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近代の国際秩序の基礎「ウェストファリア条約」とは何か?

現在の国際秩序の根底を為しているのが「ウェストファリア条約」です。ウェストファリア条約は「国家主権」を確立したことで、現在の世界秩序の基礎を築きました。

三十年戦争

ウェストファリア条約が締結されるきっかけとなったのは、17世紀最大の戦乱となった「三十年戦争」です。1618年に「神聖ローマ帝国」(現在のドイツ)で始まったこの戦争では帝国内の人口の三分の一が犠牲になったと言われています。三十年戦争の原因は「宗教対立」でした。

カトリック対プロテスタント

三十年戦争から約100年前の1517年にマルティン・ルターというドイツの修道士が、ローマ・カトリック教会を非難する「95カ条の論題」を発表しました。ルターは神聖ローマ帝国に命を狙われましたが、聖書を初めてラテン語からドイツ語に翻訳するなどし、賛同者を集めます。その結果、ルターに賛同するルター派はプロテスタントと呼ばれ、帝国内に賛同者が着実に増えていきました。

神聖ローマ帝国の皇帝であったカール5世は弾圧を試みて失敗し、結果、1555年に「アウクスブルクの和議」によって、帝国内の諸侯に信仰の自由を認めました。しかし、信仰の自由を認めたことで、帝国内にカトリックとプロテスタントの諸侯が乱立します。そして最終的に、1618年に宗教対立が表面化し、他国も巻き込む大戦乱となったわけです。

万人の万人に対する闘争

カトリックとプロテスタントの血で血を洗う戦争は文字通り三十年間続きました。当初は宗教対立が原因だったのですが、カトリック側のフランスが地政学的理由でプロテスタント側に付き、神聖ローマ帝国と対立したことで、戦争が長期化しました。ヘンリー・キッシンジャーは三十年戦争が長期化した様子を現代と比較して次のように述べています。

団結や戦いの動機として宗派の連帯が叫ばれても、地政学的な利害の衝突や、過大な実権を握る人物の野望によって、それが打ち捨てられ、踏みにじられたという点で、私たちの時代の中東における戦争とよく似ている。

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上の画像は、セバスチャン・ヴランクスという画家が1620年に「三十年戦争中に農場を強奪する兵士達」を描いた絵画です。記録によると略奪行為や残虐行為が両陣営でありました。ホッブスが国際関係論の古典である「リヴァイアサン」で人間の自然状態は「万人の万人に対する闘争」であり、絶対的な力を持つ国家が国内秩序を保つべきだと記述したのは、この三十年戦争の混乱の中でした。

戦争の終わり

三十年戦争は「ウェストファリア条約」という講和条約によって終結しました。このウェストファリア条約は交渉過程に特徴がありました。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約など他の講和条約と異なり、一つの会議体で条約が締結されたわけではありませんでした。ミュンスターとオスナブリュックという二つの町に、プロテスタント勢力とカトリック勢力がそれぞれ集まり、講和条約の交渉に当たりました。会議では議長役も総会もなく、二つの町で場当たり的に討議され、基本的な骨子が固まりました。

上記のような交渉過程であったため、ウェストファリア条約は他の講和条約と違い詳細な講和の条件などの記載がありません。しかし、この包括性が新たな国際秩序を産むことになりました。

ウェストファリア条約

ウェストファリア条約の一番重要なポイントは「主権国家」という概念が共有され、「全ての主権国家は平等である」と制定された事です。

・主権国家

「主権国家」を広辞苑は次ように定義しています。

他国に従属せず、自らの国内・国際問題を独立して決定できる国。国際法の基本主体。

つまり、帝国や宗教的権威ではなく、あくまで国家が国際秩序の基礎単位であることが共有されたのです。現在では、当たり前のように感じる世界秩序が、このウェストファリア条約で構成されました。

・国家の平等

主権国家という概念が共有され、主権国家同士は平等である定められました。ヘンリー・キッシンジャーは次のように説明しています。

「主権国は全て、力や国内の体制の如何にかかわらず、もとより平等であるということが制定された。スウェーデンやオランダ共和国のような新興勢力は、フランスやオーストリアのような既存の大国と、同等の外交儀礼を受けることを認められた。」

この上記の「同等の外交儀礼」は細かく定められ、例えば各国の王は「陛下(majesty)」、各国の大使は「閣下(excellency)」という呼び名で統一されました。

バランス・オブ・パワー

ウェストファリア条約は、近代における国際法の基礎となったと言われています。また、「神聖ローマ帝国」を実質的に解体したとして「帝国の死亡証明書」とも呼ばれています。

ただ、本質的に現在の国際秩序に影響を与えたという意味で、ウェストファリア条約には重要な基本概念が背景にありました。それが「バランス・オブ・パワー」です。キッシンジャーは下記のように述べています。

「ウェストファリア条約は、すばらしい倫理的な見識などではなく、現実に実際的な適応そのものだった。すべての当事者の力をおおむね均等にするという方式で、独立国がよその国の国内問題に干渉するのを控えさせ、たがいの野望に歯止めをかけようとした。」

以前、モーゲンソーの「国際政治」を紹介した際に、「バランス・オブ・パワー」の説明をしました。

次の投稿ではこの「バランス・オブ・パワー」について深堀したいと思います。

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