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RAMちゃんのランダムアクセスメモリー

 RAMちゃんは何でもやった。
 RAMちゃんはとにかく好きな事を何でもやった。
 だけど今のRAMちゃんは、試しに角をつけてみて豹がらの服を着ている。
 照明とマイクで四方を囲み、カメラに向かって馬鹿みたいな挨拶をしている。

 RAMちゃんは昔から何かに成りきるのが好きだった。一番初めの記憶は「俺はセーラームーンだ!」と言いながら道端の石をこっちからあっちまで運んで、母親に泣かれた事。
 一人っ子で鍵っ子だったRAMちゃん。放課後はテレビを見て、漫画を読んで過ごした。芸能界に憧れはしなかったが、お笑いが大好きだった。番組で披露されたネタを暗記しぶつぶつ呟いて、芸人の物真似を飽きるまでやって一人で笑っていた。RAMちゃんは自分で自分に大喜利のお題を出し答えていた。質問「戦隊ヒーローの新しいメンバーは誰?」答え「アダプタ」やがてRAMちゃんはオリジナルのネタを書くようになった。

 中学の頃、RAMちゃんの家の近所に劇場が出来た。そこではインディーズミュージシャンのライブや演劇、お笑いライブが行われ始めていた。「お笑い総長」という団体が出演者を募集していたので、RAMちゃんは早速応募した。そもそもの出演者が少なかったので、中2だったRAMちゃんもネタの下見せ等をせずに直ぐに入団する事が出来た。人前での記念すべき初のネタ披露。出演者は10人に対し、観客は5人。RAMちゃんは「A4プリント用紙の早食い」というネタをやってお腹を壊した。

 年齢を重ね、本を読み映画を観て様々な芸術に触れるようになったRAMちゃんは多趣味になった。詩、小説、戯曲を書いて、映画をとってコンテストに出したし、パントマイムや一人芝居、フリーのダンスイベントではブリーフ一枚で白塗りをして自分の考える暗黒舞踏を披露した。それでもコンテストに出した作品は佳作にすら、何かしらにノミネートされる事すらなく、パフォーマンスに対して面白いと言ってくれる人は一人も居なかった。

 RAMちゃんには致命的に苦手な事があった。コミュニケーションである。

 RAMちゃんには友達が一人も居なかった。人との距離感が分からない。人の気持ちが分からない。空気を読むことが分からない。人付き合いが分からない。人間関係がわからなかった。RAMちゃんは一生懸命やったのだ。作劇術、芝居のイロハ、動画作製の指南書を読み漁ったし、講座にも沢山通った。劇団やサークルには馴染めずすぐ辞める事になったが、それでも一生懸命やったのだ。

 社会人となってからも諸々の活動はやめなかった。書き続け、体を動かし続けた。表現できる場を探し続けた。Fラン私立文系と呼ばれる大学を卒業したRAMちゃんは警備員の職に就いた。月給、手取りで8万円。プライドの高いRAMちゃんは内心その仕事を馬鹿にしていたし事実やる気もなかったが転職する能力もなかった。一次面接で50社落ち続けた後にやっと拾ってくれた会社だという事もあった。

 そうして時が過ぎ、現在RAMちゃん32歳、童貞。何の賞も得られず、評価もされていない。映画批評ブログの立ち上げ、初音ミクでの作曲、ガンプラの制作、カメラ撮影等新しい事を始めた。それでも何の評価もされないのだ。RAMちゃんはその全てを好きだからやっていた。だがいつのまにか、それらはRAMちゃんのアイディンティティと結び付き、RAMちゃんの自我を保つ、人生を辛うじて肯定する為の作業になろうとしていた。恋人はおろか友人すら居ない、仕事も生きる事も楽しいと思えない自分が表現する事を止めればどうなるのか、どうなってしまうのか考えたくもなかった。

そうしてRAMちゃんはYouTubeを始めた。RAMちゃんのランダムアクセスメモリー。RAMちゃんのチャンネル名だ。最も再生数が多い動画は「動画編集ソフトの使いやすさを比べてみた」再生数43回、内RAMちゃん自身の再生数21回。広告は貼らないしお金が欲しい訳では無い。そもそもRAMちゃんはYouTuberを面白いと思った事が無い。それでも、それでもこうやって、色んな事をやり続ければ報われる筈だと信じるしかない。RAMちゃんにはもう後が無いのだ。

 RAMちゃんは何でもやる。
 何故なら楽しいから。
 そう思いこんで、表現は美しいものだと盲信するしかない。

 おっすー、星たちが輝く夜ふけ、夢見るあなたの全て。今日も元気なRAMちゃんでぇーす。だっちゃ。

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