見出し画像

記録_9_11_sun_2022_2105_2339


<さよならと次来る春のこと前編>

2105 /// さよならだけが人生だ、と言った方がいるそうです。 / そしてその言葉に対して、またくる春はなんだろう、と返した方もいるそうです。 / ふむふむ、と私はそのご両人の言葉を吟味します。 / そのほろ苦さを舌で転がしたりしながら。 / 毎朝のように食卓に並んだ懐かしい味です。 / 次の出会いの可能性、この場で言えばまたくる春は甘いデザートのように感じます。 / 食事の前後のいただきますとごちそうさまが、人として最も大事であることは言うまでもありません。 / さよならの味もまた来る春の味も私の血肉になり生かしたしこれからも生かすのですから、さよならがどうか、また来る春がどうか、ということよりもそれらに対して私が手を合わせ続けることこそが肝要なのだろう、などと考えてしまうのですが。 /

まだ転校について感じることを記録します。 /

人はその人生で大学進学や就職などの形を変えた転校を経るものとして私は捉えています。 / その過程でそれぞれが他者との関わり方が徐々に変化していきます。 / 他者から見られる私、他己が出来上がっていくわけです。 / 私の出来上がっていく他己の背骨、心臓、脳、ゲノムやら遺伝子に至るまで転校で味わった感情が大いに構成しています。 / 黙するという態度が初めにありました。 / 転校したて、何者かわからない私がその場にいて、黙していれば自ずと私を観る他者が持つ感情が一番よく見えるのです。 / その中で比較的恐怖の色が薄い人々は私にやはり話しかけてくるわけですが、そんな人々を足掛かりに私は集団の中に少しずつ溶け込んでいきました。 / 都合の良い他己を作り上げることを諦め、どうしても私でしか在れなかったレゴの私が言外の思考の中で最終的に至った処世術だったのでしょう。 / この手法は我慢を必要とします。 / 疎まれることを受け入れる必要があります。 / 可能な限り抵抗せずに、疎むような人間であれば自ずと疎遠になるまで疎む人の前では黙することが必要なのです。 / そんな風に疎む人に対して自らわざわざ抵抗しなくとも自ずとそんな人は逆に疎まれる、という力学のようなものが私の頭の中にはもうすでにあったのかもしれません。 / 少々危うさを持った賢さです。 / 自らの意志で大学進学のために上京すると少しその態度は変化を見せます。 / 黙する前にいくらか自分自身を最初から伝えるようになりました。 / 初めての自らの意志での転校とある程度の自由に羽が伸びたのでしょう。 / 少しだけ新たで、今までの我慢に対する反動が見える変化でした。 / いくらかの成功や失敗がありました。 / 映画のサークルに入っていたのですが、かつてのレゴは映画に変わりました。 / レゴと同じく、私はなぜ自分が映画を撮るのかを一人でひたすら考え続けましたが、この場においては話が少しずれてしまうから書きません。 / 少々の私なりの特異さはあるかもしれないけれど、おおよそ月並みな成功と失敗を繰り返しました。 / その繰り返しの中で筆舌し尽くせないそれが現れるわけですが。 /

今の私はこうして筆舌し尽くせないそれを記録し続ける人です。 / 私の自己であり、他己でもあります。 / 筆舌し尽くせないそれは私の転校と強く結びつきながら私の他己をかたどっています。 / 私にとって大事なことは筆舌し尽くせないそれが隠れているこの世の全てであると同時に筆舌し尽くせないそれを私独りで筆舌すること以外に無くなりました。 / 全てとの関係を必要としながらも私独りで為さなければ成り立たない。 / この私の中の単純で一切の解決手段が無い矛盾にどう向き合うか、ということは今この世界で私が生きることそのものと言い換えられて、当然他者との関わり合いの持ち方にも及びます。 / 私の他己は極めて自己に近いものとなってしまいました。 / そんな自己と他己を為す今、私は人を分類したり分け隔てる必要性がかなりなくなりました。 / 唯一、具体的ではなくとも転校の精神的な過程を経たことのある人にはアンテナが強くなるくらいです。 ///2339

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?