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ドストエフスキー(著)『二重人格』を読む。


ちょっと皮肉っぽく書くと、いつもこうあらねばならない、こうすべきだと、自分自身に強く言い聞かせているとこんなふうに精神を病むかもしれないと、この本を読み終わった後に感じた。

ドストエフスキーの『二重人格』。訳者の小沼文彦氏が、心理学的要素に重きを置いたタイトルであると書いている通り、あるいは相似関係に重きを置くと「分身」と言うタイトルの方が良いかもしれない。とにかく、自分と全く同じ人物が現れる小説である。

ドストエフスキーは『貧しき人々』が第一作であり、この『二重人格』が二作目。ドストエフスキー自身この小説に愛着を持っていたが、出版当時の評判はあまり良くなかったようだ。

私はとても興味を持って一気に読んだ。小沼氏の訳もリズム感があって読みやすい。ドストエフスキーの小説の特徴であるドタドタとしてなかなか前に進まない感じがない。その先どうなるのかと読者に期待される書き方はさすがにドストエフスキーだ。上手だ。

ある日の夕方、何をしてもうまくいかない自分のふがいなさに嫌気がさし、橋の欄干から川面を眺めている時、突然、背中をトントンとたたく人がいる。振り返ると、どこかであったような顔である。長く付き合っている人の顔である。誰だろうと思うと、相手はにこっと微笑む。その顔を見たとき、どうしてこんなところに「鏡」があるのだろうと思う。

つまり、自分自身がそこに立っていたのだ……。
こんな場面から始まるのがこの小説。興味をそそられるじゃないですか。

この新しい自分は、つまり、もうひとりの自分は、仕事場でも抜群の能力を発揮する。上司の受けも良く、仕事もテキパキと処理する。何か特別な任務を担っているらしく、同僚とダラダラと話すような暇は無い。

ある時、本当の自分(古い自分)に耳打ちする。
「君は何もできないクズだな」
そして、指先で古い自分の胸を突き、馬鹿にすることまでするのだ。
古い自分は新しい自分のそのような態度を上司に訴えるが、上司は耳を貸そうとしない。

ある日、古い自分に恩師の美人の娘から
「あなたと駆け落ちしたい」
と手紙が届く。

手紙が届く?……ああ、あの手紙はどこにいった?……、あれれ……

もうひとりの自分がその様子を見て、気の毒そうに顔を歪める。
そんな小説です。

この本とは全く関係ないことですが、今日、ブックオフで実際に見た出来事のことを書いてみます。
私が文庫本の棚から「これはまだ読んだことがないな」と思いながら文庫本を手に取った。
パラパラとめくってみて、驚いた。
カバーの小説のタイトルと中身の本が違うのだ。しかも中身の本には傍線が引いてあり、メモがたくさん書いてある。
こんなに書き込みがある本をブックオフの店員さんが見逃すはずもなく、「この本は引き取れません」と言われる程度の書き込みのある本なのである。
私はその本をカウンターに持っていき、「これ外側と中身が違いますよ」と言って渡した。

その時は深く考えなかったが、家に帰って、ふと思いついた。
「あれって、誰かが中身を自分が読んだ古い本と差し替えたのだ」
きっとそうだろうと思う。
そうすると無料で中身の本だけ持ち出すことができる。しかし、たかだか100円か200円である。
私は店で不精髭に白髪の老人を見たのを思い出した。
「あの人かもしれないな」

本のカバーと中身が違う。
きっと人間もそうかもしれない。それでいいのかもしれない。美しいカバーと使い古された中身……。
ひとりの人間が、内と外に存在する。

この『二重人格』と言う小説は、実は人間の真髄を突いた小説なのかもしれない。


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