同じような毎日が繰り返されはじめた朝に

朝目が覚めたとき、今日が何曜日なのかを忘れた。

ゴロゴロと寝返りを打ちながら、「あー…そうか、今日は木曜日か」と思った。祝日である昭和の日を挟んだから曜日感覚がおかしい。まだ平日か。危ない危ない。

むくりと起き上がってカーテンを開ける。今日もいい天気だった。

いつものように窓を開けて、ケトルをセットしてから洗面所へ。

ジャブジャブと顔を洗って、歯を磨いて、メガネをかける。今日はオンライン会議がないからはコンタクトはお休み。服を着替えて、大好きな紅茶を淹れる。

紅茶を飲みながらニュース番組をザッピングし、ふむふむと世の中を知る。

ふと、「変化がないな」と思った。

朝のルーティンはだいたい決まっている。ルーティンがあることによって困ったことはないし、むしろリズムよく動けている。

だけど、同じような日々が繰り返されていて、時間軸がおかしくなっているように感じてしまった。私だけが出口の見えない空間の中に閉じ込められているような気がして、急にそわそわしてしまった。

「今日は4月30日だよね」
「オンライン取材入ってないよね」
「ちゃんと家族と連絡をとっているよね」

なぜか焦ってスマホをスクロールする。

大丈夫だ、今日は4月最後の日。時間は確実に進んでいるし、取材は何も入っていない。やるべき仕事は残っているし、買った食料は確実に減っている。

大丈夫、私は生きている。



「さやかは『どうぶつの森』をしたほうがいいかもね」

以前、「同じ毎日の繰り返しでおかしくなったのかと思った」と相談したときに返ってきたのがこの返事。

「なんでどうぶつの森…?」

恥ずかしながら今まで一回もプレイをしたことがない。ざっくりと内容は知っているけれど、なぜか『どうぶつの森』だけは通らずに育ってしまったのだ。

でもキャラクターの「しずえ」だけは知っている。スマブラで覚えた。ただ、何をする人なのかは全くわからない。

「多分人って『育てる』とか『成長』に変化を感じると思うから、何か自分が『成長しているな〜』『私動いているな〜』と感じるものがないと、つらくなっちゃう気がする」

「なるほど」

「仕事も進んでいくから楽しいわけだし。究極を言えば子育てだって、成長が見えるから飽きないもんね。」

「そっか」

「さやかの場合は、今何も育ててないじゃん?外に出られないから、仕事でもなかなか変化を感じづらい。自分が進んでいると可視化できるものが全くないと、そりゃあ時間が止まったように思うよね」

全くその通りすぎて自分が怖くなった。進んでいる何かがないと、人って簡単に不安定になってしまう。

「だからこその『どうぶつの森』だよ!無人島開拓してさ、日々いろんなものを作っていくのって最高の“成長”だし、変化が可視化できるから楽しいかもよ。島作ろ、島!」

「早く買いなよ〜」とケラケラ笑う声を聴きながら、自分が進んでいる証をちゃんと見えるようにしなきゃなと思った。



4月最後の日。

私は今月、自分の成長の証としてnoteを30本書いた。

「この1ヶ月何もしてないんじゃ…」と急にそわそわしてしまう日もあったけれど、私はちゃんと1ヶ月に30本の記事を書いたのだ。

本数を数えて、ページビューを見て、進んでいると意識するようになってから、少しだけ気持ちが落ち着いた。可視化するって大切だな。

私のように不安になってしまう人は、日記を書いたり、数を数えたりしたらどうだろう。

大丈夫。何もしてなくない。何かしている。

自分がちゃんと進んでいることが分かるはずだ。

同じような毎日がきたと思うかもしれないけれど、きっと違うし、きっと何か未来に向けて私たちは手を、足を動かしていると思う。

結局まだ『どうぶつの森』には手を出していないのだけど…noteの本数を数えることで、私は自分の“変化”を感じることができた。

進んでいる。きっと私たちは成長している。

同じ毎日が繰り返されて不安な人へ送りたい。

最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