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セラピストへの道のり⑤

a story of my life 
regained and 
moving forward

 
( 前回からの続き)

意を決してハルさんの元を訪れた日のこと。

ハルさんのセッションルームはご自宅マンションの一室です。
@therapy_room_haru 

シンプルで落ち着いたインテリア。
ふんわりと良い香りのアロマが焚かれて、心地よいヒーリングミュージックが流れていました。

期待と緊張が入り混じった状態で伺ったのですが、その空間にいるだけでリラックスできました。

ハルさんにお会いするのはニ度目だったのですが、この人にだったら自分のことを何でも話しても大丈夫という安心感がありました。

最初のセッションは、たしか何が一番気になるのかを丁寧に時間をかけてヒアリングして頂いたと思います。

ハルさんの優しくすうっと身体に染み込んでくるような声でヒプノセラピーのセッションは始まりました。

頭も身体もふわふわしてきます。
なんだか夢を見ているみたい。

そんな夢心地のなかで物語りを聞いているような流れでセッションは進んでいきます。

時折、声が近くなったり遠くから聞こえてきたり。

何度も寝てしまいそうになりながら(実際何度も寝落ちしている)気づくとセッションは終わっていました。

何だか不思議だけど、心地よい。それが最初のヒプノセラピーの印象でした。

ヒプノセラピーは催眠療法ともいわれ、催眠を用いてトランス状態に導くことによりクライアント本人が持っている回復力や成長力が蓄えられている潜在意識の資源の活用を促すセラピーです。

潜在意識からのメッセージの受け取りを手伝うなどの方法でクライアントの気持ちを癒すことができるのです。

私の中にいる”泣いている小さな女の子”

それはインナーチャイルド

マトリックスリインプリンティング的にはエコーと呼ばれる潜在意識にあるイメージ
(ECHO: energetic conscious hologram)

どちらもトラウマ的な出来事が起こったときに、私たちの意識が精神的•肉体的にそれに耐え切れない場合に、その意識の部分を切り離すことによってできるエネルギー的に存在する人格をもつイメージです。

そのイメージが自分の潜在意識に留まり続ける限り、私たちはそのイメージを通して物事を認識するのです。

潜在意識上では、記憶の中での出来事が現在進行形で私たちの中で起こり続けています。

それゆえにトラウマから生じた苦しいイメージを持ったままだと現実世界で生きづらさを感じるのです。

ハルさんのセッションの中で、この女の子がどの時点で私の中に現れたのかがわかりました。

それは当時私が10歳のときのこと。
父の海外赴任に伴い、私たち家族はアメリカのLAに引っ越すことになりました。
そして渡米して5日目のことです。

仮住まいの家に移った翌朝、妹が大怪我をしました。
ピカピカに磨かれたガラスがあるのに気付かず、外に出ようと勢いよく走ってガラス窓に突っ込んでしまったのです。
ガシャーンという大きな音と母の叫び声で、隣の部屋にいた私は慌ててその場に行きました。

妹は上半身が家の外に出て、下半身は家の中にある状態で、母がなんとか抱き起こして部屋に入れたものの、太ももに2箇所バックリ割れた傷がありました。

傷の生々しさや半狂乱になっている母の姿。
家に電話が通ってなかったので、母が家の外に飛び出して助けを求めにいく様子。
びっくりしてキョトンとしている妹。(傷が深かったので神経まで切れてしまい痛みを感じなかったらしいです)

やがて救急車が来て病院に向かい、到着するとすぐに手術をするため母と妹は手術室に向かい、私は置き去りにされました。
実はそれ以降の記憶がありません。

後から聞いた話しでは、父親が病院に着くまで私は一人で泣きながら待合室にいたそうです。

不安と恐怖と孤独で耐え切れなくなった私は乖離(自分を守るために意識の一部分を切り離す)してしまったのです。

その後、手術は成功し妹は順調に回復していきましたが、私に起こったトラウマは解消されずに大人になるまでずっと私の中に動かぬエネルギーとして取り残されていたのです。

怪我をしたのが私ではないので、親も自分も妹の事故が私のトラウマになっているとは思いもよらないことでした。

誰のせいでもない、不慮の事故だったのですが、この日を境に私は親、特に母に助けを求めることができなくなりました。
家族と一緒にいても自分だけとても遠くにいるような居場所がない感覚がずっとありました。

この先、何が起こっても全て自分で解決しなければならない。
10歳の私は心にそのような誓いを立ててしまい、それは潜在意識に深く刻みこまれていったのです。

大人になり、事故のことはすっかり忘れてしまっていましたが、生きづらさが変わることはありませんでした。

傷ついた小さな女の子を通して見る現実はいつも厳しく辛いものだったのです。

つづく

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