あの有名な論争に終止符を打ちたい
こんばんは。エッセイ2回目。
とりあえず1日坊主は回避した。
このまま毎日続けていたら、絶対に飽きてエッセイのことが嫌いになるので、これからは不定期に書きたい時に書いていこうと思う。「そもそも需要がねえから書かなくていいよ!」とか言うそこの君、○ね。
さて、今回のエッセイではみなさんが一回は揉めたであろう、あの論争に終止符を打ちたいと思う。そう、「うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか」論争である。
ちなみにこの2流サイトの調査では、うんこ味のカレーの支持率が65%程度、カレー味のうんこの支持率が35%程度を占めている。(彼らは別に支持している訳ではなく、どちらかを選ばざるを得ないのだが。)
https://tohyotalk.com/question/16
先に言っておくと僕は、カレー味のうんこ派だ。
少数派なのは自覚している。所詮35%の勢力だ。
しかしながら今回は、うんこ味のカレー派にカレー味のうんこの素晴らしさを伝えるために、カレー味のうんこ派を代表して、僕が立ちあがろうというわけである。(P.S.紛らわしい。)
実を言うと僕も、高2ぐらいまでうんこ味のカレー派をやらせてもらっていたので、彼らの言い分はとてもよくわかる。
うんこ味のカレー派の言い分はこうだ。
「カレー味とはいえ、うんこを食べたという事実が嫌だ!!」
「うんこ味とはいえ僕たちが食べたのは歴としたカレーだ!味がうんこなだけだ!」
うーむ、わからんこともない。
確かに、「うんこを食った人間」として余生を過ごしていきたいとは思わない。見知らぬガキに「やーい!うんこ食った奴がいる!」なんて言われようものなら自殺も考える。(それはないか。)
しかーーーし!ここからが本題である。
あなたが食べようとしている、「うんこ味のカレー」は、果たして本当にカレーなのであろうか。
頭がポカーンとしたあなた、別に哲学の話をしようとは思っていない。僕が伝えたいことを簡潔にまとめると、こうだ。
「カレーとはいえ、うんこの味がするなら、それはもう、うんこなのでは?」
逆もしかりだ。
「うんことはいえ、カレーの味がするなら、それはもう、カレーなのでは?」
それは都合が良すぎだろ!と思われかねないので、無い頭を絞って、できるだけ論理的に伝えてみようと思う。
まず、”うんこ味のカレー”について述べる。
うんこの味がするということは、当然、臭いもうんこの臭いがするわけである。味覚と嗅覚は互いに関連しているからね。
てことは当たり前だが、食べた後、口の中からうんこの臭いがするわけである。僕はうんこを食ったことがないのでわからないが、うんこの臭いは多分、一度や二度の歯磨きでは取れないものだと思う。(これはあくまで僕の予想なので反論どうぞ。)
目を瞑って(鼻をつまんで?)想像してみてくれ。
自分の口からうんこの臭いがするのだぞ。うんこだ。紛れもないうんこだ。
普通の精神を持っている者なら耐えられないのではないだろうか。これが一つ目の理由だ。
二つ目の理由は、「カレーなのだから、当然白米と一緒に食べることを想定するべきだ」という点である。
君たちは、うんこwith白米を食べられるのか。
語感が良いのでもう1回言う。うんこwith白米だ。(白米withうんこでもいいヨ!)
僕はうんこと白米を同時に食べたことがないのでわからないが、(もうええわ) うんこの臭さと白米の甘さ、粘りが織りなすハーモニーを体験したいとは決して思わない。
数え出すとキリがないが、これが「うんこ味のカレー」を僕が否定する主な理由だ。
こういった点から、「うんこ味のカレーのどこにカレー要素があるの?」「カレーとはいえ、うんこの味がするなら、それはもううんこなのでは?」と問いたいわけだ。
さて、視点を変えてみよう。
次は、「うんことはいえ、カレーの味がするなら、それはもうカレーなのでは?」という僕のもう一つの持論について話していきたい。
先程述べたのと同じ要領で考えると、「カレー味のうんこ」のどこに、うんこ要素が残るのだろうか。
味がカレーだということは、匂いもカレーである。(さっき説明したね?)
確かに、「カレー味のうんこ」なので、食感はうんこかもしれない。しかーし!だ。うんこの食感とカレーの風味って意外と合っているような気がしないだろうか。(僕はうんこを食べたことがないので分から…(略) )
まあこれも僕の一意見だ。反論してもらって構わない。
さて、食感問題を無理矢理(?)片付けたので、残るのは「うんこを食べたという事実が嫌だ」問題だ。
残念ながら、その事実は変わらない。カレー味とはいえ、食ったものはうんこだ。
しかしながら、先程僕が述べた意見を参考にして考えると、「確かに僕が食ったのはうんこだ!しかし、カレーの味がして、カレーの匂いがするうんこは、もう「カレー」なのではないか!」と主張する奴が現れても良いのではないか。
論理が飛躍しすぎた。つまり僕が言いたいのは、
「うんこを食った事実」はそこまで重要ではなく、それよりも「うんこの味を経験してしまう」ことの方が嫌なのではないか?ということだ。
うんこうんこ言いすぎて頭がおかしくなりそうなので、そろそろこのエッセイも終わりにしたい。
僕が今回述べた意見から、うんこ味のカレー派のほんの少しでも、カレー味のうんこ派に転向してくれれば、私はこのエッセイを書いてよかったと思えるのである。
感想とか反論、ぜひぜひ待ってます。(して?🥺)
うんこ!!!!!!!!!
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