地方への憧れについての考察(Ver.1.01)
一人旅を楽しむ自分にとって、その原動力となっているものの一つに、地方に暮らしてみたいという想い(≒憧れ)がある。
今回は、その憧れの分析と、実現可能性について考察していこうと思う。
なお、冒頭で触れておくが、「地方」というワードは様々な範囲を指すことができる便利な、もとい抽象的な言葉である。
おそらく人それぞれイメージするところは大なり小なり異なるだろう。
あえて抽象度の高い「地方」というワードを使うのは、後でも述べるが、良くも悪くも便利な言葉だからである。
1.東京の呪縛
自分が一人旅を始める前から、地方に住んでみたいと漠然と思っていた。
実家が中途半端な田舎であることもあり、どうせなら振り切った田舎で生活してみたいという考えがあった。
しかし、結果として大学も就職先も東京という真逆の人生を歩んでしまっている。なぜなのか。
まず大学を東京で選んだ大きな理由としては、金銭的に一人暮らしが不可能だったことが挙げられる。
収入があってもアルバイト程度の学生が一人で生活をしていけるわけがなく、大いに実家からの仕送りに依存することになる。
この大学でしかやれないことがある、卒業の暁には就職先が安泰であるなどの確たる理由もなく、なんとなく文系大学に入りたいという浅はかな理由しか持ち合わせていなかったので、親からは仕送りは出せないぞと釘を刺されていたのである。
幸か不幸か(?)実家から東京まではなんとか通える距離であったため(とはいえ2時間近くかかる)、東京の大学に進学することと相成った。
親として至極真っ当な対応であり、その点は文句のつけようがない。我が子が大きくなったら、自分も親として同じようなことを言うだろう。
問題は、仕送りゼロという環境を受け入れてまでも地方へ出たいという感情がなかったということだ。
その証拠として、志望校に地方の大学を検討したことすらなかった。
当時、生まれてから一度も引っ越しを経験してこなかった自分にとって、地方に進学することは未知の領域すぎて実感がなかったのだろう。
そうでなくとも、弱冠18歳にして身一つで知らない地方に行くということは、相当な勇気がいることである。
高校の同級生には何人か地方の国公立へ進学した人もいたが、想像を絶する決断であったと推測する。
次の人生のターニングポイントである就職においても、勤務地は東京を選択した。
これは、東京に勤めたいということではなく、企業分析不足というほうが正しいかもしれない。
全国転勤が基本となる職種を志望していたため、転勤に対する覚悟は持っていたが、第一志望であった弊社は、あまり転勤させない人事方針だった。
それを最終面接後に内々定をもらう際に言われたこともあり、就職に死に物狂いであった当時の私は二つ返事で受け入れるしかなかった。
もっとも、人事サイドとしては転勤がないことをプラスの情報として伝えたのだろうし、実際あえて転勤したい人はあまりいないだろう。
私としても、この選択について後悔は(今のところ)ない。
ただ、もう少し広い視野を持って就活すれば良かったな、とは思っている。
職種をだいぶ絞りすぎていたし、志望していた企業の勤務地も軒並み首都圏内だった。
地方の企業は全く見ておらず、考えようともしなかったように思う。
やはり周囲の影響が大きかったと思うし、何より自分の中で一流企業=東京というゴリゴリの固定観念が強かった。
また、地域おこし協力隊に興味関心はあったものの、新卒カードを捨てて未知の地方へ飛び込む勇気も経済的余裕もなかった。
就職というタイミングでみんなと違う地方に行くことによって、「普通」のレールから外れてしまうことが怖かったのかもしれない。
長くなったが、人生の大きなターニングポイントでことごとく東京を選択したのは、家族や友人といった外的要因もさることながら、自分の地方への想いの大きさ(本気度合い)といった内的要因も大いにあると考える。
2.一人旅による「擬似地方暮らし」
東京で日々を過ごしていても、心の奥底で地方への興味は捨てきれず、旅行という形で心を満たしてきた。
旅行へ行くと、ここで暮らしたらどんな人生になるのだろう、という妄想が捗るのである。
自分にとって非日常である旅行先の風景が、毎日通勤途中に見る景色だったらどうだろうか、といった感じである。
特に一人旅となると、その再現が忠実に可能である。
