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褐色細胞腫闘病記 第42回「末期病棟の音楽会」

入院病棟は以前とは別の場所に立派に新設されていた。旧棟とは比較にならないほど綺麗で広く、人の動線もキッチリ改良されていた。まだ塗装の匂いすらほのかに漂っている。

「こんにちは~!! 三島と申しま~す!! よろしくお願いしまぁ~す♪」
大部屋はベッド周りも十分なスペースが確保されていて、窓も広く快適そうだ。
だが、私の元気な声に反応する人がいない。心に軽いショックを受けたが、気を取り直して挨拶の品を配ろうとベッドに近づく。
するとすかさず看護師に「物品のやりとりはすべてお断りしています」と言われ、準備していたポケットティッシュを思わず引っ込める。

…そうか。
“十年ひと昔” と言うじゃないか。時が経てば入院病棟での秩序や常識もいろいろ変わって当然か。ここはおとなしく「新入り」としてちんまりしていたほうがいいだろうと察し、私は黙って窓際の自分のベッドの巣作りをする。
でも、仕切られたカーテンを見ながら、ねぇせっかく相部屋になったんだからいろんなお話しようよ、と言いたくてムズムズする。しかしいくら念じても誰一人として言葉を発しようとしない。

私は普段の生活では会話が苦手で、極度の人見知りだ。自分から人と仲良くしようと積極的になることは決してない。
だが、入院生活となると不思議と全く逆の人格が顕れる。きっと「一期一会」が大前提だからだろうが、それよりも、入院生活において「人と話すこと」は絶対にプラスに転じることを身をもって体験してきたということが大きい。
以前病院で出会った芳河さんのお墓参りは毎年欠かさず続けているし、彼女の葬儀に一緒に出掛けた根田はるかさんとも、年に2度ほど会って交流をしている。今でも私にとって大切な闘病仲間だ。

4人部屋の出入り口にトイレがある。旧棟ではいちいち廊下まで出なくてはならなかったが、部屋にトイレがあるのはとても助かる。
新入りの私はトイレでかち合わないよう、慎重に見計らっていなければならなかったので、カーテンは常に全開にしておいた。
前のベッドの人がトイレに立つ。カーテンを開けている私と目が合う。
私より少し年下だろうか。ひどく痩せている。どことなく卓球の石川佳純ちゃんに似ている。点滴も何もしていないところを見るとまだオペ前だろうか。

「あ、お騒がせしてすみません。三島です、よろしくお願いします」
意識して声を小さくして挨拶すると「こんにちは。川名です。よろしくお願いします」と笑顔が返ってくる。穏和な声と笑顔に安堵し、嬉しくなってつい大きな声になりそうになるのを抑える。
それ以降も同様に、ほかの二人がトイレに立つたび私は律儀に自己紹介をした。

少し空気が温まったのを感じ、夕食が済んだ後の消灯までの2時間で、私たちはカーテンを開けて改めて自己紹介をし合った。

私の左隣の一ノ瀬さんという女性は、比喩ではなく本当に両の足が丸太のようにむくんでいる。オペ後だそうだが、どこのオペをしたのか、どうしてそんなに足が腫れているのか、詳細を本人があまり話したがらない。声も出しにくそうだがなんとか聞き取れはする。瞼もかなり腫れている。いきなり職場で倒れ、気づいたらICUに運ばれていたという。年齢不詳だ。

斜め前六十代くらいの女性。背が高く、この方もとても細い。が、意外と快活な張りのある声で話す。
「磯原と申します。私ね、膵臓癌のオペをしてほしいんだけど、先生がオペしたら死ぬと言うのよねぇ。わはは」と笑っている。頭はツルツルで、眉毛もない。抗がん剤は4回目を済ませたところだという。顔色がとても白く、唇も紫色に近い。ハキハキした通りの良い声は、末期癌患者のそれとはとても思えない。

最初に会話した川名さんが小さな声で言う。
「私は肝臓癌なんですけど、いろんなところに転移していて、余命半年なのよねぇ…」と、いきなりの爆弾告白に思わず息を吞む。ほかの2人も押し黙る。

私はつい焦って、自分の病気のこと、今までの治療経緯、自分も余命はあってないようなものだけどこうして元気に生きているから余命宣告なんてアテにならないよだいじょうぶですよ、みたいなことを一気にまくしたてた。なんだか自分の言葉がとても空疎に響くのを感じつつ、それでもめげずに言葉を継ぎ足し続けた。
「今回で5回目のオペなんですけど、私も肝臓切るんですよっ。体中すんごい傷だらけなのよ。見せてあげたいくらいです!」 
私はわざと大きな声でめいっぱいの笑顔で話す。

