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山崎正和の戯曲『凍蝶』を読む。


本年度(2018年)の文化勲章を受賞された、劇作家の山崎正和さんの処女作の戯曲『凍蝶』を読みました。二十三歳の時の作品です。

短い作品なので、別段この戯曲だけを取り出して感想を書くこともないと思ったのですが、ネットを見ても感想が見つかりませんでしたので、書いてみます。

表紙に「凍蝶 喜劇一幕」とあります。

「喜劇一幕」と聞くと、私は吉本新喜劇を思い浮かべます。しかし、この舞台には、吉本新喜劇のように、ずっこけたり、転んだりして、笑いを取る場面はありません。この戯曲には喜劇の要素はまったくないのです。

後半は十七歳の娘が雪崩に遭遇し、生死がわからなくなり、登場人物全員が右往左往するという内容ですから、喜劇のはずはないのです。

もし、作者の意図通りに、この舞台を喜劇とするためには、演じる俳優さんがその表情、仕草を極め、大道具、小道具の配置など、文字でこの戯曲には書かれていない、行間を読み込み、総合的芸術に到達しなければ、まったく喜劇にはならないと思います。そうでなければ、サスペンス劇のようなものになってしまいます。これはいわば「サスペンス悲喜劇」です。こう書くと、少しは笑いになるかもしれません。


登場人物は次の四人です。

漢城由禾子。漢城家の長女。
漢城由梨子。漢城家の次女。漢城家の当主。
漢城恭一。漢城家の養子。由梨子の夫。
須賀祐吉。一同の旧友。医師。


この四人以外に、十七歳の娘、冴子は、雪崩の危険のある春山登山に「あえて」行き、雪崩に襲われます。
いったい、この四人と娘、冴子……、

この設定で、どんな喜劇が生まれるのか。それは読んでいただく他はありません。


それじゃ私はいほう。いひたくないことを。あの子は……自殺をしに行ったのだ。


そもそも、「凍蝶」と言うタイトルですから……、凍えて動かない蝶……

こんな事はあり得ない……。あり得るかもしれないけど、ありそうもない。
そこには「笑いを超越した喜劇」があるのかもしれません。


凍蝶の己が魂追うて飛ぶ  虚子



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