見出し画像

中国との戦争をひきおこしたのは大阪の船場商人たちだった?!


中国から戻り、ひさしぶりに堺筋を歩いていた時にふと思った。

(中国との戦争をひきおこしたのは大阪商人かもしれない……)
 日本の外で暮らす前は考えもしなかったから、この視点の反転が海外に長期住む醍醐味である。

まず大阪は、戦争の受益者だった。
堺筋(船場)あたりは第一次大戦の頃に建てられたゴージャスなビルが、まだ多数残っている。焼け野原になったのに燃えなかったのは、金がかかっており施工がいいからである。


オシャレに見えても神戸や横浜の洋館は、要は不平等条約で西洋人がむりやり開港して建てた植民地化のための遺物。外国人が住んでいた。東京丸の内もそちら側に私は感じる。

しかし大阪の建築はその『侵略(希望)者が植民地(予定)に建てた洋館』ではない。ムダなゴージャスさや豪放磊落さに溢れる建物群は日本には珍しい『日本人が植民地で爆儲けて日本の地元に建てた洋館』である。いわゆる欧州の戦争景気だけでは資金的にムリである。日本人が設計し使用していたのは日本人のみ。



②そして大阪に多数残る中国の文物。これも一朝一夕の中国理解では入手できないものばかり。中国人が買い戻しに来ているが、とっとと公立の美術館に寄付してしまった昔の金持ちは利口だった。以前は大阪城にあった大阪市立美術館は中国仏像の首だらけだった(今の天王寺の市立美術館の土地は”住友”が寄付してます。なるほどなぁ……)。

今回は大阪が当時そこまで爆儲けできた理由と、中国侵略の仕掛け人……まで行かなくても非常に大きく関与した可能性を解明したい。
なぜなら大阪には江戸の鎖国の時代から、日本で唯一正確でナマな中国情報を持っていた見えない商業集団がいたからである。

ここから先は

3,864字 / 1画像

¥ 400

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?