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「生涯発達」と「書」の関係を考える②

独特の空間配置と、字のバランス。ひとつひとつの文字の向きや並び方のおもしろさ。この作品は、どうがんばっても彼にしか生み出せない。彼は、言葉を話さない。自分の名前は書ける。日常的なやりとりはある程度可能である。でも複雑で難しい指示は理解できない。小さい時は、もっと自分の世界があって、その中で泣き、喚き、葛藤し、固まり、動かなくなり、それでも発信する言葉が出てこないということに彼の母親は悩んでいた。

高校を卒業するころ、彼の母親は音楽療法士でもあるのだが「臨床美術士」の資格を取得して、自分の息子だけではなく自閉症の子どもや大人のためにアートの活動を広げていく。その中で、彼もまたクレパスを扱うようになり絵を描くようになっていく。障害者アートを応援する教室との出会いも彼の活動を支えた。そのうちに高校を卒業し、事業所と家との往復ではなく何かしら習い事ができたら、という母のニーズから、私のところで書道を習うようになり、3年経つ。

私の書道塾で基本としていることは3つある。

①書きたいものを書くこと
②基本的な道具(筆、紙、墨)はよいものを扱う
③徹底的にほめること

これは、障害があろうとなかろうと重要なことで、はじめからお手本ありきの指導はしない。礼儀や作法なども身につけたい、ということは次の段階であり、まずは自分が書いていて楽しいという感覚を徹底的に味わってもらう。道具のよさについては、「いいものを使っている」という意識が自己肯定感を高めてゆくことはおおいにある。そして③のほめるについてだが、書道は即時性が高く、「書いたものをすぐ褒められる」というのはとても有効で、「全体」も「部分」もほめることができる。書道とは、「うまい・へた」の世界ではない。

通い始めて初めの頃は、半紙一枚に3文字程度のひらがなの模写から始まったのだが、そもそも彼の認識している言葉が少ないことや、書で書くことのおもしろさにはつながらないと考え、「文字を形で認識しているならば」と、知っている歌の歌詞などを書くなどしていった。

次第に、彼は「筆を扱う」ことそのものに慣れていき、「あいだみつを」の文字の並び方を気に入ったようすで、自分から模写をし始める。このあたりから急速に「見て書く」のうち、「見る」が丁寧になっていく。字の形、曲がり具合、どんどん「真似」がうまくなっていく。集中がきれなくなっていく。何より、自分から本を開くようになったのである。

1年後、彼は活字を見て自分の字で書くことができるようになった。今では自分で好きなページを開き、準備をして書き出す。以前はすべて大人がやってあげることでスタートを切っていた作業である。その母ももちろん一緒に習っているためにもはや対等な関係である。

書道塾の中だけの変化ではない。彼の行動に変容が起きる。
①他者を意識して模倣すること
②指示への対応がスムーズになること
③微細な力加減が上手になったこと
④調べたい文字を入力してyoutubeやCDを楽しめるようになったこと

事業所では難しいコーヒーのドリップができるようになったのである。

相変わらず彼の発信は少ないが、その中で起きている変化は大きく、なにより本人がいまは書いた後に自分の作品をじっと満足げに見つめている。その様子を見ている母親もまた、充実した表情で帰っていく。この循環。

エピソードだけでまとめているのだが、今後、この書道の時間が彼らの生活にどのような影響を与えているのか生涯教育と発達の視点からまとめていきたいと思う。






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