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礼を尽くして、尻隠さず

 

 礼遇とは、礼を尽くし、丁寧にもてなすこと。日本語の立て板に水を流すような滑らかさは、それが発声されても文字になっても、いつだって美しい。しかし、人は誰しも礼を尽くされたいと思うのだろうか?素朴な疑問が、頭によぎる。礼は尽くしすぎると過剰になる。僕は接客業をしていますが、人が不快にならない程度のマナーは備えているつもりです。しかし、礼は過剰になれば逆に失することになり、十中八九、いい具合に怒られます。おまえ、なめとんのか、とまぁ、なる。ご理解いただけませんか、っていう言葉ひとつとっても、いっけん丁寧に見え、そのじつ相手をばかにしているのではとすら思えるほどの攻撃力を兼ね備えている。美しい日本語は、我々の暮らしにそぐわないときも往々にしてあるということだ。

 そういえば、丁寧な暮らし、というキーワードもけっこう蔓延していますね。これは、もう、いわゆる礼の呪縛だ。なんだか日本人は丁寧という言葉が好き。丁寧な仕事。丁寧なハンカチの折り目。丁寧な告白の断り方。【丁寧な暮らし】で検索したら一番下に、アンチだの痛いだのうざい、気持ち悪いといった冷笑が目立つ。丁寧な暮らしって、要は自分に対して礼を尽くしているってことですよね?だとしたら、もてなしの精神を無意識に、自分に適用しようとするマゾヒズムこそが日本人の本質なのかもしれない。ちなみに僕の部屋はオールウェイズ散らかしっぱなし。

 あと、子ども食堂ってご存知ですか?2012年くらいから徐々に広がり始めた言葉で、僕たちみたいな普通の人でも、ちょっとした貸しスペースと器具があれば、手軽にはじめることができる子供のための食堂です。地域のボランティアやNPOのスタッフが集まり、手作りの料理を無償か廉価で提供する。地域のコミュニティとしても活躍しています。家庭の事情、学校の事情などでどこにも居場所がないような子供にとっては、シェルターになり得るかもしれない。ただ、人や場所、食材の確保が必須でして、なかなか継続が難しい側面もあるようで、大人の都合で開店して、すぐに閉店してしまうこともあります。せっかくできた居場所を取り上げられた子供も、それはそれでかわいそうですが、致し方ないのでしょう。で、さいきん見た子ども食堂についてのニュースで、興味深いことを言っていました。無償で提供されるよりも、10円でもとってくれたほうが利用しやすいという声が多数出ているとのこと。実際に100円ワンコイン制にしたところ、来店者が着実に増えているのだそう。おそらく子どもだけではなく、食堂が保護者も含めた地域の共有スペースになっているケースですね。
 大人は、やはり無料を怪しむくせがある。街のポン引きも、『0円で』、と言ったところで誰もついていかない。ある中国人が、とあるサイトで断言していました。「礼は尽くしても尽くしすぎることはない」という中国の習慣は日本人には通じないし、むしろ気味悪がられる、と。けっきょく、子ども食堂のクオリティを向上、もしくは継続するためにも費用は必要であり、程度にもよるが、やはりお金はとったほうがいいのでしょう。日本人の国民性にも合いそうだし。礼はバランスよく尽くすのがよさそうですね。

生活費にあてます。