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見返りを求めない(だって、自分のためにやっていることだもの)。

私はFacebookやTwitterで、遠く離れた、会ったこともない人の投稿をシェアしたりリツイートしたりすることがある。よくある。場合によっては、行ったこともない町のラーメン屋さんが閉店したっていう投稿だったりして、そんな情報を求めている人が、私のフォロワーさんの中にいるのかどうかすらわからないものもある。「愛媛のポーカーバー、今オープンしました」とかね。

もちろん、シェアしたりリツイートしたりすると、相手には私がリツイートしたことはわかるので、「お礼」のような形で私の投稿に「いいね」をしてくれたりということもある。まれにある、くらいかな。

人の投稿にやたらと「いいね」をつけることで、自分のアカウントへの流入を増やそうとする人もいるので、何回も何回もこちらから「いいね」を押して、それでも気がついてくれる人が、いるかいないかくらいのもの。見返りをあてにしていては、とてもできることではない。

知らない人からやたらと「いいね」がついていたら、最初に思うのは「不信感」だろう。「不審感」かもしれない。

遠く離れていて、会ったことも見たこともないけど、それでも遠くから応援しているよというメッセージ。繰り返し繰り返し送ることで、最初に抱いていた「不信感」が、少しづつ「信頼」に変わるかもしれない。

これって、「支援」の現場でも同じだなと思うのです。

最初は「不信」から入る(入らざるを得ない)。なぜなら、目の前の、人の好さそうな顔をして近づいてくる人は、あなたのことをだまそうと思っているかもしれない。あなたの人生を、いい意味でも悪い意味でも、変えてしまう人かもしれない。

対象者に、なにかをしてほしいわけではなく、1人1人が生きやすくなることが、支援者自らの生きやすさにつながっている、ただそれだけを信じて支援をおこなう。

「ありがとう」なんて言葉もいらない。
究極的には、恨まれてもいい。

それでも、この世界を少しでも良いものにするために、今日も私は消極的なメッセージを送る。

「私はここにいます。なにか、お手伝いできることがありましたらお声掛けくださいね。」

お読みくださりありがとうございます。 いただいたサポートは、NPO法人ルネスかごしまが行う「生活困窮家庭・ひとり親家庭支援」に全額使わせていただきます。