ときに忘れることも、愛

私には
忘れられないことがある。

忘れちゃいけないと思っていたし
忘れることなんて、できない。

でも、こないだ
不思議な体験をして
「ときに忘れることも愛」

そう気がついた。


少しディープな話だけど
過去の実話を話します。


私が生まれたとき
祖父が病院まで見に来てくれようとして

その途中で事故で
天国へ旅立ってしまった。

私は、そのことを七歳のときに
母が電話でそのことを
話しているのを聞いて
初めて知った。


当時は子どもだから
受け取り方が一つしかできなくて、

「自分のせいで、、 ごめんね」
そう思った。

生きていることも
申し訳なく思えた。


大人になって、
それは「罪悪感」という言葉だと知った。

私は
頭の片隅で
罪悪感を抱えながら生きていた。

でも、どこかで
孫の顔を見に来てくれようと
したことが嬉しくも思えた。

私は、
「ありがとう」という感謝と
祖父の分まで生きるんだと
「生きる希望」をもらった。


30歳のどん底明けに
数秘と出会った。

自分が数秘33と知り、
これまでの生きづらかった謎が解けた。

数字は苦手なのに
何故か、数秘のことだけは
一晩で数秘の本を一気読みし
すべて頭に入った。


お金を貯めて
33歳で、数秘の資格を取り
数秘33のセッションや数秘の講座を始めた。

楽しくて楽しくて。

不思議と数秘33の人が
周りに増えていった。

数秘33クラブをアメブログルっぽで発足したり

数秘33の方に向けたセミナーを開始したり。


アメブログルっぽの33数秘クラブは気づけば500名以上になっていた。

でも、グルっぽが終了してメンバーがわからなくなってしまった。

(今はFacebookのプライベートグループで33数秘クラブを主催している)


そんな33が最高に楽しくて
やっとモデル以上に
夢中になれるものを見つけて
嬉しい日々を過ごしていた

33歳のある日

祖父の名前を知ることとなる。


祖父の名前は


寿三三


私は33歳で33の活動を
しているときに

まさかの偶然に
訳が分からないほど驚いた。

そして、とにかく嬉しかった。

祖父の名前の活動をできている。

どれだけ願っても
会えないけれど

やっと、おじいちゃんに会えた気がした。

恩返しできた気がした。

本当に嬉しかった。


しかも寿という名前が

偶然33歳と33の活動を

お祝いしてくれているようにも感じた。

その瞬間から
数秘や特に33を伝えていくこと

世界中に生きづらさを感じている
33の人に希望の光を届けること

私の使命となった。


そんな不思議な出来事や
数秘の面白さで人間関係も楽になり

数秘のおかげで
私の人生は好転した。


私には、いつも通る場所がある。

そこはおじいちゃんが関係している場合。

通るたび
心の中で
「いつも見守ってくれて、ありがとう」
「ごめんね、でも、がんばります」

そう想っていた。


先日、いつもの場所を通ったとき
忙しくて
他ごとを考えていた。


数分後にふと気がついた。

「今、おじいちゃんのこと忘れてた」

すると、すごい速さで
「そのくらいで、いい」

って言葉が浮かんだ。

もしかしたら
おじいちゃんさらのメッセージかもしれない。


そうか、いつまでも
そこに留まっていては
いけないな。

「ときに、忘れることも愛」

そう思った。

わたし自身も色々な経験をして、
ときにセッションや
セラピーを受け
思考が変化していった。

その過程は書くと長くなるけど

行き着いた答えは


生まれたときの出来事が
あってもなくても
関係のないこと

私は幸せになるために
生まれてきた

私は一人で生きていける

安心してね。

幸せに生きる姿を見せること

力まず
何事もなかったかのように。

自然に自然に

無邪気に

ただただ


笑って
泣いて

この地球で
たくさん味わい
体験するだけ。

全身写真

〜あなたへのメッセージ〜

どんなことがあっても

幸せになるために
神様はこの世にあなたを送り出した。

あなたの存在という価値は尊く誰とも比べられるものではない。


愛と感謝を込めて

白岡三奈





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