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難病と共に、自分らしく生きるとは🤔

発症は突然に


2021年の2月、それは突然に現れました。
手足に小さな紫斑が・・・。
その後の検査結果で、紫斑性病腎炎(指定難病)と診断され、10万人に数人という珍しい病気であることが判明しました。

なぜその病気になるのか、また治癒方法も確立されていないため、その後の治療方針も手探り状態です。
でも、幸いにも、たちまち命に関わる状態はなく、年に数回、入院して点滴治療を受ける以外は、日々の投薬治療のみで、ドクターを信頼し、また自分にできる最善に取り組みながら寛解を目指しています。
(治療の詳細は、次回以降のblogで書こうと思います)

現時点の副作用で課題となっているのは、ムーンフェースと眼の充血。
講師の仕事をしているので、お見苦しい姿をみせることが辛く、気持ちが下がりますが、娘に「お母さん、勝負はそこじゃないでしょ」と言われて気持ちが吹っ切れました。

発症後の過ごし方


この病気が判った時、大切な仕事をあきらめたり、友人との交流を減らしたり、主催するライフワークの活動を諦めるなど、何かを「諦める」という選択肢がありました。

もちろん、これ以上悪化させず、少しでも元気に長生きをしたいと願っています。ただ、私の病気は、期限を決め、いろんな行動を制限することで寛解するという病気ではありません。
(これが難病と言われる所以なのでしょう)

発症からもうすぐ2年。
ドクターとも相談しながら私が選んだ道は、「いろいろ諦めない」でした。
その選択が正しいかどうかはわかりません。
でも、人生は選択の連続で、選択することで責任を負うことにはなるけど、選択から逃げる分だけ人生はつまらなくなるように思います。
私は今、この自分の選んだ人生と向き合う覚悟をもち、自分が選ばなかった人生と戦かっています。


病気になって気づいたこと

余命を考えたり、死を身近に意識するようになり「今日1日をどう過ごしたいのか?」を深く意識するようになりました。
遠くのぼんやりした未来は見ずに、目の前のハッキリしたことに集中する。
先のことはわからないし、過去は変えられないものです。


その中で、私にとっての幸せは下記であることに、改めて気づきました。
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今、この一瞬の状態(プロセス)であって、ゴールや結果じゃない。
「今」幸せであることがとても重要。
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この年明けも、治療入院のため、一人、病室で迎えました。
今回は12月23日から12日間の入院となり、クリスマスも一人でしたが、
祖父母に預けた娘とリモートで話したり、写真をやりとりしながら過ごしました。

私は今、自分の病気をまるっと受け入れて、自分の一部として共に過ごしています。孤独であっても、自分の淋しさに甘えない。全てのことは、自分と対話することで乗り越えられると感じています。


同じように難病になり、先の見えない不安と戦いながら生きている方や、病と闘いながら、人生を自分らしく生きている方も多いと思います。
このブログが、誰か一人でも、そんな方の役に立てたらいいなとも思い記事を書いてみました。

闘病が始まってから見えた世界。
日々の時間の過ごし方、自分の感情コントロール、頼る力、人間関係づくり、そして社会保険労務士として取り組んでいる治療・育児と仕事の両立支援の知識なども、これから綴っていければと思っています。

先日、子供達と旅した直島(香川県)のグランピング施設からの星空

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