見出し画像

僕の人生の道

ども!タニ丸です!
僕は、16歳の時に自分の道を作りました。
脳内言語化は元々出来ていて、noteの場があったので早速、認めたいと思います。

僕には16歳のとき、高校1年生の時に決めた人生の道というものがあります。

人生でこれだけは必ず貫き通すと決めた、道です。

僕の道は、”義理を重んじる”というものです。

僕は本当に沢山の多くの人たちに迷惑を掛けながらも沢山思いやりを頂いて、今の自分がいると思っています。

勝手に僕が恩に感じてたりする節も結構あります笑

僕は色んな人たちに、恩があります。

そんな人たちに、恩返しをしたいのですが、疎遠になってしまったり、もうこの世に去ってしまったり、僕には何もする事が出来ない事だってあります。

直接的に恩返しする事が出来れば、そんな嬉しい事はないのですが、中々それは難しいです。

だから僕は、自分に余裕があって、そんなときに目の前で困っている人がいたら手を差し出そうと思っています。

その手を差しだした人が、もしかしたら他の人に手を差し出して、巡り巡って僕の恩人が困っている時に手を差し出してくれるのかもしれないので笑

今までは困っている人がいたら勝手に手を引っ張っていました。

しかし、協調性を学んでからは押し付けになるかもしれないことを学びました。もしかしたら、求めていないかもしれません。自分一人で解決したいのかもしれません。

ですから、困っていそうに見えたら、まずは出来ることがないか聞く事にしました。

その人の為とか、その人に恩を売ってどうこうとか、そんな考えは全く一切合切微塵もないことは、この場で明記しておきます。思いやりってのは自己完結で終わらすものです。見返りを求めた思いやりは、思いやりではありません。そんな失礼な事を自分は人に出来ません。

最も僕の恩返しなんてものは、恩人たちは求めていないのかもしれないです。僕が勝手に恩義を感じてるので、そもそも恩がある事すら気づいてないかもしれません。

良い人だと思われたいからやってるわけじゃないです。
そんな考えは微塵もありません。
寧ろこんなものは、結局は僕のエゴに過ぎないんだと思います。
でも、エゴだからといって押し付けるのは違います。
エゴには有害なエゴ無害なエゴの2種類があると思っています。

無害なエゴは自分の思いやりを受け入れてくれる場合は対象者からすれば僕の思いやり(エゴ)なものとなります。
有害なエゴは自分の思いやりを拒絶しているのにも関わらず、エゴだからといって押し付けることです。

相手が自分の思いやり(エゴ)を受け入れてくれるかどうかなんて、分かりません。だから、主張して聞いて譲り合うんだなと。


そんな、義理を重んじるという人生の道を16歳のときに決めました。


僕はこの義理を重んじるという自分の人生の道について、大変誇りを持っています。

これからも、自分の為に自分が決めた人生の道を逸れる事なく全力で楽しんで生き続けようと思ってます!

生命が宿るコンテンツこと、タニ丸の今後のアップデードに乞うご期待!

関連note

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?