「発達障害 空気を読まずに言いたい放題」に掲載された文章(認定NPO法人地域精神保健福祉機構 発行の「こころの元気+」7月号)

知り合いからご推薦をいただきまして、このコーナーに寄稿いたしました。

辺境の地鹿児島で、困りごとを抱える、あらゆる人への支援をおこなっているNPO法人ルネスかごしまの谷川勝彦と申します。「たにかつさん」と呼ばれることが多いので、もしお会いすることがありましたら、「たにかつさん」とおよびいただけると私がうれしいです。

ご推薦いただいていて、こんなことを申し上げるのはなんなのですが、なぜ私が、本誌「こころの元気+」上のコーナー「発達障害 空気を読まずに、言いたい放題」への執筆を依頼されたのか、いまだにわかっておらず困惑する毎日です。

そもそも、私は1977年生まれ、「発達障害」なる言葉が存在するはるか昔にこの世に生を受け、幼稚園ではおゆうぎ会で演じられた「かさ地蔵」のナレーションを「勝彦君はそらで全部覚えられるから」という理由で台本無しですべて読まされ、小学校では成績が良かったにもかかわらず6年生の1学期に「書記」をやらされたところ「書記のくせに学級会をほとんど仕切る」という悪行により、普通ならその後「副委員長」や「委員長」にステップアップする道が用意されず、私立中学を受験して寮に入ったところいじめにあい、寮を出て下宿生活に入った途端、朝起きて学校に行く振りをして繁華街のゲーセン(ゲームセンター)に入りびたり鉄道警察に何度も補導をされ(その後、制服から私服に着替える技を身につけたことで解消)、運動神経も悪い上に筋力も無いのに「強くならねば生きていけない」と思い込み柔道部に入部したらしたで楽しくなって2段まで取得し、ファミコン通信(現ファミ通)に書いてある日本語は広告まですべて読むくらいの活字中毒で、高校3年の4月まで全然勉強していなかったのにも関わらず、「東京に行けば、総合格闘技のジムに入れるのではないか」ということを唯一のモチベーションにして勉強し東京の大学に入り、ジムには入ってはみたもののプロになったりできるわけでもないことは最初のスパーリングで悟り、大学も授業が面白くなかったので競馬とパチンコと麻雀にのめりこみ大学を5年かけて中退し、しばらくフリーターとして過ごしたものの、持ち前の協調性の無さやこらえ性の無さ、相談できる友人もいなかったため、ゴミ屋敷と化した部屋を放置して京都に逃げ、そこでも長続きがせず、しばらくして強制送還のように鹿児島に連れ戻され、なんとかいったん定職にありついたものの、そこでも人間関係や自分自身の性格的問題や人間性の問題により退職し、そこから7年くらいひきこもって、最近になってようやくボランティアから始めた団体の活動が軌道に乗りつつあるかというと必ずしもそんなことは無くいろんな行政や福祉の方々に悪態をついては、「あいつとは関わらない方がいい」と陰で言われている(のではないかという妄執にとらわれている)ような気がしないでもないながらも、理解ある人たちに囲まれて、毎日ラーメンを食べることができているのをいいことに、ほぼほぼラーメンを食べている姿をアップしているだけのSNS投稿がちょっと目に付くきらいがあるだけの、発達障害とは縁もゆかりも診断もない人に、このページになにを書くことがあるんだろうと1月に推薦および依頼を受けた時から考えて考えて、考えるあまりに3月末の締め切りをすっかり忘れていて、4月も末になってから原稿を書いているようなこの私に、いったい何を書くことがあるだろうか(反語)。

お読みくださりありがとうございます。 いただいたサポートは、NPO法人ルネスかごしまが行う「生活困窮家庭・ひとり親家庭支援」に全額使わせていただきます。