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1K6畳の部屋で、小さなデスクを使う私は、「恥ずかしい」と思っていた

私の部屋は狭い。

1K・6畳。一般的な賃貸の部屋を想像してもらえたらと思う。畳の広さはさまざまだと思うんだけど、「ワンルーム・1K」は東京で一人暮らしをする間取りとして多い気がしている。

キッチンは一口コンロだし、食事や仕事、睡眠をする空間は全て一緒。部屋の広さや収納も限られているため、家電や家具をそこまで増やせない。

とはいえ、住んでみると特別不自由はない。一人暮らしをする上で、必要なものは揃っているし、部屋数が多いと掃除が大変である。案外こじんまりとしているほうが、私には合っていると感じている。

ただ約1年前までの私は、この部屋に対してコンプレックスがあった。

特に「デスクの小ささ」に関して、なんともいえない気持ちが湧き上がる。



ドラマや映画などの影響で、ある程度の年齢になったら広い部屋に住むのが当たり前だと思っていた。

リビングがあって、仕事部屋があって、寝室がある。広くて、おしゃれで、綺麗な部屋だ。

しかし、実際に登場人物たちと同じような年齢になっても、私は1Kの部屋に住んでいる。

1人暮らしであることと、仕事先への立地や周辺環境的に都合がよくて今の部屋に契約。そのままズルズルときてしまった。掃除もすぐに終わるし、電球は切れていないか、窓を閉めたのかなど、考えることが少ないのもいい。

しかし、年齢を重ねるとともに、気にしていないことがふつふつと浮かんでくるようになった。

「みんなは広くておしゃれな部屋に住んでいるのに、私は狭い部屋だな」
「広いキッチンだな。うちは一口コンロしかない」

納得して住んでいるはずだったのに、まわりの状況と比べて妙にそわそわしている自分がいる。

特にフリーランスとして働いている私は「デスクまわり」が気になってしょうがなくなった。

きっかけは、時代の変化とともに在宅勤務が増えたこと。

オンラインで話しているときに、相手の作業風景が見えたり、SNSで発信されているデスクまわりの情報を見たりしたとき、私の心がざわざわするようになった。

みんなデスクが広くて、何枚もモニターがあって、立派なイスに座って、細部にまでこだわっている。デスクまわりに力を入れる人が増えた結果、広くてきっちりと備品が揃っているデスクが、当たり前だと思うようになった。

もちろん、私も快適に仕事ができるように環境は整えているものの、デスク自体が小さいのである。

ノートパソコン、キーボード、マグカップ、小さめサイズのノートを広げるともういっぱいになってしまう。モニターは置けない。腰を守ってくれるような立派なイスでもない。

以前までは気にせずに使っていたはずなのに、みんなの「仕事環境」が見えるようになって、私は自分のデスクが恥ずかしくなった。

「モニターを使っていない私はフリーランス失格かも」
「小さいデスクは、ダサいんじゃないだろうか」

なんて気持ちが湧いてくる。

モニターを使っていない人も多いと思うし、デスクがなくてリビングのテーブルの上で作業している人もいると思う。

だけど、小さいデスクで仕事をしていることが、どんどん「恥ずかしい」と感じるようになり、愛着があったはずなのに「大きめのデスクに変えようかな」と考えるようになった。



そんなとき、お友達が我が家に遊びに来てくれた。

最初は「うちは本当に狭いよ!?」と何度も念押しをしていた。私からするとみんな立派なお家に住んでいるように思えてしまい、言い訳のように「キッチンも一口だよ〜デスクも狭いよ〜」と言っていた。

「いい大人なのに1Kに住んでいてごめんなさい」と、一体誰に謝罪をしているのか不明なのに、私は猛烈に謝罪がしたかった(どれだけ自信がないんだよ)

そんなに気になるのなら広い部屋に引っ越しをして、家具をまるっと買い替えたらいいじゃない?って感じなんだけど、費用的な問題もあるため、なかなかすぐには実践ができなかったんだよね……。

しかし、お友達はデスクを見たときに「え、めっちゃ可愛いじゃん!」と言ってくれて、目からボロボロと鱗が落ちた。

「え、私のデスクって可愛いの?」






私のデスクは、子どもの頃から使っているものである。

ああ、子どもの頃のものをいまだに使っているなんて、大丈夫だろうか……。羞恥心が私の全身を駆け巡る。「ドン引きするわ」なんていう人、私の周りにはいないと思っているんだけど……やはり私は心のどこかで「大人はスタイリッシュであるべし」と思っているのかもしれない。

シュッとして、シンプルで、スマートなイメージ。

「そんなことない」はずなのに、これまでの根強い“周りを気にしてしまう気質”のゆえか、「スタイリッシュな大人であるべし」と考えてしまう。

でも、ちょっぴりレトロな雰囲気や木製である今のデスクは、私の好きなテイストなのである。加えて昔から使っていることもあり、どうしても愛着が湧いて捨てられない。昔から使っているもので、今も大切に使っているアイテムは、もうこのデスクくらいかもしれない。

私がなかなか今のデスクを手放せないのは、愛着があるからだ。

なのに部屋の狭さへのコンプレックスも加わって、私はどんどん「自分の環境・持っているアイテム」に対して猛烈に恥ずかしさを感じるようになった。

しかし、お友達の言葉によってコンプレックスが解消された。

「デスクを変えようかなと思っているんだよね」

「え!もったいない」

デスクの相談をしたとき、お友達がこのデスクを使っている私について、たくさん褒めてくれた。

「昔からのものを使い続けているところが、青紗ちゃんらしい」

「このデスクを選んだことに、自分らしさが宿るんだよ」

なんて嬉しい言葉をかけてくれて、ほろほろと自分の中にあったコンプレックスが崩れていくような感覚になった。

お友達は何度も何度も、私のデスクや持ち物を褒めてくれる。最初は「そんなそんな」と思っていたけれど、繰り返し伝えてくれたことにより、少しずつ自分が選んできたものを誇れるようになった。

よくよく考えてみると、私はナチュラルやレトロな雰囲気が好きだし、木製の家具に惹かれてしまう。古道具や可愛い雑貨も大好物である。

シュッとして、シンプルで、スマートなイメージでは全然ない。

だけど、これが「私」なんだと思った。

スタイリッシュなインテリアや持ち物を選ぼうと思えば、いくらでも選べる。だけど選んでいないのならば、きっと私は“こっち”が好きなのである。

私の心が落ち着くのは、ナチュラルで、レトロで、木が多くて、カラフルで、柄物で、雑貨なのである。

昔からのものを使い続けていることに、“私らしさ”が宿るんだとようやく気がついた。




お友達との会話をきっかけに、思い描いていた「大人像」に少しずつ囚われないようになってきた。

6畳で小さなデスクを使っている私は、私らしいのだ。

いつかは引っ越しをして広い部屋に住むかもしれない。大きめのデスクに変える日がくるかもしれない。

いつかはこの部屋とデスクに別れを告げるからこそ、存分に堪能したい。

どんなときだって、選んだ自分を誇りに思いたいな。

最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