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東京ポッド許可局リスナーがマキタスポーツの番組を作ることになった話 〜その2〜

この記事のつづきです。

NHKで新作ドキュメンタリー『パパがうちにいる。』が放送された。見てくれたみなさん、ありがとうございます。個人的には今までに無い反響があり、古い友人や親戚からも連絡が来て嬉しかったです。再放送や配信の情報はこちらをチェックしてください。NHKオンデマンドでも視聴可能です。

あっと驚く展開、衝撃のラストがあるような番組ではないですが、ネタバレに敏感な方は是非、見てから読んでください。また、すべての表現は、作り手の意図だけが唯一の正解ではないと思っています。自作に関していろいろ語りすぎてしまうのは野暮かなーと思いつつ、僕は作り手の書いたものを読むのが好きなので、そういう人に向けて書きます。

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リモートでの撮影が終わり、数百時間の撮影素材が生まれた。さて、どこから手をつけたものか…。とても1人で完成させる自信はなかったので、編集として僕の長編デビュー作『おっさんのケーフェイ』でご一緒した塩谷友幸さんに入ってもらう。最初の打ち合わせで塩谷さんから「ナレーションなしでいきましょう」と提案された。今回、放送されるストーリーズの枠では「ノーナレ」というナレーションなしをウリにしたシリーズもある。ノーナレの場合、ナレーションなしで構成されることを前提としているため、被写体へのインタビューをしっかり撮っていることが多いが、今回はそれすらない。正直、この時点で成立するとは思えず、結論を曖昧にしてごまかした。

塩谷さんが膨大な素材と格闘しているあいだ、追い打ちをかけるようにマキタ家にあったビデオテープをデータ化していく。撮ったまま見返されることなく眠っていた映像たち。当時のマキタさんはサービス精神旺盛で、とにかくふざけまくる。その姿を愛おしそうに見つめる希さん。当初は『マキタスポーツの上京物語』でも使われていた、妊娠中の希さんのカットを短く使うくらいに考えていたが、分娩室での二人の映像を見てからは、番組のもう一つの軸として使えないか検討することにした。その日の夜、金曜ロードショーで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が放送されていて、思わず最後まで見てしまう。現実では自分が生まれる前の両親に会うことはできないが、映像というメディアは二人の間に流れる空気をパッケージし、未来に届けてくれる。今回、乃望さんは、なんども自分に歌いかける父親を見て、何を思ったのだろう。

二週間後、最初のラッシュ(ざっくりと編集した映像)を確認する。塩谷さんはこの捉えどころのない企画の芯をつかんでくれていた。『日曜日よりの使者』と『北の国から』で生と死を描く30分。在宅の日々を追って見えてきたのは、音楽やテレビドラマといった「不要不急」と言われてしまうカルチャーが人生を豊かにするという、当たり前の事実だった。その軸を大切にしながら、構成を練り直す。この時点でナレーションなしでいくことを決めた。見た人1人1人に、行間を、裏を、未来を読んでほしいと思ったからだ。新宿・歌舞伎町のロフトプラスワンで出会った2人が家族になり、リビングで『北の国から』を娘と観るまでの約20年間を29分45秒に圧縮していく。

編集を終えた時、タイトルから(仮)が取れた。主人公が誰なのか、はっきりしたからだ。その人に手書きのタイトルを書いてもらう。

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ラストシーン。マキタさんは『普通の生活』という歌について、照れ臭そうに「最初はネタで作ったんだよ」と語る。歌う前、歌詞を確認していた乃望さんは、ある発見をする。ポツリとつぶやかれた一言を聞いて、この歌をエンディングに使おうと決めた僕自身もハッとさせられた。父が作った歌を娘が歌うことで、新たな文脈が生まれ、別の感情を呼び起こす。N渕剛が歌う『いとしのエリー』のように。ハンバート ハンバートが歌う『目を閉じておいでよ』のように。歌は、作り手の意図を超えて、勝手な文脈で誰かの心に響いてしまう。

本作で個人的に好きなシーンがある。キッチンで調理するマキタさんが、希さんから給付金について話しかけられ「待って。いま大事なところだ」と返すシーン。即座に乃望さんが「ピーマン入れてるだけなんですけど」と突っ込むところで、見返すたびに笑ってしまう。でも、ほんとうに大事なことは、ピーマンを炒めたり、こぼしたそうめんの汁を拭いたり、ごめんと言ったら「大丈夫」と返したりといった日々の積み重ねなのではないかと思う。今回、編集作業を通して、生活の中で何気なく発された言葉にこそ大事なものが溢れていることに気付かされた。僕はこういった言葉に耳を傾けているだろうか。テロップも効果音も無い生活の中の言葉を、見落とさずに生きていこうと思った。

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