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ネットの世界に文章を投稿するって、“ひとりじゃない”を知れることなんだと思う

2018年からnoteを始めて、これまでコツコツ文章を書いてきた。

ふと、「今日までどのくらいの記事を書いてきたんだろう〜」と思い調べてみたところ、現在公開中の記事は833あった。

833。800以上もの何かを書いてきたと思うと不思議としみじみしてしまう。よく書いてきたなあ。もちろん、これからももっと書いていきたい。

なんとなく、アカウントのトップ画面に戻ってざ〜っとスクロールをする。

“800記事以上書いてきて分かったこと”に、想いを馳せたくなった。





それは、「こんなふうに考えてしまうなんて、私おかしいのかな」「こんな気持ち私だけなのかな」としょんぼりすることは、

全然“私だけじゃなかった”ということ。

同じように悶々としてしまう、こんな気持ちを抱いている私っておかしいのかな、と感じている人は世の中のどこかにいるのである。

例えば、ひとり反省会を開催しすぎてしまう自分だったり、3人一緒にいて道を歩くとき、自然と2:1の構図になり無意識のうちに“1”のポジションになっている自分だったり。

急に長期間人に会いたくなかったり、情報を遮断したくなったり、人間関係も持っているものも、住んでいる場所も全てリセットしたくなったり。

私は無意識のうちにすーっとひとりで考えてしまう性質なので、ハッと気づいたことや、頭の中で考えたことに対してときどきヒヤリとする。

こんなこと考えている私、大丈夫か。

ゴクリと生唾を飲み込んでみるけれど、「大丈夫か」と思ったことに対してまた考えてしまって、なんだかもう考えるのが習慣になりすぎている。

考える癖がある自分は好きでもあるが、たまに面倒な性質だなと思う。でも、これが私だし、考えているから文章を書きたくなるんだなとも思う。

ぐるぐると考えつつ、もうひとりでは消化しきれない感情をどうにかしたくて、えいっとnoteに投稿をする。こんなこと考えているなんて引かれるかもしれないなあ……なんてドキドキしながら公開ボタンを押して、驚いた。

「共感しました」「私もです」

とコメントをくれる人の多さに。



もちろん、「共感をしてほしい」なんて何かを押し付けたい気持ちは全くない。

ただ、発信活動する前の自分は悶々としていたけれど、文章を書いて投稿してみて、ものすごく気持ちが楽になったのだ。

不思議と仲間ができたというか、「私このままでもいいのかもな」と思えたというか。ヒヤリとする瞬間や、なんだか無性に泣きたくなる夜に光を照らしてくれる。


きっと、ネットの世界に文章を投稿するって、“ひとりじゃない”を知れることなんだな。

遠く離れたところに住んでいる、どこかの誰かも同じように考えている。この事実を知れたのは、紛れもなく読んでくれた人たちのおかげだ。

きっとこれからも、苦しくてどうしようもないときの道標になったり、ずしんと心に乗りかかっている負荷を軽くしてくれたりするんだろうな。

“ひとりじゃない”を知れると、日常生活が少しだけ軽くなる。

文章を書いて投稿するって、そんな力を知れるんだ。





「こんなの書いても大丈夫かな」と、800記事以上書いてもたまーに不安になるときがある。

「引かれるかもな」「興味ないよな」なんて考え出すと、どんどん一歩が重たくなって動けなくなってしまう。

だけど、悶々としてしまうときこそ思いきって書いてみたいし、同じように感じてしまう人も書いてみてほしい。案外「あ、全然大丈夫だった」と思えて、気持ちが軽くなるはず。私がそうだったから。

勇気を出して書いてみたから「大丈夫だ」と思えるようになった。

たくさん書いて良かったなあ。

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