台湾ひとり研究室:翻訳編「#08《大港的女兒》は“歴史小説”か”時代小説”か。ベテランの文芸編集さんに2語の違いを教わった話。」
「日本語だと『時代小説』よりも『歴史小説』のほうが適切なのかも…?と思っています」
こんなメッセージが担当編集さんから届いたのは連載開始直後のこと。「そもそも論」のご指摘で、早くも暗雲が立ち込めてきました。連載の最初から「時代小説」として紹介したわけですが、これには一応ワケがありました。ええ、写真にもある通り、帯の「時代小説」という文言です。
ただし、これはもちろん中国語。なんてこったい!やらかした!?と思ったものの、かといって「歴史小説」という語に足踏みする自分がいるのです。真っ先に辞書的な定義を押さえながらGoogle先生にお尋ねしてみると、この区分、結構迷う人がいることがわかってきました。編集さんのコメントはこんなふうに続きます。
「日本で時代小説というと、藤沢周平や池波正太郎、西條奈加などに代表されるような、古い時代を舞台にしたフィクション(登場する人物やエピソードの多くは架空)を指すことが多くて、フィクションで間を埋めながら歴史の流れを辿ったものは「歴史小説」と言われることが多いと思います」
ふむ…。あれこれ考えてみたものの私が考えたところで始まりません。そこで、文芸を手がける編集さんたちが両者をどうお考えになっているのか、アンケート形式でご意見を伺いました。ご回答くださったのは、文藝春秋の荒俣勝利さん、そして新潮社の楠瀬啓之さんです。おふたりとも文芸畑で、ベテランの編集さんです。以下、まずはそのご回答をそのままご紹介します。
——ご自身は「歴史小説」「時代小説」を使い分けていますか。
勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15