川名さんが言う。
「5回もだなんてすごいなあ。私なんて1回だけでこんなに弱ってるのに」そうか、川名さんはもうオペを済ませていたのか。聞けば手術で縮小した後に抗がん剤を投与する予定らしかった。

斜め前の磯原さんが言う。
「私なんて、もって3カ月って言われてるよ…でも手術さえすれば消えるだろうってネットにちゃんと書いてあるのよね。だからずっとオペしてほしいって夫とも先生にお願いしているんだけどね、どうしてもやってくれないの。でも明日も明後日も諦めずに言うつもり」
え、それは全身に転移しているからでは、と思ったけれど、言えるはずがない。私は言葉に詰まって「オペ、できるといいですね」とだけ返す。

どうやら、この病室は末期癌の人が入るところらしい。
そうか、私も末期癌患者ということになるのか。そうだよな、5回も手術するんだもんな、となんだか笑いが出てしまう。
ただ、褐色細胞腫に特化した様々な症状は、その時の私にはまったく発現がなく、誰がどこから見ても健康体そのものではあった。もう少し病人らしくしていた方がいいのかなと気を遣うほどに。
だが、再発した私の褐色細胞腫はシロアリのように音を立てずにじくじくと私の肝臓を蝕んでいたことが後になって分かるのだけれど。

スマホで音楽を聴いていた私だったが、うっかりしてイヤホンの音が外に漏れてしまった。宇多田ヒカルの『First Love』が大音量で病室に響く。
「あっ、ごめんなさいっ」咄嗟に謝って消そうとしたら、斜め前の磯原さんが「あっ、消さないで!  私、宇多田ヒカルの大ファンなの。そのまま聴かせて」と言う。
ほかの二人に「うるさいかな、大丈夫?」と問うと「ぜひぜひかけておいて」と瞳が輝く。

最後のキスはタバコのFlavorがした
苦くて切ない香り
明日の今頃にはあなたはどこにいるんだろう
誰を想ってるんだろう


You are always gonna be my love
いつかまた誰かと恋に落ちても
I‘ll remember to love
You taught me how
You are always gonna be the one
今はまだ悲しいラブソング
新しい歌 うたえるまで


いつしかみんなが口ずさみ歌い出す。
死がすぐ後ろ側に貼りついている私たちが今更病室で『初恋』もないだろう、と思われるかもしれない。でも、そんなことはどうでもよかった。それぞれが、それぞれの想いでこの歌を口ずさんでいた。
私は不意に泣きそうになった。でも、ここで泣いてはいけない。涙を見せたら他の人もきっと泣いてしまう。

「じゃ、次はもう少し明るい曲にしましょうか」と私が言うやいなや、看護師が飛んできた。
「ちょっと~!! 盛大に歌声が聞こえるんですけど!!  音楽はイヤホンで…」
「あと一曲だけ、あと一曲だけ歌わせてください」磯原さんがすかさず懇願する。
「じゃ、もう少しだけ小さな声で歌ってくださいね」
看護師は泣きそうな顔の私に、シーっと人差し指を見せる。
私たちは安室奈美恵の『CAN YOU CELEBLATE?』を選んだ。私は音量を敢えて下げずに流した。歌詞はうろ覚えだったが、それでもよかった。

永遠なんて知らなかったよね 
遠かった 怖かった でも時に素晴らしい夜もあった 
笑顔もあった   
どうしようもない風に吹かれて 生きてる今 
これでもまだ 悪くはないよね

私の前のベッドの川名さんが歌いながら泣いている。
気がつけばみんな泣いている。胸が痛い。とても痛い。
私は生涯、この病室での小さな音楽会を忘れることはないだろう。

5回目のオペは明後日だ。麻酔科の先生と、執刀医の崎森先生が明日打ち合わせに来ることになっている。

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※約3年ぶりの更新です。私は今入院中ですが、生きています。
この記事は、2018年当時の入院の様子を書いたものです。

第1回『冬でもノースリーブ』
前回『アメリカン・ブルー』

引用
『First Love』作詞 宇多田ヒカル
『CAN YOU CELEBLATE?』作詞 小室哲哉

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