「デザイン思考」の研修でつまづく点とそれが意味するもの
こんにちは。NTTデータのデザイナー集団「Tangity」で、研修開発・講師をやっている五郎です。
デザイン思考を使った研修をここ数年で数十回は実施してきました。そこから明らかになったことについて書きたいと思います。
議論が止まる場所
研修ではまずユーザの現状を把握し、共感するためペルソナの設定、カスタマージャーニーの作成、インタビューを行います。その上でHow might we?を考え、次に設定されたHow might we?を解決するソリューションを考え可視化する。このプロセスはいわゆるダブルダイアモンドに沿ってます。
さて
このプロセスの中で最大の難関はHow might we?。もちろん他のプロセスにも難しい点やらつまづくポイントはあるのですが、How might we?になると議論が止まり、皆が腕組みしてしまうことが多い。「よいHow might we?とは」と考え始めると、これはまた難しい問題がいくつもあり、実はダブルダイアモンドとは説明用に簡略化された架空のプロセスであり現実とはかけ離れている、という問題につきあたるのですが、そこにいく前に歩みが止まってしまう。
止まってしまう理由は?
これはなぜか?How might we?は他のプロセスと何が違うのか?について悶々と考えている時次の文章を見つけました。
How might we?は日本語で「解くべき問題の設定」とされることが多いようです。さて問題です。「解くべき問題」は発見するものでしょうか?ペルソナを設定し、カスタマージャーニーを綺麗に作成し、ユーザインタビューを行えば自ずと明確になるものでしょうか?
デザインに必要だが「デザイン思考」では触れられないこと
デザイン思考のプロセスの他の部分はある程度フォーマットに沿っていけば検討を進めることができます(質は問わないとして)しかしHow might we?だけは進まない。その大きな理由は
How might we?ではデザイナーの意志が問われている
からではないかと思い当たりました。それと同時に以前読んだこの文章を思い出しました。
受講生と会話していると、「定められたプロセスを守ることが正義」という考えを持っているやに感じることが多い。How might we?について
「正しい決め方はないんですか?」
と聞かれたこともあります。正しい決め方に沿って検討をすれば、正しいHow might we?が決定されるかのように。それはあたかも公式を当てはめ数学の問題を解くかのよう。
しかし
そんなものは存在しない。How might we?すなわち「解くべき課題は何か」で問われているのはデザイナーの意志。つまり
「あなたはどう考えますか?」
が問われている。正解はいくつも存在する。妥当な案もいくつも存在する。あなたはそのどれを採るのか?現在ある案全てに満足できないとすればどうやって問題を創造するのか?ここで必要なのは技法ではなくデザイナーの意志と個人の中に積み上げられた経験それに思考です。
ここで立ち止まる人が多いということは、実業務でそうした「意志を問われる」ことが少ないからではなかろうか、と想像したりしていますがどうなんですかね?
「デザイン思考」を世の中に広く広めるため、誰かが「誰でもデザイン思考を使えばイノベーションが生み出せます!」と宣伝した。「誰でもこの公式さえ覚えれば成績が上がりますよ!」といったように。
その過程において「デザイナー個人の意志の重要性」はどこかに埋もれてしまったのではないか。基礎的なデザイン思考の研修に価値はあるものの、その次のステップを考えるべきではないか。そう考えながらいろいろ試行錯誤を繰り返しています。
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