見知らぬ街を一人で歩きながら、現地のスーパーに日頃通う自分、草臥れたガードレールが並ぶ細い道路を慣れた手つきで運転する自分、地元民しか知らない小さな神社や河川敷で休日に散歩する自分、そんなもう一つの人生を妄想するのだ。
誰かと一緒の旅行も悪くないが、一人で静かに思いを馳せることができるのは、一人旅の醍醐味といえる。
大学時代から定期的に一人旅を敢行し、こういった「擬似地方暮らし」によって地方暮らしへの欲求を一時的に満たしていた。
このことから、一人旅が自分を構成する重要な要素であることは間違いない。
3.現実との葛藤
一人旅による「擬似地方暮らし」は一定の効果をあげていたが、根本にある実際に地方で暮らしてみたい、という想いは消えずにいた。
しかし、ゴミゴミした東京で満員電車に揺られながら仕事に向かう日々と、地方の悠々とした暮らしのイメージを頭の中で対比させていると、両立が難しいことはなんとなく理解していた。
そのことが受け入れがたかったのか、思考を放棄して一人旅で欲求を満たす膠着状態がしばらく続いた。
転機が訪れたのは、結婚して子どもができたまさに今である。
妻と暮らしていくうちに丸くなったのか現実的になったのか、東京を本拠としつつ地方にも二つ目の拠点を持つという考えが自分の中で主流になってきた。
これはかつて結婚したばかりの頃、妻と話し合った時の考えがベースにあり、地方の古民家をDIYでリノベーションして別荘にしたい、といった未来予想図をウキウキしながら話したものである。
さらに最近になって子どもが生まれ、今後の暮らしをより具体的に考えるステージに立った。
将来貯蓄などのセミナーをいくつか受け、いざ自分の家計に当てはめて夢の実現性を検討してみたのだが、結果は非常に厳しいもので、妻と共に随分と落胆してしまった。
夢を叶えるのはこうも難しいのかと。
東京で働きやすくするためには、なるべく都心近郊に住む必要がある。
しかし、当然の話だが都心へ近づけば近づくほどに居住に要する費用が高くなっていくため、比例して第二の拠点へ割く費用を確保しにくくなっていく。かといって、郊外に移るほど通勤時間が嵩んで生活の質が落ちていく。
そんなジレンマは何も我が家だけではなく、東京で働く誰しもが一度は通る道だろう。
フルリモートが許されれば通勤のことなど考えなくて良いのだが、あいにく私も妻も古き良き伝統的日本企業に勤めているため、当面実現しそうにない。
転職すればいいのかもしれないが、良くも悪くも今の職場が性に合っているため、踏ん切りがつかない。
贅沢な悩みだと言われればそれまでだが、どの道を選択すべきか悩み抜いているのが最近である。
この記事を書こうと思い立ったのも、それが原因だと思う。
4.「地方」の解像度
また、地方に第二の拠点を持つとして、「地方」とはどのレベルを指すのか、自分の中で不明瞭であることに気付いた。
冒頭で述べたとおり、「地方」というワードが指す範囲は広く、曖昧である。
東京以外の全て、と捉えることもできるし、東京以外の主要都市とも捉えることができる。
主要都市以外の地域と捉えることもできるし、いわゆる「田舎」と呼ばれるような地域と捉えることもできる。
つまり、想いはあってもビジョンが漠然としていたのである。
どのくらいのレベルの「地方」に、どのように暮らしたいのか。
その具体的なイメージがないまま、想いだけがなんとなく先行していたのである。
もっと早くの段階から地方暮らしの解像度を高め、それをもとに人生設計をすることが最短ルートなのは間違いない。
しかし、それは現在の立場から過去を振り返っているからわかるものであり、若いうちから気付くことはなかなかに難しい(と信じたい)。
先述したが、結婚して子どもも生まれた今、選択できる道は限られてきている。
まずは、その中で実現できる範囲で、「地方」の解像度を上げていく必要がある。
現実と折り合いを付けつつ、どこまで夢を叶えられるのかが、自分の人生の一大テーマである。
あとがき
本稿はまだまとまりきっていない現時点の考えを強引にまとめたものなので、今後様々な内的外的要因で考え方がアップデートする可能性が大いにある。
その時は、改めて記事を書き直してみようと思う。
そのことにより、過去の考え方と対比させて考え方の変化を感じることができるのではないか、という試験的な取り組みなので、ご了承いただければありがたい。
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