうか。

自分がやりたかったことが色々挑戦できそうな雰囲気だったのと、独自のカリキュラムがあるという部分に興味を惹かれました。自分がまだ「わかっていない」ことがここにはありそうだと思ったんですね。

会社で働いていたときに気付いたのですが、「知らない」ことがあっても「わからない」ことがない環境はつまらないと、自分は感じるタイプ。「わからない」ことにモヤモヤすることが、自分にとってはとても大切で、楽しいことなんです。

その視点で語れば、子どもたちって「わからない」ことだらけで、すべてを悟ったような状態が存在しない環境なんですね。個人的にはそれが心地良くて、モヤモヤし続けられることがすごく幸せだなと思っています。

── TCSでは、日々どのようなことを感じられているのでしょうか。

TCSでは子どもたちは間違ってもいいし、わからないことにどんどん挑戦できる環境があります。だから子どもたちは先生の指示がなくても自ら挑戦して、間違って、振り返っています。

なんならスタッフも、その本質を間違ってさえいなければ、間違えるのは全然OKです。非常にやりやすいですし、もちろん難しさはありますが、楽しいし、動きやすい環境です。

だからこそ、子どもたちも「わからない問題が楽しい」と感じてくれていて。つい答えを教えたくなってしまっても、すぐに解決しては響かないので、「この一言が欲しいんだ!」というタイミングを見計って声をかけることを教員としては学んでいます。

たとえば、気づいてほしい部分に子どもたちが気がつかないときも、本質がぶれないよう、でもモヤモヤを楽しめるようなナビゲートをしていく。それぞれの好きなように考えていったらいい方向にいく状況にできると、子どもたちはワイワイ楽しんでくれます。

一方で、反復練習が必要な部分はシステマティックにやっている公立校の方が強いのかもしれないなという部分は見えてきていて、そうした教え込む・訓練する部分と両立できるよう試行錯誤して進めているところです。

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教師である自分が負けじと学び続けながら、子どもたちと一緒に学びを楽しんでいきたい

── これから挑戦していきたいことはありますか?

アフリカでのワークショップ開催は、いつかアフリカの国すべてで開催したいなと思っています。

また、TCSで働いてみて、全日制で1日中子どもたちと関われるからこそできる教育があると感じています。そうした場を広く伝えていきたい気持ちや、自分もそうした場を作っていけたらいいなという気持ちもあります。

──「探究メディアQ」を運営する「探究コネクト」は、日本全国に探究的な学びの選択肢を作っていきたいと考えているのですが、秋田県出身として地方の学びの今後について考えていらっしゃることはありますか?

地元では、大学まで進学して勉強することを疑問視されるような環境だったんです。僕自身、家系の中で大学に進学した初めての人間で。

そうした経験もあって、「面白い学びはある」ということや、「学びはおもしろい」という感覚が育まれるような種まきをしたい気持ちがあります。たとえば仮面ライダー好きの人に向けて仮面ライダーを算数で考える授業とかがあれば、きっと響きますよね。

そうした学びに触れる機会が地方には存在しないので、まずはつくることなのかなと思っています。

── 最後に、これから探究型の学びの現場で働きたいと考えている人にむけてメッセージをお願いします。

教育業界で働きたいという気持ちと、探究型の学び場で働きたいという気持ちを比べたとき、「教えたい」といういう気持ちの部分に一番違いが必要なのではないかと思っています。

探究型であっても「教えること」はもちろん必要なのですが、その気持ちだけでは不十分なのだろうと感じていて。僕自身は「一緒に学んでいく」ということや、「子どもたちがすでに体験として持っていることを引き出して、そのままネタにできる」という感覚で授業に臨んでいます。

子どもたちは、思っている以上にたくさんのことを経験しています。むしろ、大人とは違う感性で経験しているので、そこをどんどん引き出してあげた方がいいです。

また、それこそ日々教えるべき情報がアップデートされている中で、それを教師である僕らは本当に追えているのでしょうか。追えていないのに教えたいというのは、違うのではないのかなと思うんです。

常にアップデートが追いついていない中で、自分がまず負けじと学び続けたいなと思っていますし、その中で一緒に子どもたちと学びを楽しんでいきたいと思うことができれば、探究型の学び場を楽しめるんじゃないかなと思います。

── ありがとうございました!

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