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太宰治(著)『パンドラの匣』を読む。


人間とは不思議なもので、底抜けに明るいと、その後の沈黙は胸が痛くなるくらいに辛くなる。
なぜそうなるのだろう。
まったく暗いところのないものなどこの世になく、きっとこれは空虚なものであると思い、無意識に自分のこととして捉え、人生の虚しさまで感じてしまうからなのだろうか。

太宰治のコメディ『パンドラの匣』を読む。
宴の後の悲しさは、太宰はこの小説を泣きながら書いたのではないかと思ってしまうほど、私の胸を打つ。

「太宰治って、そんなに卑劣な男だったんですね」
事務所で太宰治の話題になった時、事務員が今までに見たことのない、怒ったような悲しいような顔をして言った。
先代の社長夫人が
「女だけ死んで自分は生き残ったんだよね」
「そうですね、薬を飲んで女だけ死んだんです」
と私が答えると、夫人は、
「いや、あれは崖から飛び降りたんでしょう」
「小説ではそうなっていますが、あれは薬を飲んだんですよ」
「私は飛び降りたって聞いてたんだけど……」

私と夫人のやりとりを聞いていた時、事務員が急に「太宰は卑劣な男」発言をしたのだった。

その太宰治の、コメディー……。
しかも、この小説は昭和十八年から十九年に執筆したものを、戦後リメイクして発表したもの。
その時代背景もある。

万の悲しみの中の、ひとつの笑いだ。

そんな笑いに、私は涙をこらえることができなかった。

最後のフレーズが有名だ。

この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当たるようです。

これ以降、太宰は、悲しみの中に沈んでしまった。
この小説を最後に、コメディーをいっさい書かなかった。

死ぬ前に書いた、太宰、最後のコメディ。



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