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戦争経験者から直に話を聴く機会は、本当にもう残り少ないだろう。

父は昭和6年生まれで、小学生から中学生の頃が第二次世界大戦だった。母は昭和14年生まれなので、終戦時に6歳くらいだ。そして、単語半島の突端という田舎に住んでいたこともあり、あまり戦争の記憶、酷い目にあったという記憶な残っていないらしい。

父は、中央区佃という東京の結構真ん中に住んでいて、さらに物心も当然ついている多感な年代だったので、戦争については記憶があったはずだ。
しかし、あまり戦争について語ることはなかった。

それは、あまりにひどい光景を目にしたから、なのか、
はたまた、子どもだったので、怖い経験など記憶に残っていなかったから、なのか、今となっては分からない。

たしか、2018年のことだが、父が2回目くらいの危篤に陥った時、父の同級生が尋ねて来てくださったことがあって、当時、87歳の幼馴染同士で、施設の父の部屋で歓談していた場に同席した。
父な危篤の後、持ち直したものの、ご飯を食べていないため、ぼーっとしたまま車椅子に座っていた。

一方、お友達の87歳のおじさんは、元気いっぱいで、東京都内から一人で電車乗り継いで、町田の介護施設まで尋ねてきてくださった。

そのおじさんは、幼い頃の思い出を語り始めた。
それが、あまりにイキイキとそして、面白おかしく当時のことを話すので、皆、身を乗り出して聴いた。

子どもの頃、空襲などで燃えているものがあったら、それで暖を取った、とか、なんか、子ども目線での戦争体験を、こういうとなんだが、まるで講談のように、元気に話してくれたのであう。

子どもの目線から見た戦争は、日常の中で起こるいろんなイベントだったのかもしれない。
また、そういう風に、イキイキと語るように80年かけてネタ化していったのかもしれない。
封印した記憶もあったのかもしれない。

いずれにしても、「すごく勉強になったねぇ」と妹と二人で関心したものだった。

そのおじさんもうちの父もほどなくして旅立った。

戦争を生々しく、あるいは、イキイキと語ってくれる人はもう周囲にほとんどはいない。

聴く機会があったら、絶対に直接耳を傾けたほうがよい。

今朝のVoicyは、上記のエピソードとは全然違う、母の長兄から聴いた話である。ものすごく短くしてしまったので、本質が届かないかもしれないが、もし機会があれば、戦後80年の来年、もう少し詳しく紹介しようかと思う。


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