大阪市内が空襲で壊滅したことはなぜ隠されていたか【前編】
(画像はアメリカ軍が撒いた、日本がポツダム宣言にすでに返答しているというビラ)
お盆になり大阪の地面から出てきて闊歩している亡霊たちが、また書け、書けというので、続編を書きます。
前回、書いたのは空襲でまる焼けになった大阪市の話。
30過ぎまで大阪市にしか住んだことがなく、友達も学校も仕事も全部地元という、典型的大阪人の私ですらこの話はよく知らなかった。
でも、それってなんかおかしくない?
そもそも大阪が狙われたのは、当時、日本一の工業都市だったから。第二次世界大戦が始まる頃は大阪が人口も経済規模も東京を抜いて、日本一の都市だった。
さらに前回の記事で詳しく書いた大阪砲兵工廠は、当時、アジア一の巨大な軍需工場。名実ともに日本陸軍の第一兵器工場なわけです。
(出典はピース大阪の展示より)
日本一だった都市とアジア一だった軍需工場の丸焼け。
大被害やないかい。
なぜ語られていないの?
あ、いや、なぜではなく、だから?
あと大阪人としてもう一つ不思議だったのは、米軍は郊外ではなく、なぜ大阪市内を焼き尽くしたのか?
郊外だとそりゃ、工場もあったでしょ。
砲兵工廠はまだわかる。でも商業地だった大阪市内を焼いてもなぁ……。
東京みたいに軍の中枢や、政治機能があるでなし。
しかし今回いろいろ調べていくうちに、誰も絶対に語らぬ、
衝撃の事実
に突き当たりました。そら米軍、焼くわ。いや、ほんまに。
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